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犬を飼ったら、450万円かかった話

もしくは、犬を飼ったら子供を大学に行かせられる位のお金がかかった話。

お薬

上の写真は、うっかり写してしまった危険なブツではない。
現在、我が家の愛犬の為に処方されている20日分の薬を撮ったものである。

愛犬は、小型犬のパピヨン、もんしろう。大きな発作を起こしたのが13才と6ヶ月の頃、現在はめでたくも16才と4ヵ月の年齢になる。
そのもんしろうが、現在飲んでいる薬(上記写真)の内訳が、これである。

(朝と夜)
・心臓の薬
・肺の水を出す利尿の薬
・てんかん発作の薬
・痰切りの薬

(夜のみ)
・ステロイドの薬
・気管支の薬

上記の薬を、朝4錠と夜6錠の計10錠、決まった時間に飲ませる。
いつまで飲み続けるのかといえば、もんしろうが死ぬまで。
もんしろうが生きていく為には、この薬は絶対に飲まなければならない。


犬は可愛い。
これは全人類が、生まれ落ちた時に既に知っているこの世の真理である。



だから、今更私ごときが、この世の真理について語るべきことなど残ってはいない。ただ、私はnoteで一度は自分の好きなものについて書きたいと思っていた。そうすると……やはり犬。犬については、いずれ何か書きたいと思っていた。

さあ、どうするか。
そう考えた時、ふと頭に浮かんだのが、犬とお金の話についてである。
お金というと、可愛くて尊い犬の存在とはまさに対極に位置する生々しいイメージがあるが、犬とお金には切っても切り離せない関係性がある。
そして私も、犬を飼う前に犬に対して発生するお金についての話は、あまり聞いたことがなかった気がする。

犬を飼ったことのない人間が、犬を飼育する際に必要になるお金を想像した場合、餌代、ケア用品、予防接種代、そして時々、風邪でもひいて動物病院にかかるお金──みたいな想像をするんじゃないかと思う。
少なくとも、我が家の場合はそうだった。

しかし、ここに落とし穴がある。
犬に発生するお金のうち、時に発生するイレギュラーなもの、これが結構大きいのだ。
だから私は、実際に犬を飼ってみて驚いたことの一つ、


犬にはかなりのお金がかかる可能性があるんです



という話をしたい。
ご存知の通り、ペットに医療保険は効かない。
ペットの治療にかかる費用は、基本的に10割負担なのである。
これが頭では分かっていても、実際に経験するまでは、ピンとこない。
ペット保険という手もあるのだが、これにはメリットとデメリットがあって、我が家では今日に至るまで、ペット保険には加入せずに来た。

ちなみに、タイトルにある「犬を飼ったら、450万円かかった話」というのは、実は、現在我が家で飼っていて、大量の薬を飲み続けているもんしろうのことではない。
もんしろうの前に飼っていた先代犬、転勤族だった我が家が初めて迎え入れた念願の犬に、トータルでかかったお金の金額だ。

その額、およそ450万円


先代犬のバンビ

これが、先代犬の「バンビ」にかかったお金の額だ。
我が家の先代犬「バンビ」(パピヨン)は、とにかく体が弱かった。
子犬の頃から、獣医さんに度々お世話になり、夏は24時間クーラーが必要、冬は常に暖房と、犬用のモコモコしたダウンジャケットが必須。
シャンプーをすれば息も絶え絶えになり、毎回命がけ。
7歳からは、心臓病の薬と血尿の薬を飲み始め、最期の方は三日に一回、動物病院に点滴を打ちに行っていた。これがまた、結構なお値段なのだ。

だが、その甲斐もあり、結局14歳と2ヶ月まで生きることが出来た。
超のつく虚弱体質だったバンビにしては、上出来の長さだったと思う。

これは、我が家の人間が無類の犬好きで、とにかく犬ファーストで、わりとよく面倒を見ていたことが原因ではない。いや、貢献したかもしれないが、やっぱりそこそこ長生き出来た一番の要因は、何かあればすぐ動物病院に通っていたことに尽きると思う。

バンビが14歳まで生きたのは、現代動物医療の恩恵以外の何ものでもない。
その対価が、バンビを飼い始めてから死ぬまでにかかったお金、タイトルにある450万円なのだ。


私の母親がよく、「バンビにかかったお金で、もう一人大学に行かせることが出来た」と笑っていた。


大学といっても国立か私立か、四年生か短大か、実家か一人暮らしかでかかるお金は変わってくる。450万円だと、四年生の私大に自宅から通った場合くらいだろうか。

お金のかかるペット(バンビ)と、子供たち。
両親には、本当に頭が上がらない。

うちは謙遜ではなくごく一般的な中流家庭だったが、バンビに医療費がバンバンかかっていた当時は、日本は今ほど不景気な国ではなかった。
父親も安定した大手企業で、私たちを食べさせる為に一生懸命働いてくれていたので何とかなったのだろう。
ちなみに、父親が働いていた安定企業は、現在は業績が悪化して凄まじく大変な状況にあるらしい。時代……。

時代が少しズレていたら、バンビを生かし続ける為に、私の進学は諦めなければならなかったかもしれないと今では思う。


壁と話をするバンビ

現在、大学生の3人に1人が、奨学金を利用していると聞いたことがある。
それを思うと、ペットの犬に、子供ひとり大学に行かせられる費用をつぎ込めるのは、ある意味贅沢な話なのかもしれない。
いや、十分に贅沢な話なんだと思う。
犬は、いや、犬だけでなくペットは、この十数年で一気に高級品になってしまったのだ。体感的に、そう感じる。

だから、先代犬のバンビが14年の生涯を終えた時、うちの家では、もう犬を飼うことはないだろうと覚悟していた。

しかしである。
ペットロスが、それはもう、想像以上に辛かった。
私も、家族も、耐えられなかった。

ペットを亡くした飼い主のみなさんは、どうやってこの悲しみを乗り越えているんだろうかと常々不思議に思う。
いや、みんなきっと乗り越えてはいないんじゃないか。
愛するペットが死んでも時間は止まってはくれないし、人間の方は生きていかなくちゃならないから、無理やり立ち上がらされただけなのではないかと推測している。

そして、私の家族は希望的観測を持ち始める、大の犬好きであるがゆえに。
先代犬のバンビはとにかく体が弱かったが、次に飼う犬は、さすがにそこまででもないだろうという何の根拠もない自信。
その勢いに乗って、私たちは二匹目のパピヨンを迎えることになる。

それが、我が家の二代目犬、もんしろう(パピヨン)である。

二代目犬は健康なはず

二代目犬もんしろう

もんしろう(上記写真)は、健康な子犬だった。
明るくて、やんちゃ坊主で、一時もじっとしていない茶色と白のスーパーボールみたいにビョンビョン跳ねて、病院に行くのは予防接種の時くらいだった。
パピヨンって本当は、こんなに健康なんだと家族の誰もが驚いていた。
……もんしろうが、13歳になるまでは。

あれは忘れもしない、三年と四ヵ月前の1月12日だった。
当時のもんしろうの年齢は、13才と4ヶ月を過ぎた頃。

もんしろうが突然、喘息の発作のようにゼーゼーと苦し気な呼吸をし始めたのだ。そのまま顔から床に崩れ落ち、白目を剥いて、激しく痙攣。
意識を失い、失禁。舌べろも、だらりと垂れてしまっていた。

その時、もんしろうといた私は、「あ、駄目かも」と直感的に思った。

すぐにかかりつけの動物病院で診てもらったところ、レントゲンに写ったもんしろうの肺は真っ白だった。
獣医の先生も、「ここまで肺が真っ白になったレントゲン写真は初めて見た」と息を飲んだ。

もんしろうは、そのまま緊急入院。

肺が真っ白ということは、自力呼吸が既に出来ないということ。
もう二度と、もんしろうは生きて我が家に帰ってこれないんじゃないかと打ちひしがれた。
あんなに辛くて長い夜は、これまで経験したことがない。
布団の中で手を合わせて、「どうか、もんしろうを助けてあげてください」と、何度も祈りながら朝を迎えた。

100%元気時代のもんしろう

予想通り、入院中のもんしろうの容体は、かなり悪かったらしい。

呼吸が2回止まり、口からは血の混じった大量の泡が溢れ、息の道を塞いでいた。獣医の先生の奮闘のお陰で2回とも呼吸は戻ったが、あまりにも苦しそうなので、先生は3回目に呼吸が止まったら、そのまま死なせてあげようと考えていたと後から聞かされた。

あの日、あの時、動物病院に行かなかったら、もんしろうは死んでいた。
もんしろうが助かったのは、獣医の先生の経験とスキルと、動物病院の設備のお陰だ。

バンビに続き、まさかのもんしろうまでも。
動物医療に携わるすべての皆さまに、心より御礼申し上げます。
その節は本当に本当に、ありがとうございました。

だが、めでたし、めでたしだけでは終わらない。
先生の経験とスキルと、動物病院の設備を利用させてもらった代償は、やっぱりお金。

奇跡の対価は、現代ではお金なのだ。

ちなみに、この運命の月(1月)にもんしろうにかかった医療費は、
 ・1月10日 普通診療・尿検査・痒み止めの薬 4,570円
 ・1月12日 体調急変
 ・1月12日 入院(1泊) 125,000円
 ・1月14日 注射(5本) 6,050円
 ・1月17日 薬代(14日分) 13,850円
 ・1月31日 血液検査・薬代(14日分) 23,800円
                         計173,270円

ひと月の医療費が17万円

危篤状態から命を救ってもらったのだから当然なのだが、ペットにはやはりお金がかかる。久しぶりに、それを痛感した出来事だった。

ちなみに、その後のもんしろうは、少しずつ回復した。
入院時の状態を思うと、奇跡といっていいだろう。
そもそも、入院が一泊で済んだのは、もんしろうの容態が安定したからではなく、獣医の先生のもんしろうを家で死なせてあげたい、せめて家族に看取らせてあげたいという厚意からだったのだから。

今後、また、あの日のような体調の急変があったら、同じ位の医療費は必要になるだろう。そして今度、肺が真っ白になったら、おそらく命は助からないだろうとも聞かされている。
怖い、もんしろうを失うのは、すごく怖い。

ちなみに、翌月2月のもんしろうの薬代は、
 ・薬代(28日分) 23,500円

3月の薬代は、
 ・薬代(14日分・薬の種類を追加) 13,880円
 ・薬代(21日分) 19,950円
                  計 33,830円

*1月~3月までに払った医療費の合計は、
   173,270円+23,500円+33,830円=230,660円 

そう、そうなのだ。3ヶ月分の医療費で、230,660円!!


10割負担、恐るべし。
普段、あまり国に感謝はしないのだけど、この時ばかりは医療保険に本当に感謝した。

おむつデビューのもんしろう

この写真は、退院後、10日目くらいのもんしろう。
すっかりおむつ姿が、板についている。

そして現在、もんしろうの治療は継続中で、いつか完治するわけでもない。高齢の為、新しい病気も見つかり、薬も大量に飲み続けている。

先代犬のバンビには、子供ひとり大学に行かせられる位のお金がかかった。
そして、健康優良児だったもんしろうも、三年四ヵ月前の発作の日以来、こんな状態だ。最近は、薬代+諸々でひと月三万円以上のお金がかかっている。そして今後、もんしろうにどれだけのお金がかかるのかは分からない。
もしかしたら、今の時点でもんしろうに掛かったお金は、バンビを越えているような気もする。
怖くて総額はもう数えていないと、母親がこっそり言っていた。

犬は最高だけど…

これが、私が書きたかった犬とお金の話である。
犬は、ペットは、贅沢品。
本当に、その通りだなと思う。

いま思うのは、実家の両親が一緒に犬を飼ってくれていて良かったということ。甲斐性のない私では、とても今の時代に犬を飼うことなど出来なかっただろうから。重ね重ね両親には、感謝しかない。

ただ、一つ付け加えておくと、洋犬や小型犬は弱い犬種だと聞く。
つまり、生涯元気で、あまり医療費も手間もかからない犬も、存在するということだ。そして、小型犬の寿命は、大型犬の寿命よりも長いことが多い。必然的に、医療費がかかる可能性も高くなるのだ。

けれど、例えば柴犬だって病弱な子もいるだろうし、我が家で飼った先代犬も二代目犬も連続でかなりの医療費がかかっているし、大型犬はいざ介護が必要になった時に相当に過酷だとも聞く。
もんしろうはいわゆる小型犬だが、入院以来、介護が必要な状態になって、私の手も親の手も腱鞘炎になった。
犬は弱るとまず足腰にくるので、階段の昇り降りや、トイレに自力で行けなくなったりする子が多いのだ。
小型犬でこの状態なので、大型犬は腱鞘炎どころの騒ぎではないだろう。

そして、先代犬のバンビより体の弱い犬だって、世の中には存在する。
そういう子は、大学卒業どころではない、大学院に進学、その後、海外に留学……いや、もっと莫大な医療費がかかる可能性だってある。

そう考えると、生き物を飼うということ自体、とてつもなくリスキーで、重たい十字架を背負うような行為なんだと思う。
命と暮らすとは、きっとそういう覚悟が必要なことなんだろう。

犬を飼うには、大きな責任が伴う。

どの子がいつ病気になるか、事故に遭い体が不自由になってしまうかは、誰にも分からない。
だから、犬を飼う時は、自分の人生の十数年分の時間を割く覚悟と、多額の費用が発生する可能性があるということを念頭に置いて、飼って欲しいと思う。

我が家の最後の犬は、もんしろうだ。今度こそ決めている。
いつか来る喪失感を考えると、今の時点で気が狂いそうになるけれど、もう私たちには、犬に対して発生する大いなる責任を果たせる時間も、多額の費用を払える余裕もない。

もう私たちに、犬を飼う資格はないのだ。

・犬が病気になった時、医療費を払い続けられる人
・犬に介護が必要になった時、家で面倒を見れる家族がいる人
・犬より先に、自分は絶対に死なないと思える年齢であること

以上の三つが、二匹の犬と共に過ごしてきた経験から私が思う最低条件だ。
つまり、お金がないなら犬を飼ってはいけない。
一人暮らしなら、犬を飼ってはいけない。
年を取ったら、犬を飼ってはいけない。

これらの条件をクリア出来る人に、ぜひ犬を家族として迎え入れて欲しいと願う。

犬と共に生きる人生は、とてつもなく素晴らしいものだ。
愛情をかければかけるほど、犬はあなたの友人にも、恋人にも、家族以上の存在にもなって、きらきらして、ふわふわして、あたたかい、唯一無二の幸せの形で返してくれる。

ダイナミックお手

犬は、可愛い。
それは確実に、人間の想像を軽々と飛び超えてくる可愛さだ。
そして、飼えば飼うほど、長い年月を共に過ごせば過ごすほど、おそろしいことに、その可愛さは加速度的に増してくる。

もんしろうが死んだら、私は、もう二度と犬は飼わない。

だが、例えば、今から450万円のお金を支払えばもんしろうが生き続けてくれると言うのなら、私はどんな手段を使ってでもお金を用意するんだろうなとも思う。

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