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海外に行けても行けなくても:ステイホームするフィールドワーカーからのメッセージ

 TOKECOM教員の小林誠です。私の専門は人類学というものです。人類学者にはたいていフィールドと呼ぶ調査地があり、何年もそこに住み込んで文化や社会などといったものを調べます。私の場合、フィールドはツバルという南の島で、島の人たちと一緒に暮らしながら、漁に出たり、畑を耕したり、聞き取り調査をして、それを記録してきました。そこで私は知らないうちに変な質問をしたり、おかしなことをして島の人々を困らせていますが、「他所(よそ)者」だからという言い訳があるので、そんなに気にしません。人類学者はフィールドでは、自称プロフェッショナル・ストレンジャー(プロの他所者)であることがむしろいいことだとされていて、失敗もまたいい経験なのです。

饗宴(フィジー、2019年)


 それに対して、自分が普段住むところはホームといえるでしょう。私の場合、ホームは日本で、家族と暮らし、本を読んだり、学会発表をしたり、論文を書いたり、授業を行ったり、大学の会議に出たりしながら、知ったような顔で発言して失敗し、後から恥ずかしくなって悶絶しています。ホームでは、当たり前のことを当たり前にこなすことが求められており、そこから外れることは好ましくないとされています。フィールドの当たり前とホームの当たり前がズレることも多いからか(これも言い訳ですね)、私は知らない間にホームの当たり前からはずれてしまいます。
 ホームでもフィールドでもどちらもそれぞれの暮らし方があるのですが、ホームでは主に研究をして、フィールドでは主に調査をするものだと思い込んでいました。人類学者のフィールドでの仕事をフィールドワークと呼びますが、そうだとするとホームでの仕事はホームワークになります。みなさんと同じでわたしにもたくさんホームワークがあるわけです。

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小林誠「島に萌える」所収(2021年3月)http://www.tufs.ac.jp/NEWS/2021/21040701.html

 コロナ禍でフィールドに行けなくなり、私も文字通りステイホームをし続けています。個人的な事情もあってそれ以前もしばらくフィールドに行けなかったこともあり、この状況に少なからぬ焦りを抱えていました。ただでさえたいした論文を書いていない私はもっと調査をしてもっと発表してもっと論文を書かなきゃ行けないのに! コロナ禍のパンデミックが始まりつつあった2021年3月に計画していたフィールドワークが中止となった時、ショックのあまり私は文字通り、床に崩れ落ちました。

 その後、マスクなしに外出できなくなり、緊急事態宣言が出される中で、オンライン授業が始まり、「新しい生活様式」なんてものが言われたり、さまざまな変化の中でふと、今自分がいるところはフィールドなんだと考えが浮かんできました。コロナ禍で誰もが自分たちが慣れ親しんでいたものが変化したこともあり、ホームにいながらも私たちはまるで他所者のように、手探りで、日々をなんとかこなさなければならなくなったのです。いつの間にか、ホームがフィールドになっていたのです。そこでは、何が当たり前なのかが自明ではないのです。

 さて、普段から私はツバルの人たちとfacebookでつながっており、それを通して、子どもが生まれたとか、結婚したとか、葬儀とか、ニュージーランドに移住したとか、今年のお祭りはどうだったとか、さまざまなことを見聞きしてきました。最近では、facebook上で、テレビのニュースなんかも配信されています。コロナ禍でもfacebookなどを通して、ツバルも国境が閉鎖され、ようやく帰国した者は隔離され、ツバルでの感染は抑えられていることや、物流の状態も悪くなってきて物資があまり入らなくなる中で、子どもたちを含む人々が首都の島から離島へと向かったことなどを知りました。私のことを家族として受け入れてくれるツバルの人ともやりとりをしますが、これまではあくまでfacebookは情報収集の手段と考えていたようです。

 しかし、面白いことに、ツバルでのさまざまなニュースを聞いているうちに「ああ、帰りたいな」という言葉が口をついてくるようになりました。帰るということは、そこがホームなのでしょう。調査なんて二の次で「ただ、会いたいな」と思うようになりました。フィールドワークをしているとき、お世話になっている人たちとある意味、家族的なつながりにあるなんて言われてきました。しかし、それはあくまでもフィールドワークをするための単なる方便で、本当は調査の対象者に過ぎなかったのかもしれません。それが真の意味で家族になったような気がしました。フィールドがいつの間にかホームになっていました

饗宴の準備をする男たち(フィジー、2019年)

島の暮らしの中で重要なのは饗宴で、島のみんなで準備します。老若男女それぞれの担当のようなものがあって、それを見るのも楽しいです。写真は牛肉を解体しているところです。と書いている時に、日本での私が教えるゼミ合宿でのバーベキューを思い出しました。いつの間にか、男たちが肉を焼いていたことのが印象的でした。(2019年、小林撮影)

バーベキューを準備する男たち(日本、2019年)

 物理的には移動していないけど、何かが移動したのかもしれません。移動をデジタル大辞泉で検索すると、「ある場所から別の場所へ移ること」とあります。「場所」は北緯○東経○なんて無味乾燥な物理的な空間とは異なり、歴史的な蓄積があり、意味に満ち溢れたものでしょう。そうだとするならば、物理的には移動しなくても、ホームからフィールドに移った私は移動したことになるはずです。それにともない、知らないうちに反対にフィールドは自分が帰るべきホームになっていました。

島の暮らしの一コマ_豚の餌やり(フィジー、2019年)

最近では、ツバル人移民が暮らすフィジー・キオア島での調査をしています。海と陸の両方の恵みを受けて人々は暮らしています。海はただ眺めるだけではなく、男たちがカヌーに乗って漁に出てる場所でもあります。陸の恵みにはタロイモやタピオカ(キャッサバ)などがあります。人間の食べ残しという形を取りますが、そうしたものも利用しながら豚を育てます。 (2019年、小林撮影)

豚(フィジー、2019年)

 もっとも、日本がフィールドなんて言いましたが、やはり日本はホームです。調査なんて二の次なんて言いましたが、でもやはりフィールドでは調査をします。しかし、よく考えれば、そもそも、ホームとフィールドを分ける必要がなかったのです。人類学は人間や生き方についての学問なんだから、いつでもどこでも人類学することができる、とは思ってはいたものの、それを実感することは今まで正直なかったです。今はどこにいてもホームでフィールドなんだ、という本気で思えるようになりました。
 
 考え方一つで凝り固まった自分がほぐれていく気がしました。フィールドとホームを日本と海外に読み替えてみると、それはみなさんにとっても当てはまることも多いでしょう。海外に行くという物理的な移動も重要だけど、本当に重要なのは、それを通してあなたの中の何かが「移り動く」という移動の経験です。

 禍を転じて福と為す(ならなければせめてそう思いたい)、人間万事塞翁が馬(なぜかこれが父親が亡くなる日に語りかけてきた言葉)。

 コロナ禍以前、海外に行きながらも、他者に寄り添おうとせずに、「日本人に生まれてよかった」なんて感想を持つ人のなんと多かったことか。それでは、あなたの中の何も「移り動く」ことはないです。

 海外に行くのも一つのきっかけ。しかし、そのきっかけを通して、みなさんの何かが「移り動く」こと。そんな経験をして欲しいのです。
 他方で、海外に行ったことがなくても、他者から学ぶことで、自らの当たり前からちょっと自由になれれば、それは留学に匹敵するような「移動の経験」になるでしょう。

 海外に行けても、行けなくても。TOKECOMの国際コミュニケーション学科はそんな「移動の経験」をするところです。
 それで、私の研究はどうなったかって? それはまた別の機会にでも。

(小林誠)




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