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【日記】noteを辞めたくなる時と人生の知恵について

やめるやめる詐欺に見られてしまうこともあるのでこの手の発言はあまりしたくないのですが「フィンランドの情報発信を辞めてしまおうか」と思ったことは正直何回もあります


最初に言っておきます。現在辞める予定はありませんよー!

以前koma8さんから貰えたコメントが嬉しかったのでこれからも前向きにがんばりたい




どういう時に辞めたくなるのか

嫌な思いをしたのか?と思われそうですがそうではありません。

どんな時だよと言うとズバリこう。
「誰かが善意で発信した情報が間違っている」時。


どういうことだと疑問に思った方もいると思うので解説します。


自分はフィンランドの情報を発信するにあたって「他の人はどんな事書いているのか」や「●●についてはどう書かれているのか」を事前に調べてるようにしていました。

既に知られている情報を発信しても意味がないですし、誰かの記事と内容が重複したら相手側から何だか疑いをかけられてしまいそうです。


ただその下調べ時に"間違い"を見つけてしまいます。間違いとまで言わなくても「いや、そうじゃない」って思うこともよくあります。



もし仮に、情報発信者が悪意を持ってフェイク情報を流していると確信できるなら私は断固として抗議できます。

「みんな、惑わされるな!」という大義名分の元、バリバリのメタメタに相手を扱き下ろすかもしれません。(語彙力)
いや、面倒なのでそこまでは頑張らないかもしれませんが。



ただ問題は相手が善意で書いた情報に誤りがある、もしくは誤解を招く可能性がある内容を発信している時です。

その情報を元に行動したら損害がでてしまいそうな実害のある場合、もしくはフィンランドについてドヤ顔で語ってるけど間違えてる時なんかも無茶苦茶モヤモヤします。

悪意があるのはもちろん倫理的によろしくありません。
しかし悪意が無くてもは自分にとってよろしくないのです。



相手のデニムのジッパーが開いているのをうっかり見つけてしまう感覚です。教えた方がいいんでしょうか?


「モヤモヤするくらいなら調べなければいい」と「既に知られていることを書くのは時間の無駄に感じるので調べたい」の狭間で揺れていました。

その結果、原因を根本から無くしてしまう、つまりnoteやはてなブログの発信を辞めてしまえばいいと考えたりもしました。

でもそれはそれで何だか違うなと思い踏みとどまっているわけですが。



最近の妥協案としては他の人が何を書いているのか、何を発信しているのかを極力調べないことにしました。
よって今後は他の人の記事と内容がかぶったりするかもしれません

これからは交流のある方が書いた記事や、面白そうなタイトルの記事だけを見ることにします。




例えばこんな"善意"情報

善意だけど間違ってる?情報とはどんなものなのか、具体例を紹介します。


ケース1 フィンランド生活について

フィンランドには在芬日本人による「フィンランド日本人会」なる組織があります。自分は会員ではないし興味がないので詳細は不明ですが、不定期にイベントを開催したり何かしらの活動をされているとのこと。


日本人会の中には長くフィンランドで生活されている方もいるのでしょうか。そんな彼らの知識や経験を活かし、新・フィンランド移住者への情報提供として「フィンランド渡航&生活ハンドブック」も作成されています。

役員総出!なんだかすごそう。どんな内容かなと見てみました。



見終わった後はこうなったわけですが

静かにPDFファイルを閉じ、見なかったことにしました。



何故そう思ったのか、一つだけ無難な例を挙げてみます。

彼ら曰くフィンランドでは電子レンジ対応の食品用ラップフィルムは売ってないので日本から持ってきた方がいいとのことです。



・・・・。



大手スーパーで電子レンジ対応のものは売ってるわけでして。
わりと前から売ってる気がするので新商品!ってわけでもないと思います。

FREDMANのラップフィルムも電子レンジ使用可能のがあります

ちなみに「サランラップ」はダウ・ケミカルと旭化成が販売している商品名です。一般名ではありません
確かに"サランラップ"ならフィンランドでは全く売ってないです。
ただこれ自体は大きな問題ではないのでどうでもいいことですけどね。



そもそもの話ですがフィンランドでは日本ほど食品用ラップフィルムは使われていません。

温めるときはプラスチック製の蓋(Mikroaaltouunin kansi)が一般的です。

汚れてももちろん洗えます


食材の保存なら蓋付き容器を買えば、繰り返し使えてエコですよね

Orthexのは丈夫で、重ねて保管できるのでオススメ


郷に入っては郷に従えと全ての人に強要するつもりはありません。
しかし日本でのやり方をフィンランドでも変えずにやり通すのも何だか違うんじゃないかなあと思います。

フィンランドのスタイルを紹介したほうがいいのでは?が率直な感想です。


こういう場合って本当にどうしたらいいんでしょう。


日本からサランラップを大量に持って来る人がいないことを願います。

持ってきたい人は持ってきてもいいでしょうけど、持ってくるべき物は他にもあると思うので厳選しましょう。
前述したようにラップフィルムは持参しなくてもそこまで困りません。


このガイドブックに対して他にも言いたいことはあります。

しかしこれが作られた経緯は同郷の日本人達の助けとなって欲しいと思ったからでしょうし、そこに対しては敬意を払うべきだと思っています。
なので相手方に対してあーだこーだは言いにくいですね。




ケース2 ドヤ顔解説ストリーム

以前noteでフォローしていた方が「私の友達がフィンランド旅行の写真を見せながら旅の思い出を語る配信をするから見てね!」と宣伝していました。
たまたま時間が合ったので見てみることに。

ほんわかとした雰囲気で、旅行時に撮った写真をスライドで見せながら「あの時はこうでした~」「これ素敵でしたね~」といった穏やかな雰囲気で配信が始まりました。


フォローしていた方のご友人(配信者)は観光で来ていましたが、私がフォローしていた方自身はワーホリのフィンランド滞在者です。そのため観光客よりはフィンランドに詳しいと言えば詳しいです。

そのため写真や配信者の発言に対して「これ実はこうなんだよ」的なコメントを書き込んでいました。
フィンランド滞在者としての威厳、または親切さが混じった印象です。



でもそのコメントの内容が間違っているわけですよ。
つまり誤った情報をペラペラ語っています

配信中は内心ずっとこうだった


もちろん私は指摘はしませんでした。

なぜなら皆の前で間違いを指摘するというのはその人に恥をかかせる行為に当たる可能性があるからです。
そして本ケースは実害がないパターンです。誰も不利益を被らないならわざわざそのリスクを冒す必要がありません。



・・・そうだ黙って配信をみればいい。
モヤモヤするならコメントを見ないように配信を見ればいいだけだ。


しかし配信者にとってみれば友人のコメントなわけですから当然毎回コメントを拾うわけです。
「●●は□□なんですね~△△ちゃん教えてくれてありがとう~」みたいに。



こうして私は配信画面をそっと閉じることにしました。


そのコメントが無かったら配信は最後まで見たかもしれません。
そう考えると他人の領域での知識語りは一度客観視してから発言した方がいいのかなと思いました。




善意はどこまで看過するべきか

誰かが間違った情報を発信していても自分は黙っていることが多いです。

いや、だって求めてもいないのに意見してくる人って鬱陶しい時あるじゃないですか。間違いの指摘も同種になり得そうだなと思ってます。


小さいことであるならば「間違いを正すのは自分の仕事ではない」と言い聞かせて見ないふりをしています。それでも考えに考えを重ねた結果、ご本人に直接指摘したことは1回だけあります。



ケース3 フィンランドで働く際に役立つ情報?

その記事は情報が間違っているのはもちろん、その情報を鵜呑みにして行動したらお金や時間が無駄になってしまう可能性が高いものでした。

例えるなら家族や親族がいない天涯孤独な人に生命保険をおすすめするような内容です。メリットやデメリットといった情報を正しく明記せずに有料サービスのようなものを勧める記事でした。


そのため思い切って投稿者の方へ連絡してみることに。

とは言え、もちろん自分の認識違いの可能性だってあるはずです。
よって相手が間違っている前提を極力取り除いた聞き方を心がけました。

送ったメールはこんな感じです。

(挨拶)

記事◆◆について質問したいことがありメッセージを送らせていただきました。

記事内では●●は□□と記載されておりました。
しかし自分の認識では●●は□□ではなく△△だと考えています。

(自分の認識に対する説明)

そのため●●は□□としている経緯を知りたいと存じます。
後学のために教えていただけないでしょうか?


これを送ったところ、ただ相手から謝られてしまいました。

「誤解を生む情報を発信してしまっていたこと、そして情報のアップデートができていなかったこと、深くお詫び申し上げます。」


謝ってほしかったわけではありません。
実際自分は何も不利益を被ってないので相手が謝る理由はないのです。

「やっべ間違えてた!教えてくれてサンキュ!」くらいのノリでちょうどよい気がします。謝るのは間違えた時ではなく、相手に迷惑をかけたと感じた時ではないでしょうか。


もちろん「何も言わないでおく」も選択肢の一つでしたが、メリットの少ないものに対してお金を払い続けることを勧めているのは看過できない性分なためか指摘した形になってしまいました。
つまり私がクソバイス野郎になった瞬間です。

ちなみにこの件に関しては指摘だけでなく自分の意見も伝えた方がいいと思ったので記事を書いています。自分の記事の振り返りができたのである意味こちらが感謝したい気持ちだったりします。




知識だけで満足か

直接的に指摘したのは先ほど挙げた1件だけでした。

しかし自分の他にもフィンランドの情報を発信している人は多くいるわけですし、記事を書いているうちに間接的に間違いを指摘してしまったケースは何回かあります。


そのせいもあり「自分の方がフィンランドのこと知っている」と考え、顕示をしたい人に目を付けられてしまったこともあります。
ようはマウントされそうになったことがあります。

ちなみに現時点では絡まれていません。恐らく相手は飽きたのでしょう。

経験上そういった人は自分に自信がない人がするものだと思っています。
そんな人と仲良くなったり、認めてもらえたところで自分の人生には何の得もないので基本放っておくことにしています。



ただこの現象について少し考えてみました。
フィンランドまたは海外生活についてフォーカスを当ててみます。

知識と知恵の違い

「海外に住んだことがある」「海外留学経験あり」で自分に付加価値を付ける事自体は悪いことではありません。就職活動なんかではそれがきっかけで興味を持ってもらえるかもしれませんし。

でもそのステータスを自身のアイデンティティの一部とするはよくない傾向だと考えてます。


というのも、アイデンティティとして自信を持っている知識や経験が他者からの指摘によって崩された際に人は自身が否定されたと感じる傾向が強くなると思うからです。

もしそれを防ぎたいなら誰よりも多くの知識と経験を得るべきか、と問われたら可能なことでしょうか?
世界は広いのでそれがどれだけ難しいことは想像できますよね。

否定されたと感じたなら自分を出せなくなったり、時には相手に対して攻撃的になってしまうかもしれません。



海外留学やワーホリなんかは「自分に自信がない」「日本での生きづらさを感じる」「何がしたいのかわからない」といった考えで行く方もいらっしゃいます。特に若い人はその傾向が強そうな印象です。



そんな方達に言いたいことがあります。

海外に行った行動そのもので自己形成をしないでほしいのです。経験や得た知識だけで満足せず、そこから知恵に昇華することを忘れないでください

知識は知っていることを指すのに対し、知恵はそれを活かす能力です。


大切なのは「何を学び、それをどう生活や活動に生かすか」です。


こう書くと難しいことだと捉えられそうです。
でも日常の何気ない小さいことでも知識や経験を経て「こうしよう」と思って実践したのなら、それは一つの知恵になり得る可能性を秘めています。

例えばこれらの記事は知恵について書かれていると私は感じています。
よかったらタイトルを検索して読んでみてください。(フォロワーさんの中から抜粋させていただきました。)

※通知がいってしまうためリンクは貼っていません




海外生活に限った話ではありませんが、知識だけでなく知恵を身に着けようと実践して欲しいと思います。

たくさんの知恵が身につけば結果を出せるようになり自信にも繋がります。そして知恵の傾向から自分らしさなるものが見えてくるででょう。そこから自分は何が好きで得意なのかといった経緯を経て、最終的には自己認知や自己肯定に繋がるのではないでしょうか。

自己認知力が高いなら揺るぎにくい軸があるようなものです。他人から何かを言われても否定されたと感じずに、冷静に対応しやすいのではないかと思っています。

"大人になる"って、もしかしたらこういうことなのかもしれません。




これから

先ほども言ったように他の人が書いた情報は極力見ない方向でいくことにします。ですので他の記事と内容が重複してしまいそうですが、パクリ疑惑を持たないで貰えると助かります。

また知恵を身につける前に知識がないと始まらないこともあるため「フィンランドについてを知るきっかけ」についてはこれからも発信していきます。

でもどこかの段階で自分が得た知恵についてもいつか紹介出来たらなあと思っています。(恐らく先の話になるでしょうが。)




お酒飲みながら書くと若い人への説教みたいな記事になっちゃいますね。
しょうもない内容でしたが読んでいただきありがとうございました。

おしまーい!