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『振袖火事』〜もののけがたり』を振り返る。其の一〜

アカウントだけ作って、いつか何か書いたものでも公開しようと思いつつ、
これまでずっと放置も同然だったnoteですが、
思うところあって始めてみようと思います。
きままできまぐれな更新となることと思いますが。

『もののけがたり』と題して、
主に江戸期に伝わる怪異譚を朗読で楽しもうという企画を私が主催したのが、
かれこれもうなんと16、7年前。
朗読、といってもスタイルとしては落語や講談等をイメージしたもの。
お芝居をやっている仲間たちに協力してもらい、
実際に上演された時には若干演劇寄りの部分もありました。
テキスト自体も、音読することが前提なので、
それに合わせて、言葉の響きや伝わりやすさを第一に考えながら推敲するのは
難しくも楽しい作業でありました。
初回は東京は谷中の古民家カフェで二日間開催し、
五十席ほどでしたか、お座敷はおかげさまで満員。
冷房のない古民家で、今ほど夏が暑く無かったころだから出来たことですね。(それでも暑かった!)
今回公開するお話は、初演時も一本めで、
初演は片方良子さん、再演時は海原美帆さんに読んでいただきました。
だいぶお芝居からは離れた、語りが主体の体裁になりました。
『明暦の大火』として知られる、
実際に起こった大火事にまつわる不思議なお話ですが、
この火事自体も江戸の街の成り立ちに大きく関わった出来事で、
江戸・東京の歴史を紐解く時、何かと出てきます。
ご興味のある方はぜひ文献など当たってみてください。
今読み返すと粗もありますが当時上演したまま編集せずに掲載したいと思います。
落語で言う「枕」の部分でお煙草に触れているのも、
会場が古民家だったことに由来しています。

     ※     ※     ※

『振袖火事』



本日皆様にお集まりいただきましたこの家は、
何でも百年ちかくも昔からここにこうして建っているのだそうですから、かの太平洋戦争の折には東京大空襲、さらに溯っては大正時代の関東大震災の折でさえ燃える事無く生き残った建物ということでございます。
そんなわけなので、タバコをたしなまれる方、どうぞ土間の方でお願い致します。

「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言葉があるくらいで、
東京は江戸と呼ばれた昔から幾度となく炎につつまれてまいりました。
焼かれては再建し、再建してはまた焼かれ…
なにしろ建物のだいたいが木と紙で出来てるんじゃ仕方がないかもわかりません。そんな数多い江戸の火災の記録の中に、ひとつ、こんな話がございます。

明暦元年一月十八日、
本郷丸山の本妙寺という寺で、
上野のさる商家の娘の葬儀が執り行われました。
歳は十七の娘盛り。
新年早々の、しかもまだ歳若い娘の葬儀とあって、
参列した親族の悲しみは、なみなみならぬものでした。
運び込まれた娘の棺には、
当時のしきたりで、
故人が生前愛用していた艶やかな薄紫の振袖が掛けられておりました。
こうした遺品は古着屋に売られ、代金は墓掘り人足の手間賃や酒手になります。
この薄紫の振袖も、葬儀ののち、古着屋に買い取られて行きました。

さて。
時は移り、翌年、明暦二年の同じく一月十八日。
同じ本妙寺で葬儀が執り行われます。
今度は本郷のさる商家の娘の葬儀で、これも歳の頃は十六、七。
見れば棺に掛けられているのは、一年前と同じ、薄紫のあの振袖。
「不思議な事もあるものだ」と思いつつも、
和尚は滞り無く葬儀を終えると、
振袖は、また古着屋に買い取られて行きました。
しかし、不思議はこれからでした。

さらに一年ののち、明暦三年のこれも同じく一月十八日。
三たび若い娘の葬儀が行われ、
そして棺には、あの薄紫の振袖が。
二度までは偶然でも、三たび続くのはただならぬ事だ、と、
和尚は死んだ娘たちの親族を集めていきさつを話し、
「かような出来事に何か心当たりのある者はないか」、
と一同に問いただすと、
しばらくの沈黙ののち、
初めに死んだ娘の父親が、
ついにその重い口を開きました。

それは桜の花咲き誇る春の盛り、
とある神社の祭礼に賑わう人ごみの中、
娘は、ひとりの美しい若者を見初めました。
若者の身元は遂にわからずじまいでしたが、
まぶたの奥に焼き着いた凛々しい姿を、娘は忘れる事ができません。
いつか自分がその若者の目に留まるように、との願いを込めて、
若者の着物に入っていたのと同じ紋を入れた、
薄紫の美しい振袖を仕立てさせました。
出かける折には必ず袖を通すのはもちろん、
家にあっては吊るした振袖を眺めながら、
ひとり物思いに耽ったり、また涙を流したり…、
寝ても覚めても、一目会いたさに思いを募らせ続けた娘は、
いつしか食事も喉を通らぬほどに恋にやつれ、
果ては病の床に伏し、
とうとう死んでしまった、というのです。

この話を聞いた一同の顔はサッと青ざめました。
聞けば、続くふたりの娘たち、
古着屋で件の振袖を買い求め、袖を通したその日から、
まるで熱に浮かされたようになると、
しきりとうわごとに「あの方に会いたい」などと口走り、
部屋に隠ったまま、昼夜を問わずたださめざめと泣いて、食事も摂らない。
「あの方」などと言われても、そのような者に心当たりもまるでなく、
困惑する親達をよそに、日ごとに弱ってゆくと娘は、
そののちやがて床に伏し、果てはやつれて死んだのだ、と言う…。
これはまさに、先の娘とそっくり同じ、
さては死んだ娘の妄念があの振袖に宿ったものか、と、
一同は和尚に振袖の供養をお願いします。
快諾した和尚、早速、護摩を焚き、読経して、
いよいよ振袖を火中に投じた、その時。
ザザッ!とにわかにつむじ風が吹いた。
炎を纏った薄紫の振袖が、ふぅわり、まるで生き物のように宙に舞うと、
まずはお寺の本堂の屋根へ、ひらり。
見る間に本堂が燃えてゆく。
と、振袖がまた、ふぅわり、
何処へともなく飛んで行く…。

本妙寺から上がった火の手は、
折からの風に煽られ、忽ちのうちに燃え広がると、
湯島へ、駿河へ、川向こうへとその紅い指先を伸ばし、
明くる日もまだ収まらず、伝通院近くへ飛び火する。
ふた刻と待たずに千代田のお城の天守閣を焼いて炎は、
また飛び火して今度は麹町から虎ノ門、
遂には芝増上寺の半分を焼いて海岸へと至り、
江戸八百八町総てを残らず焼き尽くすと、
三日目の朝、ようやく、おさまりました。
この『明暦の大火』、一説にその死者十万八千人。

恋した娘の一途さが、
死しては執念と変じ、
ひとり、またひとりと同じ年頃の娘を祟る。
死んだ娘たちの想いは振袖に宿り、
想いは寄り集まって、さらにその力を増す。
振袖に宿るその力は、
自らを調伏せんがための炎をもその身に纏う。
次々と飛んで行くその先ざきで、
振袖は、火の粉を振りまくと
炎は燃え移り、燃え広がっては勢いを増して、
二日ふた晩絶える事無く、
家々を焼き、逃げ惑う人々の命を呑み込んでなおも燃える。
町を焼く紅いろの照り返しを受け、
自らも炎に包まれた薄紫の振袖は、
愛しい人を探し求めて、
吹き上げる風に乗り宙を舞う。
そして振袖は、逃げ惑う人々の中に、
遂に、想い続けたその人を見つけ出し、

ふわり、

覆いかぶさるとこう、ひっし、と抱きしめて離さずに、
愛しい相手もろともに、
文字通り、恋の炎にその身を焦がす…。

果たして焼け落ちてゆく街の中を、辛うじて生き延びた者のうち、
そんな様子を確かに見た、という者がいて、
目の当たりにしたその恐ろしい光景を、
余さず巷に伝えたのでしょうか、
禍々しくも美しい思いを宿したこの振袖の噂は、
瞬く間に町じゅうを走り抜けると、
いつしかこの大火災は『振袖火事』と呼ばれるようになり、
真相はついに明らかにされぬまま、
その怪しい曰く所以は長い長い時を経たのちは、
もはや事実として人々に語り継がれ、
だれひとり知らぬものは無かったということです。

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