見出し画像

通り雨が降った4月の夜

4月のとある土曜日。

昼過ぎに目を覚ました僕は、仕事の疲れからか一歩も家から出る気になれなかった。

洗濯だけはしないと思って重い腰をあげたはいいものの、

干し終わると自動的に身体がお布団と人をダメにするソファを目指していた。

まるで巣のごとく、一度戻ってしまうともはやすべての活力を奪われて身体ごと沈んでいく。

たまにはこういう日もいいか、とそのままぐーたらしていたら、

気づけば日が暮れてしまっていて時計を見れば時刻は18時。

怠惰

という言葉がよく似合いすぎる1日を終えようとしたとき、きみから連絡がきた。

「お寿司食べてる」

ーーーーーーーーーーーーーーー

人間の五感と記憶は密接に関わり合っているということをどこかで聞いた気がする。

思い入れのある場所を通りがかったとき、

懐かしい香りがすっと鼻を通ったとき、

思いがけず懐かしの音楽が聞こえてきたとき、

あの時、食べたものの味、感触。

現在進行形でその出来事が強く自分の記憶に残るか残らないかはわからない。

過去を振り返った時、今でも鮮明に思い出せる記憶もあれば、

仮に記憶に残っていたとしても色あせていくこともある。

良い思い出ばかりが色褪せていくのはなんでだろう。

ニンゲンって不思議。

僕の場合は記憶が音楽と場所と連動していることが多い。

多分それは、気分に合わせてお気に入りの音楽をお供に、何処かに出かけるのが好きだからかもしれない。

散歩だろうと、ドライブだろうと、目的地が決まってない外出だとしても、大抵音楽を聴いて出かける。

その日の気分や感情に合わせて曲を選ぶこともあれば、

いろんな曲をランダムで流すことも多い。

直感で好きになった曲の歌詞を後でゆっくり読んで、プレイリストに追加する。

そんなことを繰り返しているから、あの出来事があった日には、あの場所で、この曲を聴いていたな。

そんな風に思い出すことが多くあったりする。

こう書くといつまでも過去に囚われているような気がしてしまうけど、僕は今の自分が気に入っている。

仕事を頑張って、休みに好きなことをして、興味が湧いたことに触れてみて、会いたいと思った人と会って話す。

それは当たり前じゃない幸せなんだ。

28になって新しく世界が広がるって、良いことだよな。

ーーーーーーーーーーーーーーー

きみの下へ向かうまでの道のりでももちろん、音楽を聴いた。

「緊張しなかった」と言えば嘘になる。

その緊張を抑えようとしたのか、はたまたいつものルーティーンだったのかはわからない。

それでも不思議と落ちついていられたのは、多分きみだったからだ。

「初めて会った気しないでしょ。その自負だけはあるんだ。」

すっかり聞き慣れたいたずらっぽく笑うきみの声と初めて見せる笑顔に、僕は「うん。」としか返せなかった。

それだけきみの目は、まっすぐで綺麗だった。

みんながきみの周りに集まる理由がわかったし、いつだったか「天性の愛嬌だ」という言葉をきみに送った先生の気持ちがわかったんだ。


きみは知らないと思うけど


あの日食べた漬けまぐろには、ほんのり柚子が効いていたんだ。

東京駅を通るたびに、そして東京タワーを見るたびに、ふときみのことを考えるんだ。


今日は、どんな道をスキップしてるんだろうってさ。

たぶん、これからもきっとそうなるんだ。


なんでもない、なんでもないと言い聞かせても

この記憶は五感を通じて鮮明に残るだろう。

あの日聴いた音楽と共に。

こんな僕と繋がってくれて、ありがとう


そんな、通り雨が降った4月の夜。


この記事が参加している募集

ほろ酔い文学

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?