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遺書を書くまで追い詰められた時の心境

僕の記事を初めて見る方用に軽く自己紹介します

31歳、男、去年11月から父親の会社(車関係)で働くことになり、理不尽な怒鳴りつけとほぼ休みが無い日常を6月中まで続けていました。

ちなみに過去に20歳の時に自殺は1回失敗しています。
只、その時の心境と今とでは全然違いました
20歳の時は、毎日「死にたい」「死にたい」と誰かに言っていました。
明日には死のう、明日には死のうと思いましたが、今思えば、その時の心境は
本気で死ねないと本心で分かっているけど、明日死ねると自分に言い聞かせれば楽になると思っていたのでしょう。
なので、部屋の掃除をすることもなければ、最後に誰かに感謝をすることもなかったです。
そして、特に病気は何も無かったです。

今回は違いました。
今は双極性障害、円形脱毛症にかかっています
そして近日に2回倒れました。
1回は倒れた自分を社長が見て、病院にいかせてもらい、その時に双極性障害と、円形脱毛症である事を伝えましたが、結局その後暫くは休ませてもらえませんでした。
休ませる気がないと知った事に、社長として、親として失望をし、自分の将来について今までになく絶望しました。


今回は、その限界まで追い詰められた時の心境や考え方を書き出していきます。
僕のフォロワーさんは、精神病の方や、メンタルが弱い方が多いと思います。
なので、参考になるかは分かりませんが
僕の限界の状態を知り、僕のようにならない為にはどうするかを考えて頂きたいです。

ここからが僕のその時の心境になります。↓
このままなら生きていても意味が無い。
そして誰にも邪魔されたくないと思いがあってか、誰にも言わなかったです。
誰にも言わない所が、本当に覚悟出来ていたのでしょう。
遺書を書いたのも初めてでした。
そして、僕は、人生で一番であり唯一の理解者、母に少しでも迷惑をかけないように家の掃除をし、死ぬ時も家では無く、沖縄で沢山の方が自殺に成功している所で、自殺しようと考えていました。その場所で噂されているやり方でやれば成功出来るとも思っていたのでしょう。

そして母と、最後に連絡を取りたくなった二人と連絡を取り、死のう。
と思いました。
一応、まだ人生に希望は沢山あることを知っていたんですよね。
31歳だけど今からでも転職して生活出来る。
生活保護を貰うという選択肢もある。
などがある事は知っていたんです。
只、生きるだけが全てではない。と思ったんですよね。

そして、本当に色々と準備している時に、社長が何かを感じ取ったのかは分かりませんが、「日曜日は休みにするか?」と言ってきました。
僕の中で奇跡が起きました。
「髪を切りに行く時間が欲しい」と言ったら、休みなんて滅多に無いのに「そんなのは休みの日に行くもんだ!」とブチギレるような社長が休みをくれたんです。
その時の僕の中の死ぬ気持ちは1ミリも変わりませんが、貰えるなら休みを貰おう。と思い、日曜日に休みをもらいました。
と言っても、また月曜日から1日10時間働かないといけませんし、その日曜日も、
2回店に呼ばれました(すぐ帰れましたが)

そして、僕の心境が変わっていったのはその月曜日からです。
運良くとは言わないですが、結膜炎になったんです。感染のリスクがある為、流石に家で安静にする事になりました。
そして、その次の日、後頭神経痛という病気(頭痛?)にかかり、今までに無いぐらいの頭痛が起きました。
ずっと休みが無い状態でいきなり休む事になったから、副交感神経が働いたり、ホルモンバランスが崩れたりしたのかは詳しく無いのでわからないですが、多分休みをもらえた事は関係あると思います。

なので体調は凄く悪いですが、それよりも何日も仕事に行かなくていい!という思いの方が遥かにデカかったのです。
そして、ずっと家にいるので、色々と考えることもあり、次第に、希死念慮(死にたいと思う気持ち)がなくなっていきました。
今は、結膜炎も、その後頭神経痛も良くなってきて、記事をかけるようになったという状態です。

恐らくですが、流石にこれからしばらくは日曜日も休みをもらえる、そして次の出勤は身体的には万全。という事になりますので、少しずつ何かは変わっていきそうです。

ここまで読んでくださり有り難う御座います。
本当はもっと書きたい事があるのですが、話がずれていきそうだったりさらに長文になったりするので、次の投稿に分けていきます。

内容は、
「生きるだけが全てじゃない」
「死にたいと思えば呟いた方が良い」
という記事で投稿します。

どちらも、精神が限界まで追い込まれた時の気持ちで、決して死ぬ事をオススメする投稿では無いという事を理解して頂きたいです。

記事が完成次第投稿していきます。

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