大人になると誰も忠告や助言をしてくれなくなる
大学生くらいになってくると、周りの人達もほとんど成人しているので、社会性というものが身についてきます。
一部例外的な人間もいますが、ほとんどの人は自分がした言動の責任が発生してしまうことをよく理解しています。
そのため、他人の失敗や間違いがかなりの確率で発生するという場合であっても、忠告や助言をしようとしなくなります。
このまま行くと危ないなとか、このままいくとこの人は失敗するだろうなと思っていても、ほとんど何も言いません。
他人ですから。
それに、実際にそうなるかどうかもわからない状況で、自分の一方的な予想を述べるのも気が引けます。
失敗するだろうとは思うけど、盛り上がっている人に水を差すのも失礼なので、静観することにします。
それが理性的な大人です。
また、言っても理解できないであろうと思われる人にも言わなくなります。
大人になると自分の人生で忙しいので、人の言うことを聞けない人にわざわざ時間を費やすほど暇ではなくなるのです。
そうやって少しずつ自分の周りにも忠告や助言をくれる人たちが減っていきます。
最終的に残るのは、お節介な変な人か、別の目的がある人か、本当に自分を想ってくれている人くらいです。
お節介な変な人は、大抵聞くに耐えないトンチンカンな助言をしてきます。
別の目的がある人は、自分又は第三者の利益のために助言をしています。
本当に聴く価値があるのは、本当に自分を想ってくれている人の話だけです。
しかし、それを見分けるのは、大人になっても難しいことです。
なぜなら、別の目的がある人たちも、あなたのことを本当に想っていっていると装ってくるからです。
何人もの人を騙したことがあるプロの詐欺師の演技を見抜くのはかなり難しいのです。
結局のところ、大人になると忠告や助言をしてくれる人がほとんどいなくなり、かろうじて現れた人の忠告や助言も本当に聴くに値するかわからないのです。
これは親や親戚からの忠告・助言でも同様です。
むしろ、身内の方が間違った忠告・助言をすることが多いくらいです。
だからこそ、最終的には自分で情報を集めて、自分でメリット・デメリットを洗い出して、自分で決断を下すしかありません。
本当に価値のあるアドバイスをしてくれる人に出会える確率は極めて低いし、自分自身にそれを見極める能力もないことがほとんどなので、自分で調べてリスクヘッジをするしかありません。
それができるようになるためにも、相当な時間を勉強(調査も勉強に含まれる)に投資するべきです。
勉強という行為は、しなくてもいい失敗やしてはならない失敗を避けるための活動です。
未来の自分の利益を守るために、日々学習しましょう。
客観的な事実を集める能力、それらを客観的に分析する能力、統計的に考える能力など、様々な能力を身に着けて、効率よく生きられるようになっておけば、かなり生きやすくなると思います。
さて、ここからは余談ですが、私は他人の人生の節目に出会うことがよくあります。
年間を通して助言を求められることも多くあるため、その都度悩みます。
どこまで話して良いものかわからなくなるからです。
思いのままに話すと絶望を与えるだけで終わることが多いですし、何よりその人の「現時点での」能力を否定すること繋がるので気分を害される可能性が高いです。
だから、オブラートに包まないといけないと思うのですが、私の脳機能の一部に障害があるので、このオブラートがわからないのです。
それに、私が他人として客観的に見ている景色と、本人が本人の視点で見ている景色が全く異なるため、話しても伝わらないことがほとんどです。
それゆえに、助言をすることに強い抵抗感があります。
過去の経験上、言ってわかる人なら言う前に自分の日常に違和感を覚えていることがほとんどなので、現時点で何も違和感を持っていない人に助言をすること自体にあまり意味がないというか、助言をする側だけリスクを背負う状態になるので、こちら側にあまり言うメリットがないのです。
また、相手の話や考えを聞いていると、その人が他人の助言などを素直に聞ける器がないことに気づくことも多いです。
他人に助言を求めてきている目的が「自分を肯定してほしい」という点にあるような人たちです。
もちろん素晴らしい活動をしているなら全肯定しますが、大抵は誤った考えと方向で努力しています。
そんなとき、なんて言ってあげればいいかわからなくなります。
目の前にある果実をりんごだと思っている人に、それバナナやでと教えてあげるのは難しいのです。
他人から恨まれたいわけでも、争いを起こしたいわけでもないので、そういうときは助言をすること自体を断ることが多いです。
断っている時点で察して欲しいという願いも込めております。
他にも、他人のキャリアに関わることで助言するかどうか迷うことがあります。
年齢的にもう手遅れになりつつある人に、最後のチャンスとして特定の挑戦を促すかどうかという場面です。
その場面では、数日間よく考えて、結局静観することが多いです。
言って伝わった経験がほとんどないからです。
30代に入るまで挑戦をしてこなかった人が、他人の助言一つで変われるなら、みんな成功者になっています。
挑戦すべき挑戦から目を背けたり、他人からの助言やヒントをすべて見逃してきたからこその今です。
そこに対して他人がとやかく言うことはもうないです。
こういう助言する側の心情やリスクも理解しておくと、もしかしたら良いアドバイスをもらえるヒントが隠れているかもしれません。
ちなみに、私は数年前から、助言する際は原則お金をもらうようにしました。
それによって、タダで有益な情報だけをくれよ!という人たちと関わらなくて良くなるという利点があります。
こういう人たちに助言をしても意味はないですし、助言を活用できることもないので、関わらないのがベストです。
もう一つの利点は、聴く側が本気で聴く姿勢を作ってくるという点です。
少ないながらもお金を払っているので、相手もその元を取ろうと真剣に人の話を聞きます。
そういう人たちは、助言をしたあとにちゃんと行動をするので、助言をする価値があります。
私自身も、先輩方に助言を求めるときは、時間単価でお金を支払うようにしています。
今のところ、その方が双方にとって有益だと感じています。
お互いに真剣に話をするし、聴くので、1時間の価値が数倍以上になります。