桜にまつわる言語。
イギリスにも桜がある。
あるという範囲を超えて、うちの近所では結構どこそこに見られる。と言っても山にはないが。いや山自体がない。というのはウソで、イギリスにある山はせいぜい1000メートルくらいの高さで岩がゴロゴロ、ところどころにHebeや棘のある低木などがところどころにモサモサもさーっと茂っているような山だ。
早くも話がそれてしまったが、イギリスには自然に育っている桜もある。チェリープラムやブラックソーンのような実がなるすもも系の桜である。しかし道端や公園に植樹されている観賞用の桜、いわゆるチェリーブロッサムは、やはり日本から来たらしい。この桜輸入の歴史を最初に作ったのが、1880年ロンドン生まれの鳥類研究家及び桜研究家であるコリングウッド・イングラム(Collingwood Ingram)という人で、第一次世界大戦が終わった1919年あたりからかなりの熱を入れて研究し、イギリスに持ち込んだらしい。ありがとう、イングラムさん!
とはいえ、実は私の家の周りで見られるチェリーブロッサムたちは、日本のそれとはちょっと違う。日本で見るような風情のある情景にはどうもならない。なぜだろう。
一つの原因に、剪定が違うことが挙げられると思う。イギリスでは多くの桜が車道の脇に植えられていて、そのためにシュッと上に長く育てられているのだ。公園にある桜はもう少し自由に横に枝を伸ばしてはいるのだが、やっぱり下の方の枝が剪定されている。たまに桜の枝を惜しげもなく切っている役場職員を見かけると、桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿…とついつぶやいてしまう日本人。まああれは見た目のことではないらしいけれど。
さて、なぜ「桜」の話題なのかと言うと、もちろん周りで桜が咲いているせいなのだが、ちかごろ読んだ本の中に、こんなことが書かれてあったのだ。
こんなことを言われては、桜を愛してやまない日本人、そしてオノマトペを操る日本人としては、もう得意げに語らなくてはいけない! くらいに気分が盛り上がってしまった。
桜といえばどんな言葉が思い浮かぶだろう…
蕾が膨らみ始めてああもう咲きそう、
一分咲き、二分咲き…
桜前線…
マンカイ!
散り始めたなら、
ちらちら
ちらり
はらはら
はらり
ひらひら
ひらり
ふわ ほわ ほろり
ぶわーっと風吹きゃ
桜吹雪!
ぼとり…
桜の絨毯を
しっとりしっとりと歩く…
ちょっと調べたところ、桜をあらわす言葉だけでもこれだけあった。
さくらの歌だって山ほどあるし、和歌で有名なところで言えば、
ー 桜の花も色あせてしまった、春の長雨の間に。それと同じに、世を過ごし、物思いにふけっている間に、私の若さもおとろえてしまった。
ー 世の中に一切、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに。
ー 私があなたをしみじみいとおしいと思うように、あなたもわたしを、しみじみいとおしいと思っておくれ、山桜よ。花より他にわたしの心を知る人もいないのだから。
こんなのもあった! 小林先生!
ちなみに私のお気に入りの桜にまつわる話はこれ。どっかで読んだだけの記事だったが心に残っている。
ある小さな男の子が、朝、お母さんの自転車の後ろに乗って幼稚園に行く途中で、桜の花をじーっと黙って見ていたんだそう。お母さんはしばらく返事もしない男の子に、なんでそんなにずっと見ているのか尋ねたんだそう。そしたら、男の子が、
「ママ、だって僕はまだ一生で5回しか桜を見ていないんだよ。」
と言ったんだそう。5歳の春に。
そうだよなーそうだよなー、と思った。80歳まで生きたって80回しか桜は見られないんだよな。
4月に学年が変わり、新年度が始まる日本は更に桜の背景とともに人生の物語が動く。昔から日本人が桜を眺めているときには、それはそれはいろんな言葉や思い出が、頭や心の中に浮かび上がっているのだ。雪を眺めてもそう、雨に降られてもそう、風の音を聞いてもそう。いつでもそれが言葉になってものがたりになる。
そんなとき、ああ、日本人に生まれて本当によかったと、思う。こんなふうに自然を文字にしてより趣を持って感じることができることは、人間として生きている中で本当に大きな喜びだと思うのだ。
さあ、今年も桜を楽しもう。
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