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「怒ってはいけない」の呪縛

先日、久々に息子を人前で怒鳴りつけた。
投げつけた言葉は、「ばっかじゃないの!?」


人前で怒り飛ばした日

息子は自転車と電車で学校に通っており、定期的に自転車置き場と定期の更新がある。自転車置き場は毎月、定期は半年分とても高額なので一緒に行きカードで支払うのです。

その日は、前日から予定が詰まりまくっていたのを、隙間を見つけての時間。
この後も息子の予定のために長距離運転することになっている。

更新のために自転車の息子と駅で待ち合わせて、さあ更新手続きだ。
と思っていたら、なにやら息子の挙動がおかしい。
自転車置き場のおじちゃんが「定期だしてー」といったのに、キョトンとしておる。継続は定期がないと更新できないのです。

「定期・・忘れた」

えっと、今なんと?
JRの定期は?もちろんない。

「てか、JRの定期もだっけ?今日?」とか、とぼけてやがる。

(心の声が漏れだした)
ねぇ、何のために私はここに来たのかな?
忙しい中、あんたのために隙間時間を生み出してんだよ
昨日散々文句言っていたのは誰だ(前の日も揉めていた)

言い捨てた言葉は・・・

一旦家に帰れ。
ほんと・・・

ばっかじゃないの!?

とおじちゃんもいる中で言い捨て、
イライラしたまま駐車場に向かう私。

息子に後から聞いたら、おじちゃんから
”気の毒に・・・”という目で見られていたらしい笑

久々に人前でブチギレたこのエピソードをインスタに投稿したら
「ふみさんも、怒ることあるんですね!」
「怒るの想像できない!」
と、自分では意外な反響が多くきまして・・・

私は普段どれだけいい人を見せているんだろうか。
なんてことを思ったりしながら、

怒ってはいけないという呪縛

「怒ってはいけない」という呪縛にかかっていた頃を思い出していた。

「怒る」ということはとてもネガティブなもの。
って思わされてますよね、私たち。

自分の気持ちを伝えたいだけなのに、「怒る」と、全て自分が悪い気になったり。
子どもに注意をさせるためなのに、「怒る」ことで悪い親だと自己嫌悪したり。
正しいことを言っている自信があっても、「怒ってしまった」ことでモヤモヤとしたり。

私はそんな状態の時を「怒ってはいけない」の呪縛と呼んでいる。

「怒ってはいけない」のに、怒ってしまった。
またやってしまった。なんであんなこと言ってしまったんだ。
もう私は、だめだなぁ・・・
と、自責のループにはまりとても苦しい時間。

そして、そのループにハマっている自分にもイライラと怒っている。

怒ってしまうを想定内に

今は「怒ってしまう時もある」と思っている。
(怒ることを推奨しているわけではないよ)
「怒る」ことを想定内にして、その時どうするか?を考えるようになってから、
不思議と怒るループにハマることは減ったように思う。

なので、人から見たら「怒っていない」と思われるのかもしれないね。

怒ってしまうとの付き合い方

このどうするか?なんだけど、私が決めていることが二つある。

①絶対に言わない言葉を決めておく
 どんなことがあっても言わない言葉を明確に決めておくことで、最低限を守れる
 怒りの勢いで取り返しのつかないことにならないように。
 その場だけの言葉でも心には刻まれてしまうから。

そして、「ばっかじゃないの!?」は、本当に余計な一言。
センスもなーんもない。
もうちょっとマシな言葉にしたいものです。

②オープンにネタ話にして昇華する
 こういう時、本人も含めて人にオープンに笑って話せることが後を引きずらないと思うんです。
この日も、この後お会いした息子の友だちのお母さんに、さっきブチギレちゃって!ってとネタに。
そうはいってもお母さん怒んないでしょ。っていってくれたのに、
「いや、いつも怒ってる」って素直に答える息子よ・・・笑
そう、笑い飛ばせる怒りは大したことないんだよね。
だから自己嫌悪に陥る必要はなくて、そこからどうしていこうって考えたいね。

コーチングを学ぶようになって「怒り」との付き合い方が上手くなったように思う。

自分が何に傷ついて、何に悲しくて、何をわかって欲しいのか

それをきちんと把握できるようになったのが大きい。
自分のことを知る。
がとても重要なんだよね。

アンガーマネジメントでも、怒りは第2感情で大切なのは第一感情を知ること。
って、いうのがセオリー。

全ては、自分の中にあるのだ。


トラストコーチングスクール


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