TOIROGUE #1「自分らしさ」レポート ~自分らしく在ること自体に良し悪しはない?~
トイログ運営のオノです。
5月8日(金)、TOIROGUE #1 「自分らしさ」を開催しました。
TOIROGUE と名を冠してから初めての開催です。
6名の方に参加いただき、皆さんの熱心な発言に助けられとても深い場になったと思います。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
◆オンラインで対話は成立する? …成立する!
オンラインミーティングを実施することが当たり前になってきましたが、パソコン越しの会話だとその特性から、複数のキャッチボールが同時並行で行われることは殆どないと感じませんか?
仕事上の会議だとむしろ生産的になりますが、雑談はしにくいと言えます(オンライン飲み会をやったことがある方は実感されたことがあるかと)。
一度に1人しか話せないので、発言がなかなかできないまま聞き役で終わってしまったり、通信のモタツキなどで音声が途切れてしまい話についていけなくなったり。
オンラインでTOIROGUE を開催するにあたり、この問題にどう対応するかは一つの悩みどころでした。
対応策は色々ある中で、今回はMURALというホワイトボードツールを使用することにしました。
MURALは、ブラウザ上で参加者全員が文字を書いたりポストイット型のメモを貼り付けたりすることができる疑似的なホワイトボードです。
私の方であらかじめいくつかのフレームを用意しておき、進行に合わせて枠の中にを発言を書き出したり、それぞれが問いの答えを書き出しながら対話を進めました。
やってみた感触として、口頭で会話が行われつつもメモのやり取りが別で起こるなど、パラレルにコミュニケーションが生まれるようになったと思います。
また、書かれていることを見直せば話の筋が掴めるため、遅れて参加した方や離席された方も比較的会話に追いつきやすかったようです。
もともと、オンラインでの会話だと否応なしに聞き手は相手の声に集中するようになりますし、話し手は明瞭で簡潔な言葉を選ぶようになります。
それもあって、MURALのサポートを得るだけでも、オンラインでの深い対話は十分に成立すると実感することができました。
◆自分らしさにまつわる問いの数々。
自己紹介とチェックインの後、問いのブレインストーミングを行いました。
「自分らしさ」という大テーマについて、皆で話しあうための問いです。
・自分らしさとは何なのか?
・どんな時に自分らしさを感じる?
・自分らしくない状態っていいこと?悪いこと?
・自分らしく在りたいと思って在る姿は、自分らしいと言えるのか?
など、色々な声が挙がりました。
今になって振り返ると、すでのこの時に「自分らしさ」という言葉の意味がそれぞれで異なっていることが分かります。
自分らしくあることを良しとして憧憬を抱いている方もいれば、「自分らしさと性格や気質の違いは?」など自分らしさという言葉の意味そのものを掘り下げる方もいます。
問いのブレインストーミングは、ただ話し合う問いを決める作業に収まるものではありませんでした。
なぜその問いを立てるのか?
皆さん、自分の意図を包み隠さず話していただき、その言葉に対して共感したり、質問をしたりする中で問いの形はどんどんと変わっていきます。
最終的に、
・自分とは何なのか?
・自分らしさはいつ生まれるのか?
・自分らしく在ることは幸せなのか?
といった問いに落ち着きました。
◆自分らしさは一つじゃない。
皆で立てた問いについて自由に話をしていきます。
参加者の方が、「昨今のコロナの影響で仕事の在り様が大きく変わり、そのことがストレスになっている」といった旨の発言をされました。
ストレスを感じるのは、自分らしくないと思うからかもしれない。
本当はこんな状況でも楽しくやり過ごして自分もSNSで何か発信したり。
こういう状況を楽しめるのが自分だったはずなのに、そうできていない。
少し大げさに書いていますが、
自分らしさとは「自分が自然にいられる状態のことで、その状態で居られないと自分が抑圧されて苦しく感じるもの」という一つの解釈が提起されました。
この提起を皮切りに対話が深まっていきます。
別の参加者の方が、
「でも自分らしさってひとつではないよね」
と仰いました。
仕事の場での自分と、家庭の中での自分は結構違う。むしろ真逆。
でもそれはどちらも自分で、どちらかが偽っているわけではない。
するとまた別の方が、
「自分らしくない自分の方が、周りの人を幸せにできそう」
と言いました。
仕事をしている時は仕事で求められる振る舞いをしている。でも生身の自分より、そう振舞っている自分の方が絶対に周囲に貢献できる。
自分らしい状態=ポジティブ、自分らしくない状態=ネガティブという漠然とした先入観は、大なり小なり誰もが持っていることだと思います。
そうではない考え方に、ハッとされた方も多かったようです。
自分らしさとは一つじゃない。
ある場面での自分、別の場面での自分。
無理に自分はこうだと決める必要はなく、ある意味で「自分らしさ」の呪縛から解き放たれることが本当に自分らしく在るということなのかもしれません。
◆自分をフラットに認知し、物事へもフラットに対峙する。
かく言う私は、仕事と家庭、というよりは「外」と「内」で大きく異なる二面性を持っている方だと自覚しています。
皆さんとの対話を通じて、自分が「自分らしさ」について考える時、その根底には「仕事場での私はかなり無理をして振る舞っている(本来の自分ではない自分を演じている?)」という決めつけが色濃く存在していることに改めて気づかされました。
TOIROGUE の第一回目のテーマを自分らしさにしたのは、そういった自分の振る舞いにある種の疑問を持っていたからなのかもしれません。
対照的に、自分らしさに対してフラットに向き合っている参加者の方は、
・仕事をする時は相手と自分をフラットに見て、どうするかを考えている。自分を押し殺すわけではなく、客観的に眺めて行動を決めている。でもその結果相手からは「あなたらしい仕事だね」と言われたりする。何をもってフラットか、というところに自分らしさが混じっているのかも。
・自分らしさというか、本能のままに行動したら社会的成功は得られないことも分かるし、社会的成功を得るためにはある程度自分を抑えないといけないとも分かっている。いい塩梅のところが段々と分かってきている。
といったことを仰っていました。
自分らしさとは、追い求めるものではない。
そもそも自分は生まれた時からそこに存在していて、それ以上でもそれ以下でもないはずです。
「自分らしくない」と苦しい気持ちが芽生えた時は、落ち着いて自分を俯瞰してみるといいのかもしれません。
その「自分らしくない」自分を演じている環境では、苦しいことばかりなのだろうか?
きっと、そんなことはなくて、楽しいこともあるはず。「自分らしくない」場でも、楽しいと感じる自分もいる…。
自分らしく在ることそれ自体には良いも悪いもないのだと思います。
心地よいか心地よくないかの違いはあれど、それはきっと自分らしく在ることとは別のところに原因がある。
フラットに自分を見て、フラットに振る舞うこと。
自分の生来の気質や欲求と異なる行動を取ったとしても、それはただの選択であって自分を押し殺していることでは全くない。
色々な自分があって良い、そのことが肚に落ち、第一回目のTOIROGUE は参加者の皆さんの言葉から沢山の気づきを貰う場になりました。
次回 TOIROGUE #2 「恐れ」は5月20日(水)です!
次回のテーマは「恐れ」。
こちらも奥深い話ができそうです!
すでに最低開催人数以上の方にお申し込みいただいおり、実施確定です。
ご参加いただける方は、是非↓のPeatixからお申し込みください!
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