「#私は私のここがすき」がもっと広まればいいのに
タイトルの通りです。
お題タグ「#私は私のここがすき」の考え方、良いなあと思うんですよ。
自分以外の「ここが好き」を語るのは、比較的難しくないはず。
家族、恋人、推し、などなど。
でも、自分以外の存在を大切に思う感情は、自分自身を大切にすることとワンセットじゃないと、いつか依存へと進化を遂げて破綻する。
そんな危うさを含んでいる、というのが私の主張です。
「私は私のここが好き」を掲げた記事。
気合いを入れたものじゃなくても。
自虐ネタや日記など、とっつきやすい話題から気軽に使うことをきっかけに、自分を肯定する価値観が広まればいいのにな。
そうやって、ささやかながらも自分を好きになれたら。
そういう人が増えたら、世界は今よりも優しくなるんじゃないか。
大げさかもしれないけど、そして綺麗事かもしれないけど。
そんなふうに思っています。
一方で「書き手を選ぶお題」という意見も分かる。
一人称「私」だし。
ひらがな表記の「すき」も、なんでひらがなにしたん?? って正直思うし。
記事投稿前のハッシュタグ入力画面で「私」って入れないと候補として出てこないこともあり、一人称「私」を使う習慣のない人は出会いようが無いお題なんですよね。
「私」以外だと「好き」でも出てくるけど、ひらがな表記の影響で使用を避ける人も居るかと思われます。
お題の文言だけじゃなく。
この、投稿ページのスクリーンショットに記載のある文章も。
・すきなところ
・おもいきり
・だれか
・おもう
と、ひらがな表記がやたら多い点を踏まえても、最初から使用者の想定をかなり狭くしている気もしなくもない。
考え方として、お題の提案として良いコンセプトだから、正直もったいないなあとも思っています。
とはいえ文句を言っても始まらないので、もうちょっと建設的に考えるなら。
「ここ」に関しては「此処」ではなくても違和感なく読めるので、時代によって移り変わるのが言葉のあり方、の一例と言えるんでしょうか。
「此処」の表記が一般的だった人たちからしたら、違和感なく読めること自体が摩訶不思議なやつかも。
日本語の習得にあたって高いハードルになる部分でもあるんだろうけども。
それでも、ひらがなもカタカナも漢字も駆使して表現できる、日本語が好きです。
同じ言葉でも、表記の違いで与える印象を変えることも出来る。
……って自分で書いてて結論出ちゃった。
「#私は私のここがすき」で多様されているひらがな表記もまた、届け方の手段として大らかに受け止めるぐらいのスタンスで良いのかも。
表記よりも大事なものがある。
このタグが今以上に使われるといいのにな、という気持ちに嘘はありません。
お読みいただき、ありがとうございました。
推しの書店で本を購入します📚