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ウェブ上で知って、知的好奇心をくすぐられた言葉の話
初めて知る言葉に出会うとワクワクする
SNSでの呟き、noteの記事、読書感想文など。
他の人によって書かれた文章を読む機会が多々ある昨今ですね。
私の場合はそういう時、初めて知る言葉に出会うとワクワクします。
紙の本だとなかなか難しいけど、スマホなりPCなりで読んでいるとすぐに読みや意味を調べられるから、新たな語彙を獲得できて嬉しく思ったり。
ウェブ上で知った言葉の一例
ここからは、ウェブ上で読んだ文章をきっかけに知った言葉の例をいくつか挙げてみます。
いずれも一般の人によって書かれた文章で目にした言葉です。
🔹剣が峰
1.火山の噴火口の周縁。特に、富士山頂についていう。
2.相撲で、土俵の円周を作る俵の上面。「—で残す」
3.それ以上少しの余裕もない、ぎりぎりの状態。物事の成否の決まる瀬戸際。「—に立たされる」
普段から相撲を観る人なら、お馴染みの言葉かもしれません。
でも私の場合は初めて目にする言葉でした。
旧Twitterで、3の意味で使われていたのを目にして「これはどういう意味なんだろう?」と調べた結果「絶体絶命」の類語としての意味を理解したわけです。
似た意味の言葉に「背水の陣」もあります。
ただ「背水の陣」の意味を調べると、感覚的には「当事者が主体的に用いる言葉」として使うほうが適切に思える。
3の意味で他者にかける言葉としては、この「剣が峰」が最適な選択だ、と納得したものでした。
いつか私も使ってみたいな、と覚えた次第。
🔹畢竟
1.[名]《(梵)atyantaの訳。「畢」も「竟」も終わる意》仏語。究極、至極、最終などの意。
2.[副]さまざまな経過を経ても最終的な結論としては。つまるところ。結局。「—人は死を免れえない」
読書メーターという、読んだ本などの情報や感想を記録しておけるサイトがありまして。
そこで書ける感想って「255文字」の字数制限があるんですね。
同じ意味なら短い言葉で表現した方が、より多く書けます。
だからと言って同じ文字数でも「結局」や「結論」を多用すると単調にもなる。
「さまざまな経過を経ても」のニュアンスを重視しつつ。ここぞの時に使えるといいなあ、と頭に留めている言葉です。
🔹止揚
[名](スル)⇒アウフヘーベン
アウフヘーベン【(ドイツ)Aufheben】
ヘーゲル弁証法の基本概念の一。あるものを否定しつつも、より高次の統一の段階で生かし保存すること。止揚。揚棄。→アン‐ウント‐フュール‐ジッヒ →弁証法
哲学に造詣が深い人なら、お馴染みの概念かもしれません。
でも私にとっては「新しい言葉を知るのって、その言葉が持つ概念を得る実感でもあるんだ」と得心するきっかけを貰った言葉でもあります。
自分の文章で使いこなす自信はまだありません。
身の丈に合わない言葉はそこだけ違和感を醸し出すものですし、その「しっくりこない」感じは読んでいる側にも伝わるはず。
だから無理はしない。
けど「知っている」ことで、思考に活かせるものがきっとある。
私はそう思います。
文章術としての「難しい言葉は使わない」への思い
あまりにも難解な単語や、常用外漢字ばかりで構成された文章を前にすると、読む前から気力を削がれるものです。それはよく分かる。
ただ「読んでもらうために」という、不特定多数への迎合ありきで書かれた文章ばかり読むのも、個人的には楽しくないわけです。
「止揚」の項目で書いたように、自分のものに出来ていない言葉を無理して使うのはおすすめしないけど。
流動食ばっかりだと顎も衰えてほっぺたぷにぷににもなるものですが、文章においては読む側だけじゃなく書く側に対しても、同じことが言えるんじゃないかなあと思っています。
以上、偏屈な人間のぼやきでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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