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言葉にも「食育」を取り入れたい

昨日書いたnoteで、SNSで理不尽な非難を見かけた時の考え方について書きました。

しかし。
書き終わった後に振り返ったんですが、最近本当にSNSを眺める時間が減ったんです。

特にX(旧Twitter)。
晩ごはんを食べた後などの空白の時間に「あと5分」を繰り返しつつ、結果的には数十分眺める。
そんなことを、毎日のようにしていたんです。

タイムラインをひととおり眺めて、終わればトレンドワードから全然知らない人のポストを次々と辿り、ひと段落つけばまたタイムラインに戻る。
あるいは、相互フォローさんの「いいね」欄を延々とさかのぼる。
その中に気になるポストがあれば、今度はその人のホームから過去のポストを延々とさかのぼる。

相互フォローさんのいいね欄は、趣味が同じ人なので得るものもあるとはいえ。
「そろそろ止めないと」と考えながら続けていたのは、今思えば普通に怖いことです。


SNSを眺める時間が減った、と言いつつ。
noteもSNSに含まれるなら、正確には「Xを眺める時間が減った」ですね。
Xのトレンドワードから閲覧できる、知らない人たちの過激な短文の連なりを追うことに費やしていた時間の中身が、noteを書くことや他の方のnoteを読むことに置き換わった。

noteの毎日更新を始めたことで、一日の時間配分が大きく変わった実感はあるんです。
だから、摂取する言葉の種類まで変わったのは、嬉しい効果と言えるかもしれません。



ということを考えていたら、先日再読したやましたひでこさんの『新・片づけ術 断捨離』で読んだ内容を思い出しました。

この本でやましたさんは、
【食育】は広く普及している一方で、住環境に対してはまだそれほどの意識が向いていない。
だからこそ、断捨離を通して【住育】を広めていきたい。
という内容のご主張をされているんです。

摂取する言葉を意識することに対して、思わず連想が働きました。
やましたさんの仰ることを、言葉に対してもちゃんと考えたい。


食育は、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けられるとともに、様々な経験を通じて「」に関する知識と「」を選択する力を習得し、健全な生活を実践することができる人間を育てるもの。

農林水産省のサイトより引用

改めて調べてみたら、とても大事なことを述べていますね。
特に【「食」を選択する力を習得し】の部分。

私の場合は「食」を言葉に置き換えれば、Xから距離を置いたことで、新たに見えてきたものだと言えるかも。

【住育】のようなしっくりくる造語は、ちょっと思いつけずにいるんですが。
自分の中で引き続き、意識してみたいです。


金曜日ですね。
寒くなるそうなので、お身体ご自愛ください。
今日も良い日になりますように!


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