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歩きながら何かをすることを「もったいない」と感じてしまう。

「コストパフォーマンス(コスパ)」や「タイムパフォーマンス(タイパ)」の良さがもてはやされる昨今。
しかしそれらが必ずしも、日々の過ごし方において「より良く」と両立するとは限らない。
そんなふうに考えています。


私自身の話です。
数年前までは、自宅と駅のあいだを歩く時に、音楽を聴くことが定番でした。
昔買ったiPhoneに付属していた、有線のイヤホンを長いこと使っていたんです。

ですが、コロナ禍をきっかけに、音楽を聴きながら歩く習慣は止めました。
理由は有線のイヤホンが、マスクに引っかかって外れてしまうから。
幸いにも花粉症の経験も無く生きてきたので、これまでにマスクをつけて外を歩いた経験がほとんど無く。コロナ禍で初めて、マスクと有線イヤホンの相性の悪さを思い知りました。

AirPodsにも興味はあったものの。
高額な割に無くしそうで、怖くて手を出せず。
結果、自然とフェードアウトしていった次第です。


私の場合は「音楽」でしたが、この習慣が今でも続いていたら。
歩いている時間を、インプットに費やすために使う選択をしていたかもしれません。

ラジオやポッドキャストを聴く。
YouTube動画を音声だけ聴く。
オーディブル的なもので「耳で聴く読書」をする。
そんな「より多くのインプット」を求める、何らかの方法を。

しかし。
これはnoteを始めてから顕著なんですが、自宅と駅の間などを「ただ歩く」時間に、意外にもいろんなアイデアが浮かぶんです。
今後やりたいことや、noteに書きたいことなど。
なんとなく思いついてそのままにするものもあれば、立ち止まってスマホにメモを残すこともあります。

多分(慣れた道ということもあって)新たに取り入れる情報が無い分、脳がいつもとは違う働き方をしているんだと思います。
入浴中や料理中にアイデアが浮かぶのと同じ理屈というか。

これはAirPodsを購入していたら、そして音楽を聴く習慣を続けていたら、気づけなかったことでもあります。
(好きな音楽を聴く時間の尊さを否定しているわけではないので、どうか誤解のないように)


最近は、仕事時間もめいっぱい濃密に過ごしています。
そして自分の時間も、noteを書いたり読んだり、本を読んだり他にもやりたいことが沢山ある上に、睡眠時間もちゃんと取りたい。

みちみちに詰まっているからこそ「耳から取り入れられる方法で、歩く時間をインプットに費やす」ことは、タイパだけを考えるなら良い選択かもしれません。

しかし、インプットを排した空っぽの時間から得られるものも決して侮れない。
空き時間をひたすら埋める勢いで、インプットに没頭するだけが「タイパが良い」と賞賛されることなのか。
そこには経験的な理解でもって、意を唱えていきたいものです。

お読みいただき、ありがとうございました。
金曜日ですね。
今日も良い日になりますように◎


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