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アイドルの孤独を誰が救えるか

『あなたは正しい』(チョン・ヘシン著)という本を読んでいる。

なんだか怪しい自己啓発書的なタイトルだなぁと思いつつ(失敬)手にとったが、面白い内容だった。

現場で経験を積む精神科医が著した本で、人間の孤独や共感について丁寧に記述されている。
また机上の空論的なメンタル論ではなく、多くの人間と対峙してきた著者ならではの固有の見解が展開されており、色々と考えさせられる。

まだ全編を読めていないのだが、序盤に、アイドル好きとして興味深い記述があった。

トップクラスの芸能人の中には、パニック障害を患う人が多い。(中略)過剰な愛に困惑することはあるにせよ、欠乏とは縁がなさそうな人たちである。にもかかわらず、なぜ彼らはパニック障害の最前線にいるのだろうか。(p.43)

著名な芸能人が精神的な理由によって休養することは、もはや珍しいことではなくなっている。
傍から見るとかれらは、多くの愛を与えられ、金銭的にも十分に満足できる生活を送っているように感じられる。
そんなかれらが、なぜパニック障害をはじめとする症状に陥ってしまうのだろうか。

著者はこう書いている。

スターとは、大衆の好みに私を完全に合わせた人だけが生き残る生態系の生存者だ。自分を大衆に合わせる感覚が高度に発達した人だけが到達できる境地なのである。(中略)スターが最高に輝く瞬間は、自分を大衆に完璧に合わせた時である。それは、私が完全に「大衆の欲望そのもの」である時、私が「私」を主張しない時、「私」が消え去った時である。(p.45)

スターは大衆の内面的な欲望を体現した存在であると、筆者は考える。

そしてスターとしての成功は、「大衆の欲望に完璧にあわせて動く私として生きていく時のみに実現可能なのである。」(p.47)と筆者は述べる。

スターは、やがて、自分が持っている莫大な資産が大衆に左右されているものなのだということを知るだろう。今は思う存分引き出せるものの、大衆から憎まれた瞬間から一銭も引き出せず、裸で冬の野原に放り出される身であることに気づく。(p.47)

スターたちにとって人(大衆)は恐怖すべき存在になり、その恐怖は内面化する。(中略)
「大衆」が望んでいることへの忖度に集中し続けるしかないのだ。それが「私」の欲求であり、「私の人生」だと信じるしかない。もし、そのように信じることができなければ、その生き方が維持できなくなるのだ。しかし、どんなに割り切っても、大衆への恐怖を乗り越えるのは難しい。 (中略)
私と大衆がせめぎ合いを続け、やがて私は自らを擦り減らしていく。それが、精神の病へと続いていく自己消滅のプロセスだ。(p.48)

なかなか切実な記述である。

私はKPOPのアイドルが好きで、かれらの活動をよく見ている。

ファンらしく、もし自分がかれらの立場だったらどんな気持ちだろうと考えることもある。

そうすると必ず、多くの幸せを感じられるだろうと思うと同時に、周囲からの期待や失敗してはいけないという重圧を想像して、絶句してしまう。

一方で、アイドルを好きすぎるあまり、かれらがあまりにも完璧で非現実的な存在に思えることもある。

しかし自分の立場に置き換えてみればわかる。

かれらも結局、人間なのだ。

アイドルは、人間だ。

非難されることへの恐怖、生存が難しくなることへの恐怖、落胆されることへの恐怖、存在を否定されることへの恐怖……。

恐怖だけでなく、ほかにも色々な感情や考えを抱えているだろう。

自分がそうであるように。

しかしかれらが自分と違うのは、自身の存在が世界の多くの人に知られているということだ。
自分のようなほとんど匿名の存在であれば、例えば一つのコミュニティで失敗したり嫌なことがあったりしても、他のコミュニティに逃げ込むことができる。

しかし著名な芸能人は人間社会に存在する多くのコミュニティで、その芸能人としてのみ存在することを求められるだろう。
その期待を裏切れば、途端に芸能人は芸能人として存在できなくなってしまう。

そんなプレッシャーへの恐怖は、やはり計り知れない。

芸能人ならば、そんな恐怖などものともしないメンタルを持っているし、またそうあるべきなのだと言ってしまうこともできる。
実際に、幸せそうにみえるかたちで、精力的に活動している芸能人は大勢いるのだし。


しかしだからといって、孤独や恐怖を抱えているかもしれない芸能人のことを考えなくてよい理由にはならない。


自分が好きなアイドルに限って言えば、たぶん、かれらの本質的な恐怖は「愛してる」だとか「ゆっくり休んでね」といった言葉で救うことができない。

ファンだからこそ、それを切実に感じるのだ。

だって私は、アイドルとしてのかれらを見ることしかできないし、アイドルとしてのかれらに対してしかリアクションすることができないから。

必要なのは、アイドルとしてのかれらではなく、多くの人と少しだけ違う人生を生きている人間としてのかれらに寄り添うことのできる存在ではないだろうか。


アイドルの孤独を誰が救えるか。答えはまだ出ていない。

それでも、1人でも多くのアイドルが幸せになってほしいと思って、これからも考え続けていく。


(今回の文中の「かれら」には彼女・彼・彼女たち・彼等、の全ての意味を含めています。)

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