窓際の後輩くんはお人好しすぎる
私がはやく職場に着いても、
もう既に一年後輩のヒロタくんは
席に座っている。
彼の席は事務室のドアを開けて真っ直ぐの
窓際にあるので、
部屋に入ると一目で
出社していることがわかる。
小柄に、おっとりした目の温顔で
小岩井のカフェオレをよく飲んでいる。
彼とは係が違うので
朝は特段会話するでもなく、
軽く挨拶を交わすくらいで私は席に着く。
静かな空間と朝の新しい空気の中だと
作業が捗る。
だから私も、早く出社するのは好きだ。
しがない経理職員の私の机には
気を抜くとすぐに伝票がたまる。
彼の早出出勤は
入社して以来2年間、ずっと変わらない。
きっと彼はこの先も
このリズムを崩すことはないのだと思う。
*
動きがちょっとカタくて律儀な彼は、
いつもあまり多くを話さない。
その分周りで飛び交う人の話を、
資料に目を落としつつ
時たま微笑んで聞いている。
陽気で、日々弾丸トークを繰り広げる係長、
飄々と仕事を捌き必ず定時ダッシュを決める先輩
美味しいお店にやたら詳しいキザっぽい先輩に、
よく笑い、世話焼きで、話が長い契約社員さん
etc.・・・
個性派揃いのあの係の中で彼ひとり
自己主張が少ないので
はたから見ていて心配になることもあるけれど
ヒロタくんのすごさを、
私はよく知っている。
*
彼はいちばん早く職場に着いてから、
事務室のドアの鍵を開け、
窓を開けて換気して
必要であれば空調の電源を入れる。
4社の新聞を綴じ具に整えたら、
部屋にある加湿機の水を取り替える。
それから、係の棚に届いた書類を
担当者ごとに振り分け、
その人の席にふせて置いていく。
他の部署から問い合わせがあれば
進んで話を聞いて対応するし、
物品の補充をしたりもする。
それを毎朝、そつなく、
さりげなくこなしている。
さも、ボクは何もしていません、という顔をして
誰にも知られないうちに
みんなが快適に仕事が始められる環境を
整えているのだ。
会社に元々そんな慣習があった訳ではない。
ヒロタくんは、周りを見て、
必要な作業を自ら見出し
いつの間にかそれが
彼のルーティンになったのだ。
みんなはその後出社して
何も知らないまま仕事に取り掛かる。
良くも悪くもごく自然に、スムーズに、
いつもと変わらない朝が始まる。
***
私たちは、
一対一の親切にはすぐに、
「ありがとう」が言えるけれど
大勢に向けられている親切に対しては
感謝を言葉にすることに
慣れていない。
ましてそれが
知らない合間に済んでいる、
いつもの事、となると余計に
誰がしてくれているかなんて
気にも留めなくて、
感謝の気持ちなど毛頭浮かんでこない。
でも
そこにはたしかに人がいて 、
その人のやさしい心くばりが隠れている。
***
今日の彼は、
通路側にある棚の整理をしていた。
私は、
「いつも、すごいね」
と声をかけた。
そしたら
「え、いやいやいやいや、ボクは何も」
と高速に手を横に振りながら
否定をされてしまって、
ちょっと笑った。
だけど、
やっぱりキミは、とてもすごい。
こういう、見せない心くばりを続けられる人は
そういない。
その心くばりに、
みんなが気持ちよく働ける場所が
支えられているんだよ。
「私、実はもうすぐ仕事
辞めることになってるんだ。
結婚するから引っ越すの。
だから、言えるうちに
言っておこうと思ってさ、、
毎朝こうやって色々やってくれるおかげで
みんな助かってるよ、ありがとね」
キョトンとした顔から
ふっと頬を緩めてヒロタくんは
「ありがとうございます」と笑ってくれた。
それから思い出したように
「え、辞めちゃうんですか」と。
*
これから彼はどんどん立派な会社員に
なっていくんだろう
一緒に働くことができてよかったな
それにしてもさっきのは
私の方が緊張してしまったけど。
言葉にして伝えられて、本当によかった
色々考えていると
つい顔がほころんでしまう。
カレンダーに目をやると
私の最終出勤日まで
あと2ヶ月を切っている。
嬉しいような寂しいような。
あと少し、私も
一緒に働く人たちの役に立てるよう、
働こう
背筋をスッと伸ばし
いつになく爽やかな気持ちで
私は机に向かった。
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