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今すぐこんなものを読むのをやめろ

 「本を読め」と人はよく言う。活字に触れるのは確かに人をゆたかにするし、インターネットで一般人の有象無象を垂れ流しっぱなしで無心に眺めるのよりはよっぽど良い。私もここ最近学生ぶりに読書量が増えている。

 この間読みかけていた本が残すところわずかとなったので初めて神保町に足を運んだ。ワンコインで先人たちの生涯の集大成たる思想・価値観に触れられると思うとわくわくが止まらなかった。壁面狭しと並べられた本の一冊一冊に著者が人生を費やして探求したものの結晶が集約されていると思うと、有史以来どれだけ多くの人間がこの世に生まれ何かを求めその言葉を残してきたか、その天文学的な莫大さに目眩すら覚えた。

 本当に大量の本がある。生涯の研究とその到達点を純に記録せんとてしたためられたなんの装飾もないものから、個人の成功と利潤のために目を引く創意工夫がなされたものまでその数はおおよそ一人の人間が一生かけても読み尽くせるようなものではない。時間には限りがある。

 何を読みどう選ぶか、人それぞれ尺度があるだろうが、最近私が一つの尺度にしているのは「知られているか、評価されているか、時代を超えて読み継がれたいるか」だ。

 新書だけでもおびただしい数がある。新しいから、と言う至極明快な理由で取り沙汰される。著者や出版社が利益を上げるため、目を引き手に取られるような広告やマーケティングの工夫が凝らされている。だがこれらが何十年後何百年後に果たしてどれだけ読み継がれ評価され残っているだろうか。少し奥に目をやれば、誰もが義務教育で耳にした先人たちの朽ちぬ名著が静かに並んでいる。「本を読め」の言う「本」が果たしてこれらを一概にまとめてしまっているが、その内実にきちんと目を向けなければそれは垂れ流しの広告を読まされているに過ぎない。勿論、現代、いまでなければ生まれえぬ学術的名著や視点も多分にあるだろうが、それらをそれらとして受け入れられるだけの基盤、学問芸術が立脚している前提について私自身がまだ恐ろしく無知であるため、まだ新書に費やす時間はない。今日も私は土台を築いてきた先人を訪ねる。

 と、ここまで私の文章を読む人が果たしているのかどうかもわかったものではないが、億が一いたとして言いたい。

 名前も顔も素性も信条も実績もわからない人間の駄文を漁る時間ほど無駄なものはない、今すぐブラウザを閉じることをおすすめする。もしあなたがこの世に存在する古典から近現代までありとあらゆる書物をすでに読み尽くしてしまっていてそうしているのなら謝る。私の知人が読んでくれていたのだとしたらそれは本当にありがたいことだ。

 誰でも発信ができてしまい、言葉が溢れる時代に、ピンキリ見極めることなくただ言葉に触れることは別にすごくもなんともない。ハッシュタグ一つでどこの馬の骨ともわからない私の文章にたどり着く人がいるのだから。

 

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