日々の感謝note#44
2021年 3月21日。
今日は朝からにぎやかです。朝一番に来客があり、また、主日礼拝があります。感謝です。
私たちは、予期していないことが起きたとき、心が忙しくなってしまうことがあります。
それは、何か期待してることと、実際に起きたことが違う時に、往々にして起きます。
彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、
神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」
そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。
民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
すると【主】はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」
モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。
(民数記 21章4節~9節)
私たちは、つい自分の思い通りにならないことに対し、周囲に不満をぶつけたり、不機嫌になったり、あるいは不安や恐怖を感じることもあります。
そのような時こそ、主に祈り、大いなる祝福を受ける時。
思い通りにならないことがあるということは、どういうことでしょう。
つまり、私たちの心の中に、何かを支配したい、何かをコントロールしたいという欲求があることを指しています。
全て手放し、感謝して委ねること。
聖書には、そのような時こそ大きな祝福が訪れる、と書かれいています。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神が私たちに望んでおられることです。
(テサロニケ人への手紙 第一 5:16~18)
真の愛とは、相手のすべてを認め、赦し、委ねて過ごすこと。
私たちが地上で生活するうえで最も大事なことは、常に愛情をもって周りを癒す光の存在であることです。
何かをお願いする時は、神様に祈ること。
内住のイエス様に対して、私たちは常に清い心で接する。
同じように、周りの人々を愛すること。
私たち1人1人がこれを常に心がけるとで、安心の人の輪が大きくなり、すべての人が安心できる社会になります。
今日も、すべてのことに感謝します。
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