【読書ノート】『私とは何か 「個人」から「分人」へ』
読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』著.平野啓一郎です。
本を手に取ったきっかけ
この本は、「観察力の鍛え方」の中で、『人は分人の集合体であり、中心や本当の自分はない』(p.178)の部分を読んで、気になり、手に取りました。
興味を持った箇所を書き留めておきます。
書き留めたところ
「分人」という観点は、自分と他者の関係性を、自分がどのように感じているかをメタ的に捉えていく視点を与えてくれることが興味深いです。
また、それは「生きた人間でなくてもかまわない」という点も興味深く、個人的に納得できます。
「読書が好き」「仕事が好き」というのは、読書や仕事という対象が好きというよりも、「読書をしている自分」「仕事をしている自分」が好きと考える方が、しっくりくるように感じます。
「チワワちゃん」を思う
この本を読んでいて岡崎京子さんの「チワワちゃん」を思い出しました。
『友だちと別れたことのある人に』
という言葉からスタートする短編マンガで、
バラバラ殺人事件の被害者である「チワワちゃん」のことを関係者が振り返っていく話しです。
読後メモ
昔は、今よりも人を取り巻くコミュニティが固定化していたのかもしれません。
生まれた地元で育ち、地元の学校に通い、地元の人と結婚して、地元の会社に入って定年まで勤め上げ、地元の家族に看取られ、先祖代々の墓に入る。
今の時代、核家族化が進み、家族の形や、住む場所、所属する会社、性別、その他自分が所属するコミュニティは、自らの意志で選択すべきである、という空気感があります。
「チワワちゃん」の登場人物も、栃木県、茨城県、NY生まれ札幌育ち、岩手県、愛知、広島、島根、熊本と、様々な地域から東京に出てきた設定になっています。
「分人」とは、「関係性における役割、もしくは役回り」という言葉で自分は理解しました。
コミュニティの中で、役割や役回りが固定化された時代から、流動性が高まっている時代の中で、私たちは、自身の「分人」を俯瞰で認識し、意識して構成比率をコントロールしていかないと生きづらい状態になっている。
本当は、統一された自己は存在しない。
あるのは、様々な関係性における役割を意識的に選択する中で、自分にとって好きな自己(分人)の構成比率を高めていくこと。
こんなメッセージを書き留めておきます。
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