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ピコピコ中年「音楽夜話」~長谷川、バンドやめるってよ③

☆バンドリーダーM君との出会い

リビドーにブンブンと振り回されまくりの第二次性徴期の少年が、何の因果か男子校に入学。TV番組イカ天でバンドブームの洗礼を受けるも、音楽を「聴く」「知る」ことにのみ一生懸命だったあの頃。

ついに「聴く」「知る」から、別の方向へと一歩踏み出すのだが…。

音楽…それは皆のフロンティア。これは、ミュージシャンでも何でもない、東北に暮らしているただのピコピコ中年が、数々の音楽に出会い、時にココロ救われ、時に人生さえ動かされた回顧録的物語である。
(スタートレックの冒頭BGMと共に)

【前回】

「バンドやってみない?」

そう声をかけてくれたのはM君だった…。

文武両道を掲げる男子校、必ず何かしらの部活動に所属しなければならないという厳しい縛りがあった。しかし、バンドができるような軽音楽部はナシ。古田新太のオールナイトニッポンを聴いてから傾倒していた演劇にも興味があるが、どう頑張ってみても少数精鋭のクセが強そうな演劇部への入部へ踏み切れるほどの勇気は絞り出せなかった。

仕方なく、入学直後のオリエンテーションで、唯一声をかけてくれた弓道部に入部することにした。

従弟の家で飼っていた犬の名はサッカーの神様からその名をとって「ペレ」。そんなボールが友達キャプテン翼直撃世代のため、当然のごとく小学校ではサッカー部に入部したのだが、万年2軍。卒業までに出場できた試合は、下の学年チームに混ざっての練習試合のみ。そんな(違う意味で)長谷川ハンパないって的な運動能力の私が運動部である。

「皆が高校からスタートするような部活であれば、運動部であっても自分の運動音痴はある程度誤魔化せるだろう」という消極的な理由もあったし、何より、哀しい程に私は弓道という「武道」を舐めていた。

ゲームでは敵を倒すためにバンバン弓矢を射ていた自分である。ちょいちょいっと練習すれば、RPGのエルフやリンク、那須与一のようにピュンっと弓矢を飛ばせるものだと思っていたのだ。

そんな弓道部で出会ったのがM君だった。

弓には決して触れることが許されず、礼儀作法の勉強と「え?弓道ってそんなにガッツリ体作るの?」レベルの筋トレしかやらせてもらえなかった、入部後最初の一週間。「何か、思ってたのと違うよね、弓道って…」と意気投合し、二人揃ってアッサリ弓道部を辞めた相方がM君である。

弓道部を退部した後、M君の自宅でSFCの「アクトレイザー」を交互にプレイしながら話し合った結果「高校生活をエンジョイするには、帰宅部的なスタンスが一番いいのではないか」との結論に至る。

スギ花粉で鼻はグズグズ、目はショボショボだったが「アクトレイザー」はとても面白いし、二人で出した結論は何て素晴らしいものなんだろうと思った高校一年春の出来事。

そして「アマチュア無線の資格さえ取得すれば、幽霊部員的なスタンスでも所属することが許されるらしい」との噂を聞いた「化学部」に、善は急げと翌日二人で入部し、本格的にドキッ!男まみれのハイスクールライフ(ポロリもあるかも、というかポロリだらけ)がスタートしたのだった。

☆友達の友達は…M君から広がる音楽と友達の輪

地方都市の山形では、まだまだビーバップハイスクール的なヤンキー熱と、尾崎豊的な社会に迎合して生きる大人達へのパンクな反抗心が活発だった時代。

M君の出身中学は、私と違い「めっちゃ荒れている」と噂の中学校だった。私の出身中学では、その中学の名が出てくるのは「どこそこの中学校と抗争になり河原で乱闘騒ぎがあった」だの「校内のガラスが割られまくったらしい」だの物騒な話ばかりだった。後に大半は「尾ひれ」がついただけの、些細な出来事がそのウワサの発端だったことがわかったのだが…。

しかもM君は、そのウワサの中学校で生徒会長を務めていたのである。

そんなM君と放課後はダラダラと山形市内を自転車でウロついたり、M君宅や私の自宅でダラダラと過ごしたり、制服を着ていてもエロ本が買える本屋の噂を聞きつけてはイソイソと駆けつけたりする、ステキな高校生活が始まったのだった。

そんなある日、M君がギターを始めた。

中学時代の先輩がBLANKEY JET CITY(以下ブランキー)のコピーバンドをしており、M君含む中学時代の友人たちの何名かが、そのカッコよさに影響され楽器を手にしたとのことだった。

今にして思えば、それは特段先輩がカッコ良かったわけではなく、ブランキーだったからであろう。あの「イカ天」の第6代目グランドイカ天キングである。椎名林檎が「グレッチでぶって」と懇願するベンジーこと、浅井健一氏がヴォーカルの日本ロック史に残る伝説的バンドである。

誰が演奏したとしても、コピー演奏が若干下手だったとしても、東北の片隅山形市に住まう高校生のココロをロックさせ「音楽」に向かわせるには十分過ぎる破壊力であったのだろう。

ちなみにM君が買ったギターは、B’Zの松本孝弘モデル。

先輩がブランキーのコピーバンドをやっているなら、いかにカッコよかろうとも自分がやるのは仁義に反すると思ったらしく、次点でカッコいいギタリストと思っていた超絶テクの松本孝弘氏モデルにしたのだと教えてくれた。

さらにちなみにであるが、私のB’Zとの出会いは全編英語歌詞の「Wicked Beat」。まだダンスミュージック寄りだった、デビュー間もないB’Zと中学生時代に出会い「英語の歌詞だから、英語の勉強になるのでは?」と高校受験の際に洋楽に混ぜこむ形で聞き倒していた。

閑話休題、話を戻そう。M君がギター練習を始めたわけである。

M君宅に遊びに行くに従い、徐々に上達していくM君。

すげぇ、ちょっと触らせて、「オッパイメン」弾いて等々、私が合いの手を入れる日々が幾日が続いたある日…

「オッパイメン」とは
ラジオ番組「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」内でオーケンが弾いていた曲。ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の冒頭ギターフレーズの合間合間に「オッパーイ」と小声でシャウトするという、著作権的に非常にアレな伝説的名曲(笑)
案の定、後に音源化された際には、件のギターフレーズは全てカットされた。

解説員:長谷川誠

M君が私に声をかける。

「バンドやってみない?」

最終話へ続く

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