筋トレ中の瞑想と特異点のはなし

オレは身体の筋肉をだいたい20カ所に分けてトレーニングする。
ロッククライミングの為だ。登りたい崖がある。そこを登ることが出来たら、ある約束を自分としている。大事な事だから内緒だ。

力こぶのところは95ポンドを7回で限界が来る。それを3セット。
あいだに90秒の休憩をはさむんだけど、その間ヒマだからメンタルトレーニングをする。
要は瞑想みたいなヤツ。集中するヤツ。

崖を登るとき、少しでも〈怖い〉を感じると、身体が嘘みたいに動かなくなる。
〈そういう登り方〉をしている。まだウツ傾向がある為かも知れないから、しょうがない。そうしたいのだ。

だから、〈少しの窪み〉を見つけることや、〈足の先に体重をかける事〉に集中しなきゃいけない。
〈それだけを考える練習〉が必要になる。

だから、筋トレの休憩の30秒を呼吸を整える事に使って、残りの60秒で瞑想するんだけど、一回ジムに行くと、60秒の瞑想を40〜60回する事になる。

そんだけ繰り返すと、一回一回の瞑想の深さが、相対的に分かりやすくなる。
さっきより浅いとか深いとか。

瞑想しながらどこの深さにいるかがわかるようになる。

これまでしてきた瞑想の深さが解るようになる。

20分以上の時間をかけると
最近の自分はコレまでの人生で一番深い所まで行けているとわかる。

友人はそれを特異的なポイントなんだろうと言った。

オレもそう思う。

山や岩に惹かれる事や
絵を描き始めた事や
ギターを買った事や
こうして文章を打っている事や
友人と12年ぶりにメールのやり取りを始めた事や
身体をきたえる事が、
全てどこかの特異点に集まっていくイメージだ。
なんと言えばいいか、その特異点の〈心の状態〉に向かっていっている感じだ。

なんとなく、解るかな〜。
オレのダメな説明の限界を感じる。
これが〈表現力の限界〉というヤツだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?