見出し画像

「とと戸」とは(2024.6.2修正)

とと戸と申します。
まいにちの些細な感情を、文章にしています。
1年の350日は体調が良くないので、大体家にいます。
そのため、家で読んだ本の話か、食べた飯の話をすることが多いです。

芽生えてから時間が経った感情を文字にすることは、無意識に偽ったり話を盛ったりするリスクを伴います。
できるだけ本当に近くなるように、気だけは置いておこうと思います。

とはいいつつ、個人的には嘘は必ずしも悪じゃないと思うので、息抜きに本当の嘘をつくかもしれません。
そうなったとき、ノンフィクションからフィクションになりますが、これはエッセイから私小説に変わるということになるのでしょうか。難しい。


 
どの文章もしっかり読めば3〜5分、流し読みなら1分くらいで読めます。いずれの読み方でも、人生こねくりまわすさまを垣間見れるかと思います。

継続が苦手な私のnoteの使い方は、謂わば筋トレ的な使い方と言いますか、継続まわりの筋肉を発達させるために使っている感じです。
インプットもしたいので、心に余裕があるときに皆さまのnoteをマイペースに読ませていただいているといった具合です。

フォローくださったらやはりとても嬉しい!ですが、フォローした後に「なんかこいつ違うや」と外したり、「やっぱこいつ気になるな」ともう一度フォローしたり、皆様どうぞその日その時の気分で、自由にご判断ください🤹



個体データ

  • 年齢:1994年12月生まれ

  • 職業:完全在宅の派遣社員

  • 持病:深部子宮内膜症、頚椎ヘルニア、機能性ディスペプシア、慢性貧乏性

  • MBTI:INTJ、最近はENTJも

  • 好物:野菜(特に芋栗南瓜)、カレー、ベーグル

  • 嗜好品:おつとめ品

なぜ書くのか 🛌原動力は体調不良

いつぞやのカバンで暴れていた付箋。わたしの体調はこんな感じだ。

10代の頃からあらゆる体調不良に見舞われていた。頭痛、胃痛、吐き気、めまい。何科にもあてはまる、ありふれた症状ばかり。大病を恐れドクターショッピングするも、ことごとくなにもない。
中には子宮内膜症など病名がついたものもあったが、大半は「精神的なもの」として着地した。2023年で29歳になったが、日本に存在する主要の診療科はだいたい網羅したと思う。

体調不良に陥ると、常に死のイメージが付きまとい、色々なことを考える。生きる意味とか、死ぬまでにやりたいこととか。体調に気を揉まれながら、人生について、自分についてを常に問い続けてきたように思う。

まあしかしそんな状態が20年も続くと、人間はだんだんネジが外れるか緩むようにできてるのかもしれない。何かを超え、面白く感じられるようにまでに感情は変化を遂げた。
一体何を超えたのだろう。考えるも心当たりなんて皆無。だから多分何も超えてなんかなくて、俗に言うただの開き直りなのだろう、意味ありげに語る悪い癖が出てしまった。

今日痛むところはどこだろう、明日は吐き気するかな?といった具合で、何が起こるか分からない自分の身体を楽しむ。ちなみに、いまは背中がめちゃめちゃ痛い。

まあこの先、超元気で超健康な未来はほぼ期待できない。だったら痛み辛みは嗜好品にして、少しでも紛れることをしたい。

長時間の外出は体がきつい。仕事に熱を注ごうにも出社は厳しい。体調の波によるドタキャンを避けようと人付き合いも自然と最小限になる。

そんな私が生きられるフィールドは間違いなく自宅だ。
そして、少しでも紛らわすことができるのは、感情や思考を文字におこすことだった。

でも真面目にやりすぎると「生きる意味とは?人生とは?」と、まもなくこねくり回し始めるので、「とと戸」という至極無意味な名前を掲げて、noteを始めることにしたというわけだ。

完全在宅の理由はこちら↓

何を書くのか

🍚食に支配される生活

食べることが何よりも好きという訳ではないが、「食」にはネガティブな要素が一つもない。美味しいだけで幸せな気持ちになれる上、明日以降の自分を形成する行為でもある。

人より血糖値の下がり方が急らしく、低血糖に陥りやすい。空腹を防ぐ必要があるため、常に食べることが頭のにある。
でも低血糖云々を抜きにしても、一日3回しかない食べる機会は貴重で、一番の楽しみでもある。この良くも悪くも「食」に支配されている生活を、noteで書いていこうと思う。

📕人間でいるために欠かせない読書

小学生の頃、頻繁に図書館や図書室に通っていた。なんとなく本が好きだったから通っていたんだけど、実際本は読んでおらず、パラパラとページをめくるという中身のない日々を過ごしていた。心と身体がバラバラの小学生だった。

20歳頃に髄膜炎で1ヶ月半入院した。この時まで一切本を読まなかったが、あまりの暇さに売店で買った林真理子の「のばら」という本がなんだか面白くて、そこから直木賞系のエンタメ小説を中心に読書をするようになった。

その頃は本のジャンルの違いなんて考えたことがなかった。ただ面白そうな本をBOOKOFFで100円で仕入れて読むだけ。
でもいつの間にか、吉本ばななを筆頭に、山田詠美、島田雅彦、町田康など、純文学と呼ばれる本たちで本棚が埋まっていった。どちらかというと、直木賞系よりは芥川賞系、謂わば「純文学」と呼ばれるジャンルが好きであることに気づく。

読書は、お金がなくても成り立つ唯一の趣味だ。図書館では無料で読めるし、ブックオフでは安価に手に入る。人生の半分以上を貧しく過ごしていたので、至極相性の良い趣味だ。

今では毎日読むくらいに読書が好きで、生活に必要と感じている。本を読んだときの、留めておくと自然に消えてしまう可能性を孕んだ期限のある気持ちを、noteに残しておこうと思う。

我が本棚と、読書について↓

起きて食って働いて読んで寝る

ニンゲンってタイヘンそうだな

昔から気が小さい私は、あれやこれやとこねくり回して考えてしまいがちだった。生粋のコネクリストである。

「読んでるとき」
「文章を組んでいるとき」は、こねくり回しの回転率がいつにもまして加速する。コネクリストである自分が肯定されるような、人間本来の生き方を全うできているような感覚になれる。

そして「食うてるとき」は、こねくり回しが唯一停止する。

読む、書く、食うをバランスよくサイクルさせることで、私は辛うじて人間の形を成せている。

こねくり回すことは悪いことではないが、過度は毒。でも今更この性質を変える必要性も感じられない、全うする他ない。
不可欠な睡眠と労働を交えながら、私はこれからも社会にしがみつき、生きていこうとおもう。

月:起きて食って働いて読んで寝る
火:起きて食って働いて読んで寝る
水:起きて食って働いて読んで寝る
木:起きて食って働いて読んで寝る
金:起きて食って働いて読んでちょっと遅く寝る
土:起きて食って読んで食ってちょっと遅く寝る
日:起きて食って読んで寝る

人間って呆気なくて儚くて金曜日の夜と土曜日が最高。
書くがないじゃないか、いつ書くんだ!という声が遠くから聞こえる気がする。いつだって書くぞという気持ちを込めて、自己紹介を終えたいと思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?