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軽めの依存症

(マガジン『他人の食事を作ってる』その5)
 
 
 前回記事で、Hさんがレトルトの中毒だという記載をした。ほんのちょっと。冷蔵庫を開けたくだりだ。
 
 もちろんHさんは、レトルトの中毒、あるいは依存症だということを否定する。しかし実際、数日に一回は、ヨーカドーや日高屋で済ます。こちらが届けると言っているのに、「今日は仕事帰り寄るところがあるから」とかなんとか言いつくろい、それらHさんにとって馴染みの味で夕食をとる。
 
 もちろん本当に用事があるのかもしれないが、ぼくは中毒の禁断症状と見ている。
 なにもHさんが、手が震えるわけでも汗が止まらなくなるわけでもない。見た目は普通だ。だから本人が否定するということも分かる。しかし禁断症状で、目に見えておかしくなることなど少ない。多くは、見た目が変わることがない。
 
 作家、中島らもはアル中で有名だ。その自身のアル中体験を書いた名作「今宵すべてのバーで」に、実に真に迫ったアル中描写がある。
 
 病院を夜に抜け出した主人公(小説なので中島らもではなく、小島容となっている)は、蕎麦屋に入る。そこで注文時、蕎麦のあとに1本付け加える。ごくごく普通の調子で。そして店員が引っ込んだあと、なぜ頼んだのだろうと、他人事のように不思議がるのだ。
 そして、まぁ1本ならと、禁酒をやぶる。酒飲みが1本で終わるわけもなく、けっこう飲んでふらふらで病院に戻る。そこで医者に見つかるという流れだ。
 
 流れを書いただけで、小説はもっと深く、またいろいろあって面白い。ただ、ここでは小説の評は置いておく。ようは、この蕎麦屋での場面の表現がとてもリアルだということだ。依存症で震えたり叫んだりというのは、分かりやすく大袈裟に表現しただけだ。もちろん重症化すればそうなるが、多くの依存症は、異常が表に出てこず、見た目が普通だ。でも、しぜんの流れから、しっかり日々、淡々と取り入れる。お菓子(チョコとか)だったり、濃い味(塩分)だったり……。淡々と、そして継続的に。
 
 こういったものは酒やたばこ、ドラッグとちがって違法性がないので、本人ですら気が付かないことが多い。「レトルト食品でなんか依存症にならない」「レトルト食品に依存性なんて生まれない」という思い込みもある。しかしどんなものにも依存性はあるし、ましてや添加物はドラッグに極めて近い。
 また、酒やたばこのように、「身体に毒だ」という意識が希薄なため、ストップもかからない。
 
 Hさんはきっと、数日間の断レトルトを行うと禁断症状が出てしまうのだろう。けっして1週間連続で自炊料理を食べない。なんとなく物足りないのだろう。ひと味、これはというパンチが足りないのだろう。
 
 マクドナルドは、人間は12歳までに食べた味を忘れないで一生食べ続けるからと、子どもをターゲットにし、トレーに敷く絵や景品のおもちゃに力を入れた。しかし今は少子化時代。Hさんを見ていると、独身男をメインターゲットにした方が、企業は稼げるように感じる。

駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。