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【役員インタビュー】仲間と一緒に泣ける仕事がしたかった -前編-

採用広報担当の髙橋です!
この連載は、チームが拡大する中の日々のドラマを発信したいという想いで立ち上げました!

トグルホールディングス(以下トグル)は、不動産ビジネスに革新をもたらす企業です。その独自のビジョンに共感し、多くの優秀な人材が集まっています。
今回は、トグルホールディングス株式会社取締役兼フジケン株式会社代表取締役 山﨑聡史さんのインタビューを2部作でご紹介します!


Q1.これまでの経歴を教えてください

-まず、山﨑さんのご経歴を教えていただけますか?-

山﨑:私は1984年に群馬県の前橋で生まれました。父は金融機関に勤めていて、母も金融機関でパートしていました。両親への感謝を忘れず親孝行を心がけています。

3人兄弟の末っ子で、兄とは7歳、姉とは3歳離れています。兄と姉からは色んな影響を受けました。私は野球左打ちなんですが、最初は右打ちでした。それを左打ちに変えたのは兄の影響です。

姉には小さいころからよくついて行って遊んでいました。結構目立つ姉だったので小学校や中学校は「あいつの弟か!」ということで先生や先輩たちからはかわいがられました。

小中高と地元の公立の学校に進学しています。
高校は地元の男子校、前橋高校に進学しました。兄が前橋高校、姉が前橋女子高校に通っていたので、自然と私の志望校も前橋高校に。文武両道で質実剛健な校風も気に入っていました。

-高校時代は、どのような経験をされましたか?-

山﨑:甲子園出場が一番の経験でしたね。大変な幸運に恵まれました。
幸運、というのは私たちはたまたま長い歴史の代表として甲子園に出場できた、という感覚なんです。

まさに「始原の遅れ」を経験しています。(注:「始源の遅れ(intial après-coup)」は20世紀のフランス哲学者エマニュエル・レヴィナスの言葉であり、一神教信仰とは「神がわれわれを創造した。われわれは被造物である」という意識のことで、「遅れている」という意識を持つことを知性の覚醒だとレヴィナスは考えたことを指す。)

先輩たちがこれまでの歴史を築いてきてくれたからこそ、たまたま私たちが歴史の代表として甲子園に行っただけに過ぎないっていう感覚なんですよね。

当時の野球部の監督は松本稔先生で甲子園で史上初めて完全試合を達成した方です。その先生に指導を受けたい、という土壌がまずあったと思います。
加えて、私たちの同級生って20名後半ぐらいで例年に比べると人数が多かったんですよ。

なぜ人数多かったかというと私が受験を控えていた中学2年の時、前橋高校が夏の群馬県大会の県予選の決勝まで行ってるんですね。あと1回勝てば夏の甲子園出場というところまで。

前橋高校は進学校ですから、野球に熱心な子たちは他の強豪に行ってしまうんですが、あの試合をみせられた中学生たちは「俺も前橋高校で野球も勉強も両立したい、あわよくば甲子園いけるかも!」というふうに思うわけですよね。先輩たちがそういう姿を見せてくれたからなわけです。

また僕らの二つ上、一つ上の先輩方もまた強かったんですよね。当たり前の水準を上げてくれたような人たちでした。

二つ上の世代は秋、春、夏、全部ベスト4だったんです。当時、桐生第一高校に一場靖弘さんという超高校級の投手がいて、牙城を崩せなかったのですが全大会ベスト4は結構すごいことです。

一つ上の世代は春の大会準優勝で関東大会に出場することができました。私の世代も何人か試合にでていましたので大変いい経験でした。
意外とできちゃうんだな、という感覚です。

甲子園出場時の当時の新聞記事


-トグルの大切にしているクレド「僕らならできる」に通じますね。-

創造的自信ですね。結構難しい課題もリーダーが突破口をひらいて、できるぞということを証明しちゃうと、チームのメンバーも、おっいけるぞ!となって、意外とみんなできちゃうんですよね。

例えば、新しいプロダクトの新規顧客獲得でも、まず一社、お客様になっていただいたら、メンバーがみんな自信を持って、おおできるんだ!と思えるようになる。
リーダーができちゃってるから、俺らもできるのでは?できるでしょ!みたいな。

まさに、高校時代に実感したわけですね。すごく今に通じる重要な価値観かなというふうに思います。

- その後、大学に進学されたと思いますが、どのような大学生活を送りましたか?-

山﨑:高校卒業後は明治大学に進学しました。高校ではほとんど勉強しなかったので大学では結構真面目に勉強した記憶があります。経営学に興味があったのでゼミのテーマは組織のナンバー2でした。

いろいろな組織のナンバー2に共通する事項について研究をしていました。
ソニーの盛田昭夫さんや、ホンダの藤沢武夫さん、歴史上の人物でいうと豊人秀吉の弟、豊臣秀長について調べていましたね。

Q2. 不動産開発との出会いについて教えてください

-新卒で入社した不動産開発業(デベロッパー)との出会いについて教えてください-

山﨑仲間と一緒に何か一つ大きなことを成し遂げた時の嬉しさをみんなで喜び合って涙を流せる仕事は何か、ということが大きなテーマでした。

22歳から死ぬまで働くわけです。それまで自分はどうやって生きてきたのか、今後どうやって生きていきたいのか真剣に向き合ったんです。
そうなると私の原体験は甲子園です。仲間と大きな目標を目指し、達成し、涙を流すような経験をしたわけです。

今度はビジネスで、こういった経験をしたい、と思ったわけです。人間って1人だと何もできないんですよね。だけど志をひとつにした集団になるとなんでも成し遂げてしまう。認知革命を起こしたホモサピエンスが今地球上の食物連鎖の頂点に立っている理由でもありますね。

私の高校野球を例にしてみましょう。野球の試合には9人にしか出られません。でも僕の同期って30人ぐらいいるわけですよ。21人試合には出られないですけど、その21人にも重要な仕事、役割があるんですよね。バッティングピッチャーをしてくれたり、試合のために相手チームの癖を見抜いて、攻略法を考えて戦略を練ったり。僕たちはただ代表で出てるだけ。

でも一丸となってそれぞれの持ち場で責任を果たすことができているチームでした。みんなの目指すべき姿、価値観が共有されていたんだと思うんです。そんなチームでなにかを達成するとやっぱり涙を流すぐらいの感情になります。あんまり嬉しくて泣くことってないじゃないですか。
でも、そういう経験をしたいなと思ったんですよ。

22年の短い人生振り返ったときに、やっぱりその経験って結構大きくて。だから泣ける仕事ないかなと思ってたんですね。仲間と泣きたいなと思って。

その時に一つ上の先輩が東京建物に内定貰ってて、そこで話を聞いてデベロッパーという仕事に出会ったわけです。

-デベロッパーという仕事のどんなところに魅力を感じましたか-

山﨑:私は不動産の数ある業務のなかでも駅前の再開発に携わりたいと思っていました。再開発業務は大変関係者の多い難易度の高い仕事です。デベロッパーの社員はプロジェクトマネージャーとして、地権者の方、近隣業者のかた、設計会社、建設会社などなどを取りまとめてプロジェクトを進めていかなければいけない。

駅前の再開発ですから当然社会的意義も大きく、プロジェクトの規模も巨大です。世の中にはそういう仕事があるんだということを知って、これは泣ける!と確信しました。これは天職だなとも思いました。

仲間と一緒に高い目標を成し遂げ、喜びを分かち合うということが、これから先も仕事にできるかもしれないということで、デベロッパー志望しました。

結果、デベロッパーの中でも駅前の再開発事業を得意としていた野村不動産にご縁を頂き入社することができました。

-野村不動産ではどのような業務に携わっていましたか-

山﨑:野村不動産のキャリアでは残念ながら再開発に携わることはできませんでした。住宅部門(プラウド)も経験しましたが大半は法人営業部でお客様へ不動産にまつわる課題の解決を提供していました。

土地でも建物でも何でも不動産にまつわる困りごとを解決する、一言でいえば不動産コンサルです。

社宅を売りたいとか、遊休地を有効活用したい、とか本社買いたい、とかお客様によってさま様々です。野村不動産の機能で解決することもあれば、他社のリソースを使って解決に導くこともしていましたね。

インターンの学生と撮った1枚

キャリアを見直すきっかけは野村證券への出向経験
山﨑
:当時、野村證券のプライベートバンキング業務部に一人出向枠があったのですが、幸運なことに選んで頂きました。

そこで現在のキャリアに繋がる経験をすることができました。
というのも非常な危機感を感じたわけです。自分の成長が止まってるなっていう危機感です。

当時私が出向した部署はお客様の要求水準も高く、またその要求水準に答えるため、メンバーのレベルも野村證券でも選りすぐりです。ただでさえ社員のレベルが高い野村證券の中でも選ばれた方々が所属していたように思います。

ここでは自分も自己定義の刷新をしなければ生きていけない環境に置かれました。
人生で一番ハードワークしたのもこの時です。野村證券での経験は、自分がまだ何者でもないことを感じましたし、今のままのキャリアの延長線上を生きていくことが果たしていいのか、という風に考えるようになりました。

野村証券時代のデスク上の写真


山﨑:野村不動産に戻って、役職や責任の範囲を大きく広げて活躍できるのはあと10年や20年待たなければならなそうですし、かなり先が長そうだぞ、と。その間、本当に私は成長をしていけるのだろうか、という感覚です。

今はSNSもあるのでみなさんキャリアの形成の早期化を希望し、かつ自分自身のキャリアを見つめた時に焦りなど感じやすくなっているトレンドです。私に起きた状況も似ているものがあります。

そんな時に伊藤嘉盛さんから一緒にやらないかっていう話がありました。

後編に続く

後編は以下の内容を深堀していきます!
Q3.伊藤嘉盛さんとの出会い
Q4.現在のトグルになるまで
Q5.これからの目標や展望について
Q6.どんな仲間が欲しいですか
Q7.トグルの魅力を一言で教えてください
お楽しみに!

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