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ウィーンの図書館で国威発揚と博物学に思いを馳せる

オーストリアはウィーンのハプスブルク家の居城内にある、世界の美しい図書館シリーズの1つに数えられる国立図書館プルンクザール(Prunksaal)に行ってきた。

ハプスブルクコレクションの1つだ、くらいの認識で足を運んだ。なぜに図書館に入るのにお金を取られねばならんのだ??と思ったのだけど、いわゆるぼくらが一般に想像するパブリックに開かれた図書館とは違い、いってしまえばこれでもかと見せびらかすための蔵書庫だ。

ワンフロアの館内には約20万冊の本が所蔵されている。

プルンクザールとはドイツ語で豪華な広間という意味であるらしい。

こういう建築をバロック様式というのだったかな。単なる建築デザインだけでなくて彫刻や絵画のアートで空間造形に利用した派手派手なもの。お察しの通り、Less is more を是とするぼくの美的感覚とは相容れない。

いや、正確にいうと半分はぼくの想像力の欠如からなる。それは、有り余るほどのお金を手にしたことがないから、壁を旧約聖書の一節をモチーフにした絵で埋めようとか、ここにはおじいさんの彫刻を…みたいな発想がない。故に理解できない。いろんなところに目移りしてしまう。なにに着目してよいのかわからなくなる。結果、いろんな豪華なものを詰め込んだ成金趣味の間にみえてしまう。

この時代の権力者の人物画に用いられるモチーフとして定番の地球儀がそれはそれは大きなサイズで鎮座していた。

まあ実際かなり資産があったのだろう。この図書館は18世紀、マリーアントワネットの母としても知られる女帝マリア・テレジアの父、ローマ皇帝カール6世によってつくられた。ちなみにこのカール6世が世継ぎの男の子に恵まれずに亡くなってしまったがためにオーストリア継承戦争が勃発するのだけど、それはまた別の話。

ミニアチュール(細密画)

この時代、本がどの程度普及していたのかはわからない。15世紀にグーテンベルクの活版印刷が開発され、ヴェネツィアが印刷の中心になりギリシアやローマの古典が広く出回るようになったようだし、もっというと、トレドのアラビア語からラテン語への大翻訳運動も12世紀の話だし。もっとも、これはぼくの西洋史の知識不足のあらわれでしかないのだけど、このミニアチュールをみるとオルハン・パムクの描いたような装飾写本の影響を受けているのかな、この奥行きのない平面さはまさにイスラム文化の影響だろうかと思ってしまう。

(この小説はオスマン帝国を舞台に描かれたものだけど、描写が美しいのとオスマン帝国側からみた西洋をみることができる傑作で、著者はノーベル文学賞を受賞)


同時開催と言うのか、特別展で当時、珍しい動植物の収集に駆り出され世界中へ冒険の旅にでた人たちと図鑑に収集するための動物画家の展示があった。

この象の絵は時代も舞台も異なるし、まったく関係ないのだけど伊藤若冲の樹花鳥獣図屏風を思い出した。はたして彼は本当に象を見たのかと

18世紀ともなれば、大航海時代は終わっているわけで、つまりは西洋世界以外の世界がどれだけあるのかを彼らが大枠で認識している時代だ。その上で、当時の貴族たちは自分たちの庭に珍しい植物や花を植えたい、自慢したい、話のネタにしたいという思惑から業者を探索に行かせている。それが、鳥に、もっと大きな哺乳類に…となっていき、見世物小屋が動物園になる。

つまりは動物園なんて、世界中からいろんな動物を集めることができるオレ(我が国)はすごいだろという権力や技術力自慢がそもそものはじまりなのだよなぁと改めて感じるとともに、いつから教育目的という立派なものになったのかなと漠然と感じてしまった。

ぼくは本にしてもアートにしても蒐集欲というものがないのであれだけれど、世界の動物をすべて図鑑に載せるみたいな野心的なプロジェクトでそれ専用の動物画家という職業が生まれ専門の訓練校もでき、動物画家としてのそれなりのお作法もできるのだからすごい時代であるし、世界の知識を集めるという行為にロマンを感じた。よし、じゃあちょっとググってみるかとは違う世界だから。実物をなんとかして見て観察して、写実的に細部まで表現しないといけないのだから。

これまた時代は全然違うけれど、戦後の1947年にカメルーンへ動物採集の度に出かけた英国青年の話を思い出した。

(現代ではNGな行為がちらほら見られるが、単に読み物としてもおもしろかった記憶がある)

ぼくは内向的で、用事がなければずっと引きこもって本やマンガを読んだりできるタイプなのだけど、こういう本を読んで、ぼくも自分の目でいろんなものを見たいなと思って旅行をし始めたんだよなと懐かしい気持ちになった。



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