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This time tomorrow where will we be…?

友達とにこやかに別れて帰国の途上でThe Kinks の This time tomorrow という曲を思い出している。ずいぶんと古い曲だけれど、ぼくの今の気分をよく表している。

This time tomorrow where will we be (明日の今ごろ、ぼくたちはどこにいるんだろう)から始まって、宇宙船でどっか誰もいない海を航海してるのかな、まだ機内で映画を観てるのかな、でもそれを知りたいとは思わないなみたいな歌詞が続く。

ブライトンを発つ日、4人の友人がわざわざ見送ってくれた。ぼくは日本に帰り、1人はイギリスに残ろうとし、1人はバンコクに、1人はパリに、1人は韓国に帰ろうとしている。ぼくを含めた5人のうち、3人は将来が不透明だ。極端な話、来月どこにいるかもわからない。

ぼくの帰国日、イギリスは熱波の真っ只中にいて、イギリスの観測史上最高気温を更新する40℃だなんだといって、交通機関に遅れはでるし、フライトも一部の空港で滑走路が溶けたかなんだかでキャンセルになり、ぼくの搭乗する飛行機も熱波の影響で、定員通りの乗客を乗せることができず10人ほど、別のフライトに強制振替えになった。おまけに、その日のロンドンシティ空港からのぼくの目的地へのフランクフルトへのフライトはなく、スタンステッドかヒースローにタクシーで向かわないといけないという混乱ぶりであった。

熱波を抜きにしても、過去2年のコロナでの旅行需要減でイギリス含む欧州の空港は従業員を減らしていて今夏の旅行需要に対応しきれず、フライトはがんがんキャンセルになっていくし、運良く乗れたとしても預入荷物はどんどん空港に置き去りにされ行方知れずになっている。

そんな状況での欧州からの帰国だったから、ほんとに比喩なしでぼくは明日どこにいるかもわからなかった。

ぼくの今後のキャリアとともにまったく流動的である。

1つ上の期の先輩は、6月末くらいには内定がでて就活を終えていたから、なんの疑いもなく自分も同じ流れだろうと思っていたのだけれど、ぼくがやりたい仕事とそのときマーケットに出ていた求人が絶妙にマッチしていなく、せっかく大学院まで来たのだから自分の思うキャリアにこだわるべきだという考えと、それが現実だ、運がなかったと現実を受け入れ自分を必要としているところで働けという考えが揺れており、テスト期間中でそもそも忙しかったこともあり、結局中途半端な応募書類をつくり、面接でも絶妙に噛み合わないまま終わってしまった。

ぼくは大学院でビジネスと開発を学んだ (/学んでいる) わけだけれど、8割9割は、「どんな仕組みがあればそのコミュニティは (持続的に) 発展するんだろうか」ということを産業育成やバリューチェーンの側面からの研究や議論だった。

ぼくは留学前は民間セクター支援の分野でキャリアを築いていこうと思ってた。だからこそビジネスと開発を選んだ。けれど、実際にその分野の仕事を探していると徐々に解像度も上がり、どのレイヤーで関わるかによって求められることも、その後のキャリアパスも異なるということに気づく。例えば、支援先政府に対する産業育成の政策提言を行うのか、現地企業の経営支援やスタートアップ育成を行うのかなどなど。

ここでの選択は今後のぼくの職業人生30年を占なうターニングポイントになりそうなのだ。はたしてぼくはどの分野で情熱を燃やすのがベストなのだろうかといろんなシナリオを考えている。いっそのこととりあえず日本でNGO立ち上げようかとすら思っている。

いま、ぼくは奇跡的に予定通り日本に帰国できたのだけれど、とりあえず実家に帰った後はどうしようかと思っている。昨日など「おれ人生に迷っているんだ」と友達とカフェで5時間ほど喋っていた。声が枯れた。ほんとは秋から同じ大学に通い始める友人へのアドバイスとか相談ごとの会だったのだけれど。

「おれしばらく無職だろうから、dissertation だしたらみんなで集まろうよ」なんてブライトンで言って別れてきたのだけれど、年内無職は精神的にキツい気もするのだ。いくらだいたい卒業生は卒業後半年くらいで職を得ていると言われたって、ほんとかな、大丈夫かなと思ってしまうのが人の性なのだ。

さすがに明日の今ごろはどこにいるかはわかるが、来月、いったいぼくはどこにいるんだろう。

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