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視覚的な描写以外で文章を紡いだことはあるか

朝ごはんを食べるときなんかに、いしわたり淳治のエッセイを少しずつ読んでいる。あいかわらず良い。

私たちの口から出る言葉はいつだって、感情より過剰だったり、不足していたりする。事務的な連絡ならば正確に言語化できていると言えるのかもしれないが、とかく「感情」という目に見えないものを言語化しようとすると、「言葉」は意外と不便な部分が多く、それこそ「言葉にできない感情」だらけではないかと思う。

はじめにより

著者のいしわたり淳治はもともとメジャーデビューもしたバンドのギタリストで今は作詞家として活動している。音楽は詳しくないけれど売れっ子なんだと思う。彼の著作のうれしい悲鳴をあげてくれを昔読んだ。言葉選びと視点や発想がおもしろかった。プロの作詞家はそういうふうに情景を切りとって短い言葉に落とし込むのかと感動した。

大学院に行ったからか、結論先行の簡潔な文章を書くことにすっかり毒されてしまった。以前は文章を書くことがnoteに毎日書くほどに好きだったのに、さいきんは毎度報告書を書くような作業に成り下がってしまったから、もう一度好きなように他愛ない日常の日記のような文章を書きたい、できればうまい具合に「おっ」となるようなユニークな表現を添えて、なんて欲をかいてるときにこの本を見つけた。

まだぜんぜんチャプター2とかだけれど良い。とても良い。前作のときは作詞家ってクリエイティブな人ってこんな風に世の中を見るんだ、こんなふうに心に引っ掛かる言葉選びをするんだって思ったのだけれど、今回は、テーマがテレビや広告の「言葉」をなんで刺さるんだろうと簡単に分析しているショートエッセイだからか普通に勉強になる。

人間には、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の5つの知覚がある。歌詞を書く時、作者はそれらの知覚を駆使して言葉を紡いでいくことになる。例えば、主人公が海辺にいる時、「水平線を外国船が横切る」と書けばこれは視覚的な描写だし、「寄せては返す波の音」と書けば聴覚的、「潮風の匂い」と書けば嗅覚的、「足にまとわりつく砂」と書けば触覚的、「しょっぱい水」と書けば味覚的な描写である。…中略… 実際、世の中にある歌詞はどうかというと、案外、視覚的な描写ばかりで書かれていることが多い。

chapter 1

これまで何冊かいわゆる文章術的な本を読んできたけれど、どの五感に訴える表現なのかって言及したものってなかったように思う。マーケティングの本なら五感に訴えろみたいなのはあったような気がするけれど、ツールは写真であったり、試食会だったりするわけで、文章で五感にってまったく意識してなかったように思う。

ぼくは自分視点の文章しか書いていないし、ぼくの見た景色とその時々で思ったことをつらつらと書いているに過ぎないので、視覚的な表現しか用いていないのだろうと思う。ぼくは特段文章術のようなテクニックは持っていないから。

それで、上記の引用の本題は、数年前にバズりにバズった瑛人の香水の歌詞「君のドルチェ&ガッパーナのその香水のせいだよ」は、「ドルチェ&ガッパーナ」のユニークなリズムと語感が聴覚を、そしてそのブランドの香水が嗅覚を刺激して…と視覚的ではない2つの感覚を組み合わせがこの曲を特別なものにしたのではないかと語っている。

ぼくは香水は疎いのでドルガバの香水がどんな香りはさっぱり想像できないので、この曲を初めて聞いた時は聴覚的にそのフレーズが耳に残っただけで、2つの五感を刺激することがどれほど効果的なのかいまいちピンときていないのだけれど、そういう考え方はぼくにとって新しくて、今後ぼくが書く文章でもインスパイアされそうである。かなりマーケティング的ではあるけれど。

昔、村上春樹の本が売れるのは文章のリズムが良いからだというのをどこかで読んだことがあって、よくわからないのでとりあえず村上春樹の本を何冊か読んでサブリミナル的にそのリズムを取り入れようとしたことがある。

それと似たようなことが起こりそうな予感がある。文章書く人とか、短い文字表現で人のアテンションをとりたかったり、なにか道行く人の心に引っ掛かる言葉を考えるような人は読んでおいて損はないのではないかと思う。

ぼくはぜんぜんコピーライターでもなんでもないのだけれど、刺さる表現を目にしたときはなんとなく、なんでこの表現は刺さった(ぼくのアテンションを引いた)のだろうとそれとなく考えたりしている。



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