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自分に心当たりがありすぎてグサグサ刺さる本を読んでしまった…

何年かに1回、期待を大きく上回る読書体験をすることがある。

ぼくはだいたい、この本を読めばこの分野のことを知ることができるんだろうなと、あたりをつけて本を選び読書することが多い。ぼくが本選びの基準にしているのはおもしろいかどうかなんだけれど、その「おもしろい」の定義は「自分が知らない世界のことかどうか」に依るところが大きい。

それで、最近ちょっと個人的に自衛隊について気になった。自衛隊員になる人ってどんな人たちなのか、どんな論理で国防を担っているのか、人生観なのかみたいなのをざっくり知りたくなった。

ぼくは青年海外協力隊という、日本と比べれば決して良いとは言えない住環境や治安、衛生状態のところで「途上国の人のために、彼らと同じ目線で課題解決に取り組む」という使命の下、2年間の任期で派遣されている。

専門家に近い立場で現地で働くことになるわけだけど、じゃあ現地で活躍できるか、先進国のやり方をそのまま現地に導入するいわばタイムマシン経営みたいなのが通用するかというと通用しない。

なぜなら、変えたい現実のためにいろいろ取り組まんとする人たちがいる一方で、現状の不効率・不公平なシステムの中でおいしい思いをしている人たちがいて、その人たちはもちろん邪魔して来るし、歓迎ムードで迎えてくれた人たちも、「君が来たから後は任せたよ」みたいに放置プレイだったり、働くのをやめてしまったりする。あげく、不効率な現行のシステムの不備を指摘すると機嫌を損ねたりする。

要するに、君たちはほんとに課題を解決したいと思っているのかと思ってしまうわけだ。厳しい現実を変えるにはそれ相応の不断の努力が必要なのに。さらには、国によってはアジア人蔑視の傾向を持っている人たちもいて、容赦ない罵声を日常的に浴びることになる。

自分はこの国の人たちがより良い生活ができるようにわざわざやってきたのに、なんだこの扱いはと思ったりする。どうして小バカにされながら安い生活費しか支給されない待遇で2年も「文明」から外れた生活をしないといけないのだと。それだけの価値があるのかと。俺の人生の貴重な2年を使ってまでもやることか。学生時代の友人は出世したり結婚して子供を持ち出したりしてるのに。

ぼくは幸いにして、モチベーションの源泉が大学院進学のための出願要件を満たす修行の2年間だ、そしてこの2年は将来のキャリアにもつながる(はずだ!)となんとかやっているけれど、それもいつまで続くかわからない。

だって国際協力の業界って、どこもお金なかったり、政治的に物事が動いたり、不安定な仕事で…ってネガティブ要素は盛りだくさん。仕事自体も報われないことの方が多い。

やめる理由はいくらだってある。

そんな時に偶然、元自衛官でおもしろい文章を書く人がいると知って手に取ったのが本書だ。

一言でいうと「強烈」。

思想が強いとかいうわけではない。意識の持ち方であったり、視点が、ぼくのような文官というか民間人とは違う。

いくつか引用しよう。

この世に根性なんてものは存在しない。それは、勝ちたいという欲求の度合いの違いにすぎない。合理的で科学的なトレーニングが必要で、それを他人が真似できない量をこなせるかどうかだ。こなした奴が勝つ」…中略… なぜその練習をするのか、どんな効果が期待できるのか、といった必要性や効果を必ず説明してからやらせた。
2人の人間が走れば、速い者と遅い者に分かれ、勝負がつく。速かった者は遅かった者より、歩幅×ピッチが絶対に優れている。であれば、どうやって歩幅を伸ばすのか。どうやってピッチを速めるのか。それを科学するだけの話である。そこに魅力を感じない者は、どんなに肉体的に恵まれていても伸びるわけがない。ただ、それだけの話だ。より多くの者に魅力を感じさせられる指導者は多くの人を育てるし、より強い魅力を与えられる指導者は選手を大きく成長させられる
私の命を守ってくれたコミュニケーション能力とは、警戒心とか、社交性とかではない。外国語能力とかでもない。それは、余裕である。そのままの自分をさらせる余裕、自慢でもなければ自虐でもない。ただ、等身大の自分をさらす能力だ。
 簡単そうで非常に難しい。さらしていると思っている人に限って、まったくさらしていない。人はみんな見せたい自分を持っているし、こう思われたいという願望を持っている。その虚像を実像だと思わせようとする者は、必ずはじかれる。人は、欺き続けることはできない。
作戦が行われる期間の2倍は平気でなければならない。あの時の俺らであれば作戦が2週間だったから、少なくとも1カ月間はそのバトルフィールドにいてもへっちゃらである必要があった。一瞬でも苦痛を感じたり、何かをがまんしたりしているとすれば、そこでの戦闘は絶対に勝てない。戦闘にならないんだよ。だって、いるだけでストレスを感じてしまうなら、戦闘になったとたん、肉体が死んじまう前に、その環境ストレスとコンバットストレスがメンタルを殺しちまうからな。衛生兵だろうと軍医だろうと、メンタルに救急治療を施せる奴は絶対にいない。
俺たちは、週に1回はステーキが出ないと、不平不満だらけになる人間だった。でもな、そこの村の子供たちは4歳でも、腹が減ったらジャングルに入り、お腹がいっぱいになって帰ってくるんだ。その意味がわかるか?俺たちにとって地獄のジャングルが、彼らにとっては食品庫か冷蔵庫なんだ。勝てるわけがないよ…。
中年以降の典型的な自衛官とは、目指していると思っていることと、実際に目指していることの間に大きなギャップがある人のこと。加えて、それに気づいているのか微妙な人たちを指す。
 例えば、自衛隊員が射撃訓練をする目的は、射撃精度の向上である。しかし自衛隊ではいつの間にか、怪我人を出さないとか、薬きょうを紛失しないとか、時間内に終了させるとかいった方を重要視してしまう。それらも大切なことではあるが、問題なのは射撃精度の向上がないがしろになってしまうことだ。
 気づいているか微妙というのは、当初はそのことに気づいていながら気づいていないふりをしているうちに、本当に気づかなくなってしまうからである。
「人が組織で生きていくとはこういうことなんだ」と、無理やり納得させようとすると、職務に対する熱意というか魂が抜けてしまうのか、生来怠け者だからなのか、安易で楽に生きるために自分自身の作業量を減らすことを最優先するような奴になっていった。
特殊部隊への入隊を希望してくるような若者は強い肉体的なストレスを与えても気絶するだけで、心が折れるということはない。気絶できない肉体的ストレスを連続して、エンドレスでかけ続けると、心の折れる者がでてくる。
 最後まで残るのは、夢や願望や憧れではなく、周囲からの期待や敬意や応援でもなく、特殊部隊を必然として志願した者だ。「残念ながら自分にはこれしかない」という気持ちにならないと耐えられない。この部隊で仕事をしない限り、この心と身体を生かしきれない。特殊部隊に入らねばいつか必ず激しく後悔する。そういった感情が湧きあがらない限り、耐えられないストレスだからである。
「まず最初に、自分に言い聞かせたのあ、『隊員を助けることはできないんだ。どんなケースでも助けられるわけではないんだ』でした。そして次に言い聞かせたのは、『でも、防衛医大に入学して医学の勉強を始めて以来、たくさんのことを学び、多くの経験を積んできたのだから、何もできないということはないだろう。なにかできるはずだ。それをひとつひとつしてみよう』でした。『何がなんでも救う』とか、『絶対に助けてみせる』と考えてしまうと、自分自身がパニックになってしまうからです」
 プレッシャーがかからないと本気になれない者、プレッシャーがかかると押しつぶされてしまう者、人には十人十色いろいろな性格がある。
 やる気のないように聞こえるかもしれないが、この医官の発言は、自分の性格を正しく評価し、自分の能力を最大限発揮するためにはどういう精神状態にするべきか理解しているからこその内容であった。
自衛隊とは、世界の中で、いや人類の歴史のなかでたったひとつ、その存在に疑問符が投げかけられているのに、その疑問符を投げかけてくる人たちのために自分の生命を捨てなければならない組織なのである。

これ以上引用するとさすがに読むほうもしんどいだろうから、このあたりにしておこうと思うが、めちゃくちゃ響いた。

本書の見どころは、やはり著者がイージス艦みょうこうの航海長として北朝鮮の拉致工作船と対峙したシーンの描写だと思うが臨場感というか筆致がヤバい。部下が死にに行く描写が輝いてみえた。これが自衛隊なんだ、そんな感じで自分の命を諦めるというか、覚悟を決めるんだなと。

のうのうを生きてる自分とは違うなと。

非常に示唆に富む内容で、期待値以上の読書体験だった。背筋が伸びた。

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