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セントルシアとパイレーツオブカリビアン#DAY19

今日は少し歴史の話を。マイナーなので興味ある人は少ないだろうから映画パイレーツオブカリビアンと絡めて。

ぼくが来週から行く、セントビンセントはパイレーツオブカリビアンのロケ地だった場所。セントルシアはそうじゃないんだけれど、この周辺の島々はほぼ同じ歴史を辿っているので、だいたいこういう流れで、パイレーツオブカリビアンの舞台の時代ってそんな時代だったんだと思っていただけば。

そもそもの始まりはアラワクというインディオ(先住民)が南米のアマゾンの方から海を渡ってやってきたことから始まる。このアラワクという人たちはハンモックで寝て、狩猟もやりつつ作物を育てる温厚な人たちだったらしい。

その次にやってきたのがカリブという人たち。同じようにアマゾンから海を渡ってやってきた。彼らはアラワクとは違い好戦的で完全な狩猟民族、作物も育てない。好戦的であったので、たびたびアラワクを攻撃した。島の覇権はカリブが持つことになる。

その後16世紀ごろに、フランスが入植を始める。カリブとフランスはたびたび衝突をしたようだけれど、なんだかんだで100年ほどフランスが統治する。英語圏のはずなのにSoufriereとかフランス語の地名が多いのと、現地語のクレオール語にフランス語が混じっているのはこの影響。 

で、その次の100年はフランスとイギリスが領有を争った時代になる。その100年ほどの間に14回も領有権が変わったそうだ。

セントルシアにラットアイランドという小さい島がある。別にネズミが多いわけでもないのにラットアイランドと呼ばれるのは、その時代に敗戦濃厚になったフランス兵が隠れていたのがその場所で、イギリス側が蔑みを込めて「ラットがそこに隠れてるぞ!」と呼び始めたのが始まりではないかと言われている。こういう逸話のようなものがセントルシアのあちこちに残っている。

1814年のパリ条約でイギリスの領有が確定することになる。このあたりの島にはフランス領もわずかに残っている。

英仏の入植が始まった≒アフリカから労働力として奴隷が連れてこられたということなので、黒人が増える。そしてカリブは好戦的で、セントビンセントでは争いの末、イギリスにべリーズに追い出されたりしている。

そんなわけで黒人がマジョリティを占め、イギリスの入植の影響でさらにインド人が連れてこられ、現在の人種構成となっている。

さて、それではパイレーツオブカリビアンの時代、カリブの海賊の時代はいつかというと、ウィキペディアによると1650年頃が始まりとある。ジャック・スパロウは伝説の海賊だったはずなので舞台はこの初期の時代ではない。

1作目は、ナッソー(バハマ)やポートロイヤル(ジャマイカ)が出てきてたので、ここがカリブの海賊の舞台ということなら黄金時代の1680年くらいではないかと思う。その後、情勢の変化に伴い、海賊の中心地はちらばりカリブ海の外に行ったりする時代もある。パイレーツオブカリビアンは何作かあって、黒ひげがでてきたりしていたけれど、その黒ひげの時代となると1720年代。まさに各国の海軍が海賊の取り締まりを強化して滅ぼしにかかっている時代で海賊の最後の時代。

カリブの島々で取れた砂糖、カカオなんかを本国へ。本国から武器や物資を積んだ船がアフリカへ。アフリカから奴隷を積んだ船がカリブへという時代。

海賊はそういう商船を襲って、積み荷を奪い、どこかの港で売りさばいて生きてわけで、買ってくれる人がいないと意味がないから、出どころのわからないものの売買を禁止する法律ができて、その法律がまともな人がきちんと守れば海賊は生きていけなくなってしまうか弱い存在だったんですな。

金や銀、現金が積み荷でないとそういった制約を受けるわけで、最高級のカカオなんかが財宝とされなくて、金銀が財宝とされるのにはそういった理由があるんだな。

現実というのはロマンもなにもないな。泥臭いビジネスマンじゃないか。

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