国の功労者の葬儀に行ってきた
グロリア・バレンタインという女性の葬儀に参列してきた。
ひょっとしたら、向こうはぼくの存在を認識していたのかもしれないけれど、面識はない。少なくとも、ぼくはまったく知らない人。
新聞記事によると、彼女は本物の愛国者だったようだ。
ネットボールを始めとする、国のスポーツ振興を推し進めたのが最も大きな功績らしい。初の女性首相まであと一歩のところまでいったとも言われている。
なぜ、ぼくがそんな人の葬儀に行ったのかというと、かつて視覚障害者協会で働いていたことがあり、さらにいうと、現在、視覚障害者の人がやっているモップの製造ビジネスを立ち上げた人なのだ。
彼女を功績をスタンリー(会長)やファビーナ(秘書)から聞いて、ぼくはなるほどなと思った。
ぼくに求められていることは、彼女のような働きなのだな、彼女と比べられるのだなと思った。
午後2時から(珍しく時間通りに)始まった葬儀には、概算で600人ほどの人が参列していた。
ゆかりのある人達が順番に彼女との思い出を語り、その中には首相のゴンザルべスの姿もあった。
スタンリーもスピーチをしていた。ほどよく会場の笑いを誘う良いスピーチだった。
その人の価値というのは、その人の葬式のときにわかるというのを昔、祖父から聞いた。
午後2時から始まった葬儀は5時半まで続いた。
ぼくが知る限り、自分の出番が終わるとさっと次の仕事に向かってしまうゴンザルベスも5時まで残っていた。
多くの人が最後まで残り、協会から埋葬場所までのちょっとしたパレードに参加していた。さすが、国の功労者というべきか、警察のマーチングバンドが埋葬場所まで先導していた。
バプティスト派の教会での式で、ぼくはキリスト教のこういう式自体初めてで、なにがどうというのはさっぱりなのだけど、ゆかりのある人が6人くらいスピーチをし、宗教歌を5~6曲歌い、牧師さんが熱のこもった説法をし…と興味深かった。
教会の式だけで3時間半、それから埋葬場所まで行進、埋葬。
ぼくは式だけで帰ったのだけど、埋葬が終わったのはたぶん6時半くらい。
そこから、飲み会が遅くまであるのが通例のようだから、ほんとに長い。(なんだったら午後1時から公式ではないもののスピーチは行われていたようだ。)
式のあと、普段は陽気なスタンリーが結構ヘコんでいた。
記録によると、いっしょに働いたのは94年からの2000年代初め頃と少し昔、ということになるのだけど、その時代というのは協会の立ち上げ期で苦楽を共にしてきた仲なのかもしれない。
81歳。どんな最期だったのかは知らないけれど、途上国で81年生きて、そしてこれだけ多くの人に慕われていたのだから大往生だろうなあ。
(大往生は仏教用語だっけ)
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