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限りなくリアルに近くてブルー「推し、燃ゆ」

アイドルにハマるというのがいまいちぼくには理解できない。故に、読んだ。推しが炎上したことをきっかけにいろいろ起こったり起こらなかったりする話。「推す」感情とはどういうことかを知れた気がする。

著者は現役大学生。そして芥川賞受賞作品。ぼくは綿矢りさや金原ひとみの作品を残念ながら読んだことがないので、それら作品との比較はできないのだけど、ぼくの感覚では村上龍が24歳で芥川賞を受賞した作品「限りなく透明に近いブルー」に近い読書体験。

大事に隠し持ってる箱があって、何が入ってるんだろうって、こっそり開けてみても空っぽだったような空虚感というか、必死にそのスペースに何かで満たそうとしてるというか。なんだろう、よくわかんない。ぼくは未だ、その輪郭すら知覚できないでいるのかもしれない。

村上龍はたしか、限りなく透明に近いブルーという作品について、当時の若者の雰囲気で大人が理解できないものすべて詰め込んだ、みたいなことを言っていた。仮に、本書の著者宇佐美りんも同じであれば、若者の世界観を見事に描いたと言えるのかもしれない。少なくともそう評価されたんだろうなと思う。

たしかに、ぼくが高校生のときも売れないバンドの追っかけをやってる子はいたし(夜行バスに乗って各地に遠征してた)、大学のときもネタじゃなくてほんとにアイドルにハマってるやつもいた。ちょうどAKBの神セブンの絶頂期あたりだったと思う。

ぼくはずっと理解できないでいたけれど。

だってぼくにとってファンになるというのは、応援してるプロ野球選手がいるとかそんなレベルで、例えば、オリックスの吉田正尚がHR打てばうれしいし、サッカーの久保建英が活躍すれば気持ちも高揚する。けれど、仮に彼らがケガで長期離脱になっても「残念だな…」以上の気持ちは芽生えない。自分の日常生活に影響は与えない。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して、距離が近づくこともない、あたしが何かすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

本書を読んでいると、推しを推すというのは、のめり込む、何かにハマる、というのは生活の中心になるほどのパワーがあるんだろうなと思う。

当人たちにとっては生活の中心で、それを理解できないぼくのような人間にとってはあくまで趣味で、時間があったら取り組むものであって、それがなくたって、日常の楽しみが1つ減るようなもので生活に支障がないものとして見てる。だから、「お金ないのになんでグッズ買うのよ?」「ライブ行く時間はあるのに就活する時間はないんだ」なんてコミュニケーションに齟齬が生じる。

推しを取り込むことは自分を呼び覚ますことだ。諦めて手放した何か、普段は生活のためにやりすごしている何か、押しつした何かを、推しが引きずり出す。だからこそ、推しを解釈して、推しをわかろうとした。その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとした。

推しがいる状態というのはなんとなくわかった気がする。

感想でコンビニ人間と同じカテゴリーだよ、みたいなコメントが付いてたりしたんだけど、ぼくの感覚ではちょっと違う気がしている。コンビニ人間は完全に社会不適合者として描かれていたし、希望もなかった。

けど、本書は、たぶんADHDだと思うんだけど、ヘンにデフォルメされてないぶんとてもリアルで自分も一歩踏み外したらと思うと怖かった。もちろん、アイドル沼にハマるとかそういう意味じゃない。

なぜあたしは普通に、生活できないのだろう。人間の最低限度の生活が、ままならないのだろう。初めから壊してやろうと、散らかしてやろうとしたんじゃない。生きていたら、老廃物のように溜まっていった。生きていたら、あたしの家が壊れていった。

部屋が汚い、生活が乱れていく描写がちょくちょくあるんだけれど、この引用部分の感覚非常によくわかる。単に掃除が苦手というのもあるんだけれど、なにか買ったものを手入れしないといけないという「常識」が欠落している気がしている。

普段、スマホとかソフトウェアやサービスにこれでもかというほど囲まれていて、何か不具合があれば、バグレポートすれば、あるいはしなくても、気づけばアップデートされていて、基本的に常に快適な環境で使える。スマホだって修理にだせばOK。けど、掃除はそうじゃないのが理解できないのだと思う。

もちろん理屈としては理解できている。ほこりが溜まる、ゴミが溜まる…、けど、掃除するっていう、改善ではなく現状維持のために労力を割かないといけないことに心が納得してないのだと思う。

うまく表現できないけれど。

だから、なんというかぼくも結構危ういタイプではあると思う。いつ闇落ちするかわからない。ぼくは、まだやりたいことがあるから、多少つまづいても大丈夫なところはあると思う。

2時間くらいで読める比較的短い話ではあるので、とりあえず読んで欲しいのだけど、この著者にしろ、Yoasobiやあいみょん、ヨルシカにしろ若い人たちは優しいよなと思う。作品の世界観は暗いと思うけれど、盗んだバイクで走りだしたりしないし、殴らないし、ケンカもしない。

心の中ではいろんなことを思っているけれど、表に出さない。優しい。歌詞を見てもそう思う。

ぼくは自分も平成生まれで失われた30年とか言われてるのもあって、閉塞感とか、抑圧されてるとかいう言葉は使いたくないけれど、これが今の日本の若者が感じてる空気感なのかと思うと暗くなる。

たしかに、ハッピーエンドも「普通」へのロードマップだったりして、か細い希望を見せてるよなと思う。

なんか純粋に作品の感想ではなくて、世代論とか矮小な話をしてしまったけれど、推しを推すというのは、この作品の中に限って言えば、良くも悪くもひとつの青春のように感じた。推しとの同期性を高めて自分のアイデンティティに昇華するというか。

他人のためにそこまでのめり込める感覚がぼくにはないので、少し羨ましくはあるけれど、その狂気性に怖いなと思う。


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