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おぼえていますか

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2014年9月発行の同人誌『おぼえていますか』(東堂冴)のWeb公開バージョンです。
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『おぼえていますか』作品概要

『おぼえていますか』作品概要

『おぼえていますか』
同人誌版:( https://sae-todo.booth.pm/items/520428 )

■概要
才能を与えられるとはなにか。天才である/でないとはなにか。
その問いに答えを探すため、二人のギフテッド(天才)と、一人の凡人を抱えた兄弟それぞれの軌跡を描いた作品。
才能を持たない弟・潮がその苦悩と疎外感を吐露する「ピエロ」、「傾城」と称されるまでにうつくしい音楽を奏で、

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remains

 漆塗りの御盆に残った最後の一輪を差し出された父は、首を横に振って棺の前に立ち尽くしたままの次兄を呼んだ。父の意図を察した係員が渉(わたる)の元へと歩み寄り、彼は軽く頭を下げてその花を受け取った。花と楽譜に埋め尽くされた棺に向き直り、渉はしばらく動かなかった。すすり泣く声と重たい静寂に囲まれた内側で、次兄はひたすらに長兄の姿を見つめている。彼の一番近くに納められた楽譜には、渉の名前があった。花に埋

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ピエロ

 父親と喧嘩をした次の日、数年ぶりに熱を出した。午前四時に目が覚めたかと思うと、肩まで布団を被っているにも関わらず、ひどく寒くてもう一度寝付くことができなくなっていた。寝起きで焦点を失った思考がゆっくりと中心に集まってようやく現実と調和し、漠然とした寝苦しさが悪寒によるものだと把握してしまってからは、布団の中で身を縮めて耐えるよりない。風邪を引いたのだろうか、と気付いた瞬間、寒さの表面で体が火照る

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あしたの、ラプソディ・イン・ブルー

 あの日潮くんが皐月(さつき)ちゃんの前で絞り出したことばを、わたしはきっと忘れることができない。潮くんはいまにも泣きそうに俯いていて、皐月ちゃんは、なにか不思議なものでも見るような瞳で彼を眺めていた。ちいさなからだとその両腕に、わたしにはほとんど読めない五線譜と音符をたくさん抱えて。三階の廊下の窓が結露していた、高校三年の冬の朝。雫は窓ガラスをなぞって落ちていったけれど、潮くんはまだ唇を噛んだま

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sophisticated

 目覚ましの濃いコーヒーを淹れ終えた午前六時五十分、アーダルベルトがダイニングテーブルをはなれて東窓のカーテンを握るのと、彼の同居人が視界の端でブランケットを抱え込み、気怠い寝返りを打つのとはおおよそ同時だった。部屋のひとすみに居座るダブルベッドのうえでは、少し色の抜けた作り物のアッシュブラウンが白い枕に浮いている。朝を遮蔽された広いワンルームはすべてが半音下がったように薄暗く、壁を向いて体を丸め

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兄へ

2015/8/18 (Tue.)
 ヨーロッパから帰国した洋に誘われて、実家近くの居酒屋に行った。少し痩せたように思う。「乾杯」とグラスを鳴らしたあと、「ミのフラット」と呟いて一人で笑っていた。
2015/8/20 (Thu.)
 教え子が、夏休みの宿題に追われているらしい。そういえば、そんな時期か。俺はわりと計画的に終わらせる派だったと言えば「そんな気がする」と言われた。
 洋が、新しいアルバム

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A列車を見送った、ぼくたちと。

「どーも、ご無沙汰してます」
 祖父の七回忌の土曜日に少し遅れて親族控室に入って来た末の弟は、三年前に死んだ兄にずいぶん似てきたと渉(わたる)は内心感じていた。大学に入学したと同時に逃げるように家を出て行った潮が、こうして親族の集まりに和することは珍しいものの、ひとたび顔を見せれば持ち前の人懐こさで彼は如才なく場に溶け込んでいく。潮にとっては非常に不本意なことではあるだろうが、そういう面で彼は父や

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おぼえていますか

  1

 俺たち兄弟にとって父がかみさまであるのなら、二十八歳の真夏に夭逝(ようせい)した兄はなんであったのだろうと、いまでもよく考える。洋が死んだと連絡を受けた日、実家の庭には芙蓉の花が咲きほこっていた。その恐ろしいほどの白さも覚えている。少し、呼吸ができなくなった。失われたものはひどく内側にあったような気分に陥っていたのだろう。兄は、たしかに俺にとってなにものかであったし、おそらく実際にあら

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