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解放された記念日11月22日

12年前にデキ婚で結婚し
2人の子供に恵まれ
求めていた幸せを手にしたと
喜びに満ち溢れていたのも
つかの間だった。

2年も経つと喧嘩も絶えず
何を言っても100倍返しの夫
さらには暴力を振るわれ
生活費も入れてもらえなかった

結婚生活が4年ほど経った頃
私は夫が帰宅する時間になると
過呼吸になり身体が震えだし
精神科へ受診して薬を処方してもらった

夫と過ごすことが苦痛すぎて
私は感情をなくし笑うことをやめた

それまでなるべく怒らせないようにと
気を遣って過ごしていたが
そんなことをする事もできなかった。

限界に達したとき私は決意した

Xdayと称し
その日を目標に家出計画を立てた
市役所や警察、弁護士相談にもいき
調停をする段取りをしながら

子供と遠いところへ行く準備をした

やってきたXday当日

変わらない朝を迎えた。

夫は、飯!制服!靴下!
いつも通り私を奴隷のように扱い
仕事への支度をする

いってらっしゃい

見送ったこの言葉が最後の言葉になった。

夫が家を出発したのを確認し
近くで待機させた引越し業者に連絡

必要なものを全て詰め込み
子供を連れて車を走らせた

県をまたぐ移動になったが
地元を抜けた瞬間の開放感は計り知れない

これからの不安なんか1ミリも感じない
それより羽根が生えてきたようで
空も飛べる気がした

弁護士とのやり取りの中
携帯も全て抹消し
夫とは一切の連絡を絶った

数ヶ月後、家庭裁判所で
初めての調停に出廷することになった

待ち合わせた弁護士と向かったが
過呼吸、全身の震え、意識朦朧とした。

夫が裁判所をあとにしたのを
確認してもらってから私も退出した。

数回の調停が取り行われたが
双方の意見は平行線のまま終了

裁判へと移行された

離婚裁判になり慰謝料請求を求めた

しかし、
夫は離婚したくないの一点張り

子供と会えなくて悲しい。
なんて言ってたそうだが
ある時裁判所で見かけた時には
以前と少し風貌も変わり
オシャレに目覚めたような装い

なにが寂しいんだ、、と
言いたいくらい変わっていた。

Xdayの直前に、最後に
DV以外の離婚材料をと携帯をみたとき
足繁く通う風俗の女の子とのやりとりを見つけた
本番行為をしていたみたいで
相手の女の子が少々不安そうな内容だった

何度か裁判所へ通ったが
なかなか動きのないまましばらく時間があいた

ある人と出会い、
彼女の一言に私は背中を押された。

慰謝料払いたくないだけなんじゃない?
もう、さっさと離婚して母子手当貰ったほうが
絶対いいじゃん!

そう言われて、久しぶりに弁護士へ連絡をした

もう慰謝料いらないから離婚成立させたいです。

その後に向かった裁判で
手のひらを返したようにあっさりと成立した

裁判になったので
離婚届も私1人のサインで受理された

離婚が成立したのが

11月22日

皮肉にも「いい夫婦の日」が
離婚記念日となった。

毎年テレビを見てると
いい夫婦の日特集をやっているので
忘れようがないこの日だが

私にとって、
新しい門出であるのです。

あれから5年が経った

今は、あの時とは比べ物にならないくらい
楽しい日々を過ごせている。

幸せすぎて怖いくらいと
思う日もあるけれど

こんな日が1日も長く
続けばいいなと願うばかりです。

まだまだやらなければいけないことは
沢山あるけれど

私にできる事を
これからも私のペースで
頑張っていきたいと思います。

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