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天狗と河童のハーフ「てんがらもん」(鹿児島県郡山)【河童伝承フィールドワーク・資料調査】その3

平成16年の民話集に記された答え

ここまで、寄り道をしながら「てんがらもん」について述べてきたが、鹿児島市立図書館で資料をとりよせ、真髄にせまることにした。
以下は、『郡山の民話と伝説』(郡山町文化協会ふるさとを学ぶ会民話部会平成16年3月31日発行)の「八重山天狗どんと甲突池のガラッパさんのおはなし」の文末(注釈)から引用する。

①このお話に出てくる「天がらもん」は人間を意味しています。天狗は「みどり」ガラッパは「水」を表し、人間は自然の申し子であり、自然界から見れば、人間というものは、まことに「天ガラもん」であります。
②このお話に出てくる甲突池は、郡山町八重山のふもとにあり、鹿児島市民の水ガメとして、鹿児島市を流れている甲突川の源にあたり、今もたゆまなく穣(やたか)の水を流し続けております。
③「おまつり」 ガラッパさんが、山から海へ下る春の祭りとして、甲突池ガラッパまつりが、また、海から山へ登る秋の祭りとして、八重山天狗ハイキングがあります。   郡山町商工会

『郡山の民話と伝説』(郡山町文化協会ふるさとを学ぶ会民話部会平成16年3月31日発行)
p140-141

天がらもん=人間。天狗=みどり(山)、ガラッパ=水なのだ。この解釈を地元の商工会が明示している。
そうすると、拙記事の「その1」に掲載した天狗・ガラッパ・天がらもんの親子のレリーフにも納得がいく。そのレリーフの天がらもんは、鼻は低く、口は尖っておらず、羽もない。

彼は、人間なのだ。

この土地の古事記

同資料にて、民話の全文が記載されているが、存外に長いので結末部分を引用する。

そして、いつしか二人のあいだに、かわいい男の子がうまれたそうな。そこで、ふたりは、こどものなまえを花尾の山のかみさまに、おねがいにいったところ、天狗どんの天とガラッパさんのガラをとって、「天ガラもん」となづけなさい。とのおつげをいただき、さっそくふたりは、天ガラもんとなづけ、とてもだいじにそだてたそうな。
天ガラもんはやんちゃではあったけれども、おやこうこうで、やさしい心をもったこどもだったそうな。
やがて大きくせいちょうした天ガラもんは、父おや母おやをたすけ、八重山と甲突池をまもりつづけたそうな。
そのおかげで、八重山は、おおくのひとびとのいこいのばしょとして、また甲突池は、たえることのない水のおかげで、川しもにすんでいるひとびとのいのちをまもりつづけているそうな。
そこで、このさとでは、このはなしをだいじにして、天狗どんのすんでおった山を、天狗どんがもっていた八手にちなんで八手山、のち八重山、ガラッパさんが神の使いとしておれいまいりにきておった小池を、神使池、のち甲突池とよぶようになり、また、そこからながれている川を、甲突川とよぶようになったそうな。いまでも、八重山には天狗どんが、甲突池にはガラッパさんが天ガラもんをつれてあらわれ、ねがいごとをかなえてくれるそうな。八重山天狗ハイキングと、甲突池ガラッパまつりは、こうしたいいつたえの中からうまれたまつりだそうな。

『郡山の民話と伝説』(郡山町文化協会ふるさとを学ぶ会民話部会平成16年3月31日発行)
p139-140

民間伝承や神話のなかには、その土地の地理的な成り立ちを伝えるものがしばしばある。山同士が喧嘩したり、川の化身が大暴れしたり、鬼の投げた大岩が飛んできたりする。下界を棒でかきまわして、島が生まれたりする。

今回の天ガラもん話も、「この地がどのようにできたか」の古事記なのである。荘厳な山の加護、農業に欠かせぬ川の水、そこに人間がいさせてもらっている。人間は、山と川を大切にしている。祈り、生き、信仰が根付いた。家族のように、強い結びつきがある。

参考資料 表紙

「こうつき」に込める思い

神使→甲突という変遷には驚いた。一見してそれほど重要な情報ではないけれど、あえて平成の民話集に入れ込んだということは、作り手としては「語り継がれるべき事項」なのだ。
そしてこの情報は、2023年の現時点でインターネット上の文字情報としてはあげられていない。拙記事その2でふれたように行政のHPでは甲突川がかつて「神月川」と呼ばれたと記録している。
神の使い、神の月、甲(かぶと)突き・・・どれも薩摩らしいといえばそうなのかも。

また、話はそれるが漫画『ONE PIECE』に登場する「光月(こうずき)家」の系譜も見逃せない。作者・尾田 栄一郎は熊本県(鹿児島県に隣接)出身である。世界的人気漫画の「ワノ国」編の主要キャラに「こうずき」を採用した意図を、いつかたずねてみたいものである。(さすがに尾田先生も、こんなローカルな川の名前は知らなかったと思われるが。)

おわりに(鹿児島市の暮らしの記録)

鹿児島市に住んでいると、甲突川は非常に身近な川である。毎年増水する、何度も水害をおこしているのに、誰でも川のそばに降りることができる(一般的には管理人用階段があっても施錠されているものではないか?)。
鹿児島中央駅と天文館の間に流れており、徒歩で訪れることができ、河口付近(高麗町あたり)は近隣住民・サラリーマン・学生たちの憩いの場である。桜の季節には点々とブルーシートがひかれ、宴がひらかれている。昼からビールを楽しむ人たちも当然いた。
よく見かけたのはブルーギル、アカミミガメなど外来生物、オオバンやカモ、スズメ、カラス、カニ、コイ。時折、大きい魚がバシャッ!ととびはねる。カラスが異様に多いエリアもある。
筆者は一度だけ、迷いこんだイカを見たことがある。ハローワークに通っていた暑い日だった。
知人は「むかし祖父がうなぎをとっていた」と言う。「筒状の仕掛けを設置していた」とのこと。本当だろうか。
水量が極めて少ない時には、川底の漂流物を手に取れるほど近づくことができる。陶磁器のかけら、キーホルダー、花束、ライター、骨、その他もろもろ。捨てたのか、落としたのか。人の営みの末路、面白く、不気味だった。
路面電車の線路がはしる橋の真下にも行ける。電車が通過するときの騒音とスリルはなかなかのもの。
仕事で心が疲れた日、甲突川の河童に会おうと不審行動を繰り返していた筆者であるが、2023年春、鹿児島を離れることになった。

今回のテーマは調査に5ヵ月を要した。その間、筆者は家庭の事情で鹿児島から大阪へ引っ越し、職場も変わった。忙しさ、寂しさ、段ボールの山。落ち着いて執筆する環境がなかった。
今やっと、大阪という土地を調べ始めた。
今後は、ここぞとばかりに関西圏の河童や民俗について調査報告する予定である。どうぞお楽しみに。

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