見出し画像

Road to AKO

播州赤穂との出会いは、2017年初秋でした。
その頃は両親の介護もひと段落し、これからは自分のやりたいことをして生きていこう!と心に決め、神戸でいわば〝自分探し〟の毎日を過ごしていました。
高校を卒業後、長かったOL生活を卒業し、とにかくいろんな場所に飛び込んでいきました。
カフェでウェイトレス、子育てのお手伝い、派遣に登録してコールセンターの仕事、グランピングのスタッフ、ほかにも様々なお仕事を経験しました。
そうそう、お茶子さんを経験したことは以前こちらにも書きましたね。
なかでも、これは運命の出会いかもーと思ったのが〝ウェディングのアテンド〟でした。
黒のパンツスーツに身を包み、結婚式のお手伝いをするお仕事です。
幸せなお式に、少しだけ関わることができる、やりがいのあるお仕事でした。
今でも忘れられないのは、アテンド見習いの初日に担当させて頂いたカップルさんが子連れ婚だったこと。
おっちょこちょいの私は、“なぜ新郎新婦の控え室に、甥っ子ちゃんがずっと居るのかな?”と思っていました。
新郎新婦さんに〝可愛い甥っ子ちゃんですねー〟などと言わなくて、ホントーに良かったと思っていますW

そして、とうとう播州赤穂との出会いがやってきます。
捨てようとしていた〝県民だよりひょうご〟を、ちょっと待てよ。一応見てから捨てるかなーとチラ見しました。
そこにはたまたま播州赤穂の、それも御崎ガラス舎さんの特集記事が…
海辺でガラスなんて、すごく素敵!と赤穂御崎に関心を持ち、ネットで調べるうちに赤穂緞通に辿り着きました。
赤穂緞通を知ったのはこの時が最初です。
とにかく藍などの青い色が美しいわぁー!と、一目惚れでした。
そして、その翌日に無理にお願いして、工房の見学をさせて頂き、その場で移住を決意。
トントンとことは進み、それから半年ほどで神戸に別れを告げ、赤穂御崎にやってきました。
この半年間は、今考えても本当に不思議な出来事ばかりで、赤穂に呼ばれてきたのかなと思うほど物事がスムーズに進んでいきました。
これは100%無理だろうと諦めた事が叶ったり、大切だと思うことでも、赤穂に関係のない物事はなぜかすべてあっさりダメになって消えていくWなどなど…
私にとって神戸で過ごした時間は、とても濃密で有意義で大切なものなのです。
ツライこともあったけど、それがあったから今ここにワタシが居るのです。

父方の祖父母が加古川に住んでいたこともあり、子供の時から塩味饅頭が大好きで、心の中でいつも不思議と気になっていた播磨。
赤穂と私は、きっとご縁があるんだわと心から信じている私です。


#赤穂御崎
#赤穂ギャベ
#手織り
#タペストリー
#ワークショップ
#海辺の古民家
#田舎暮らし
#御崎ガラス舎
#県民だよりひょうご
#塩味饅頭
#自分探し
#介護

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?