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「まちなかひろば」閉店

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南相馬市原町区、原ノ町駅から徒歩5分ほどのところにある「まちなかひろば」内にあるスーパーマーケット「市民市場」が、明日3月31日をもって閉店となる。
この写真は3月28日に撮影したもの。既に看板も下ろし、店内は荷物が少し残るのみ。社長さんと従業員さんで、後片付けをしているところだった。

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ここ「市民広場」を含め「まちなかひろば」は、原ノ町駅前の活性化を目指し、2010年に市民団体「実践まちづくり」が運営母体となってオープンしたものだ。スーパー「市民市場」と、チャレンジショップである「屋台村」が併設した場所だった。間もなく南相馬市に運営保体が移ったが、運営そのものはここに入店した人たちに任された、自治性の高い場所だった。

2011年の東日本大震災発災後は、南相馬市ほぼ全ての店舗が閉店している中、震災から二週間かからずに営業を再開したのだった。
その頃の南相馬市は、72000人の市民のうち60000人以上が避難していた。街に残った人の数は10000人弱。屋内退避区域に指定された南相馬市には、物資が全く入ってこず、街は兵糧攻めのように、じわじわと物資不足にになっていた。
そんな中市民市場は、東京の大田市場と独自に繋がりをもち、直接物資を仕入れる形でお店をオープンさせたのだ。
当時街に残っていた人からすれば、さぞや心強かった事だろう。未だに「あの時ここが開いていてくれて、本当に助かった!」という声は聞く。

その後もこの場所は、自主的にライブイベントを開いたり、出店を出したりしながら、震災後の南相馬を元気づける事に貢献した。

そんな中、2011年に移住した俺を、拾ってくれたのがここ「市民市場」だった。市民市場でコミュニティカフェを開くというので、俺がそのスタッフとして滑り込んだのだ。その頃俺は、長期滞在しながらボランティア活動をしていたのだが、ある日「なぁぐんそう(俺のあだ名)、大変な事になったんだよ。今度コミュニティカフェをやる事になったんだけど、その場を任せる人がいなくてな、一緒にコミュニティカフェをやってくんねえか?」と声をかけてもらったのだ。その時既に移住する気でいた俺としては、まさに渡りに船な話。かくして俺は「市民市場」内で「コミュニティカフェ『べんりDaDo』」という場を開き、当時市内に残っていた人たちにコーヒーを入れつつ、色んな話を傾聴したのだ。

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上の写真は、色々な人が集まる場になっていた「まちなかひろば」を見て、アートが得意なボランティアが書いたものだ。
「べんりDaDo」は、県外からの支援者の受け入れ場所にもなった。「こんな支援がしたいんです」という人と、その支援が必要なところを繋ぐマッチングをしたり、支援活動の場所を提供して活動してもらったり、届いた支援物資を仮設住宅に配って廻ったりといった事も行った。
東京から『オステオパシー(アメリカ生まれの、整体に似た手技を用いた医術)』を無料で施しに来てくれたチームもいたな。
お笑い芸人さんが来た時は、プチ演芸も開いたっけ。
そうして半年間「コミュニティカフェ『べんりDaDo』」は活動したのだった。

ここには、俺の南相馬生活の「原点」があった。

今は亡きヨガジーが月二回、無料のヨガ教室を開いていたのも、ここ「市民市場」だった。
事故で亡くなったヨガジーは、最後までここのヨガ教室の事を気にしてたっけ。
ヨガジーが亡くなった後も、そこに通っていた人たちが自主的にそこでヨガを続けていた。

春夏秋冬ごとに「まちなかひろば」ではイベントが開かれた。そこでは常に「市民市場」の人たちが音頭を取り、イベントを引っ張っていた。

東日本大震災から10年が経ち、「そろそろ『まちなかひろば』の役割も終わり」と言ってしまえば、確かにそうなのかも知れない。
だとするならばここ10年で、「まちなかひろば」、そして「市民市場」の果たした役割は、物凄く大きかったのではないか。

そんな風に思うのだ。

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