ダイアログインタビュー ~市井の人~ 井上禄也さん10

◎理念・ストーリー・核
 
 ――ここまでの話を伺っていて感じたのは、「どんな場面でも一貫して「ストーリー」を大事にする」って事を意識しておられるのかなという事なんです。例えば震災後に震災後に新しく作った経営方針でも、しっかり「従業員、仲間を大切に」という方針をきちんと打ち出しておられて、それをベースのストーリーとして守っておられる。商品開発にもストーリーを活かすという事を大事にしておられる。「ストーリー」をキーワードにしているんだなという感じがしたんです。ご自分ではその辺りの意識ってあるんですか。
 
 井上 そうですね、僕はいつも同じ事しか言ってないんですよ(笑)。ベースを決めておけば、そこから枝葉が分かれるように発生する色々な局面に遭遇しても、ベースに沿って対応方法を決めれば良いだけになるんで、判断するのが楽と言えば楽なんですよ(笑)。
 
――楽なんですか(笑)。
 
 井上 どんな場面に遭遇しても、理念に照らして行動すれば良いだけですからね。そうして取った行動に対して「それは違うんじゃないか」と誰かから指摘されたとしても、「僕はこんな理念に則って行動してるんだ」という風に話も出来る。「理念」という筋の通ったものが無いと、余計な事もしてしまうし、疲れるし。行政やら元請けさんやら、色んな人が色んな立場から色んな事を言うから、それを聞いた経営者が言われる度に判断を変えてしまうと、従業員が右往左往させられるし疲弊してしまう。経営者の判断が一貫していると、従業員も経営者の以前の判断に則った判断が出来るし、経営者もその従業員の判断に付け加えるだけで良くなりますよね。従業員に公平に接する事も出来るし。だから、努めて一貫する自分であるようにしています。一貫していると楽だと言ったのはそんな意味なんですよ(笑)。
 
 ――なるほど。その事には、社長になられてすぐに気付けたんですか。
 
 井上 そこは「経営指針を作る会」で学んだ感じですね。あの会がなかなか凄いんですよ(笑)。中小企業の社長が集まって、「あなたの会社はそんな事じゃだめだ」みたいな事をお互いに言い合うんですよ。ディスり合うというか(笑)。でも、皆さん経験豊富な経営者の先輩ですから、色々な事を教えてくれるんです。そんな雰囲気の中で、仲間の大切さも感じられましたし。その「仲間は大事」という感覚の中で「旗振り役は公平であるべき」「旗の方向性を明確に指し示す必要がある」と思ったんです。そう思った事が「一貫するように心がけよう」とする自分の原点ですかね。だからうちの経営指針にも、仲間を大切にという要素を盛り込みました。「経営指針を作る会」の中でそういう「核となる部分」が出来て、その「核」を、実務に合わせて修正したりしながら今までやって来ました。でも冒険もしてますよ。年間売り上げのうちコンマ五パーセント程度の冒険はした方が良いとされているんで、その範囲内での冒険はしています。「核」が出来てるので、冒険するにしても、事例ごとにその「核」に間違いが無かったかという事を、実践の中で確認しながらやってますね。
 
 ――「核」に沿った冒険なら、周りも戸惑いませんよね。
 
 井上 うちは人も大勢雇ってますしね。何か動こうとすると、それこそ戦争ですよ(笑)。人を動かすという事で言えば、「事業の成功」が「勝利」になるんです。どうやって人を同じ方向に動かし、全体として「勝利」を得るか。
 「理念」って、どっちかというと、経営者側である僕を拘束するものだと思うんです。「従業員を大切にしよう」「お客さんを大切にしよう」「地域を大切にしよう」って、僕に対する拘束ですよね。国で言うところの憲法みたいなもので、国民を拘束するものじゃない。経営理念ってそうあるべきだと思う。僕が旗振り役としてみんなを動かすけど、動かす方向は僕の好き嫌いで決まるのではなくて、経営理念に拠って動かすと。それが僕の仕事というわけです。
 
■ たくさんの従業員同士で目的意識を共有し、最善の結果に導くという事に、井上さんは心を砕いているという事だ。従業員もいない単独行動であるなら、状況に応じて取る行動を変えてもそれほど混乱は生じない。しかし松永牛乳は南相馬市内で有数の規模の事業所である。それほど身軽には動けない。
原発事故直後、牛乳については特にたくさんの噂が立った。悪い風評も未だ根強く残っている。そんな中でも乳業事業を続けた松永牛乳が今日の業績回復に至るには、井上さんが理念を持って旗振り役に徹したからこそなのだという事が、ここまでの話で浮かび上がって来る。「僕っていつも同じ事しか言ってないんですよ(笑)」と、井上さんは飄々と話していたが、一つの事を徹底して深めていく事はそれほど簡単ではない。周囲からは様々な意見が入ってくるし、内外からプレッシャーも受ける。そんな中で一つの方向性を貫く事は非常に難しい。現場目線である事を心掛け、常に同じ立ち位置に立ち、対外的にもその姿勢を崩さないからこそ、ブレない「核」を示す事が出来る。
この街のリーダーシップ不足を指摘するその姿勢も、井上さんのそんな日頃の核の徹底から生まれるものなのだろう。事業所と行政では事情が違うとはいえ、それを期待する気持ちはよく分かる。

~つづく~

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