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通り魔を作らない社会があるとしたら

 「通り魔を作らない社会を作るより摘発することに力を注ぐ行政だ」という指摘を見かけました。妥当だと思います。ですが、より根本的には意思表示しにくい、声を上げられない社会の問題があると思います。

 食べ物の話題を中心に記事を書いていくつもりですが、食べ物の問題は汚染や社会、環境から来ています。そういったお話に触れざるを得ないことも多々あります。

 以前、SNSで良質な食品を扱う業者が減り、次第によいものを入手し辛くなっているということで、初めて消費者の心理と経済的な構造の問題を書いたことがありました。この問題も同じかもしれませんので少し触れてみたいと思います。

 通り魔の動機には色々なものがあり、軽々に語れませんし詳しいわけでもありません。根っこには原因がある筈だと思いますが、衝動的で理由付けの希薄なものもあると思います。本来は人を傷つける事の無意味さ、罪深さなどの倫理的ブレーキや、思考による理性のコントロールが必要だと思います。

 しかし社会と絡めた論説も出て来ます。動機もまだ明らかになっていない段階からこういった話題に発展することにも抵抗はありますが、人間は理解できないものに対して自分なりの解答を与えることで心理的安定に至ろうとしますので仕方ないのでしょう。仮にそういった問題であれば本当はどうするべきなのかと思いますし、本当を見失った社会論が飛び交うのも私の環境衛生上良くないことなので参考にして欲しいと思い、一筆記します。

 通り魔に限らず(食品の話題では消費者)生活上の不満を大小なり抱えてしまうと、特に行政上の要因で生活への圧力が高まってしまうわけですが、これをどう解消するのかという問題だと思います。

 食品の例では(いずれこちらに書こうと思います)、消費者は値上げの不満を販売する店舗にぶつけます。以前スーパーがレジ袋を有償にする社会実験がありましたが、消費者が怒りの感情を露わにして接客に悪影響が出たため取りやめになりました。

 販売者も同様に、原料の高騰や不景気による値上げの被害に遭っているわけなのですが、消費者と販売者、つまり被害者同士の争いになってしまうのです。

 最近ではやよい軒というお店が、ごはんおかわり無料サービスに対して、おかわりしないお客から同じ値段なのはおかしいとクレームを受け、おかわり無料サービスを中止するといったニュースがありました。なぜお店が苦情を受けるのでしょうか。それは不公平という方便が表向きにあるものの、おかわり代だけでも節約したい、そんなことをするのであればおかわりしない客には安くしないとおかしい、安くしろという本音があるからだと思います。要は圧力としてのクレームです。

 生活上の不満はどこにぶつけるべきなのか、どこに言えば解消されるのか。

 この相手は本来、行政であったり政治の筈です。

 ところが、本来言って行くべき先へ「言えない」。
 その理由は様々ですが、一言で言えば自分の保身です。
 原因は消費者側と行政側にあります。

 行政側ではこういった不満をコントロールすることになり、いわゆるガス抜き政策といった事をやります。それでも不満が抑えられない場合は行政への意見批判は反体制的といった印象を与えようとします。最後は圧力です。通り魔を摘発することばかりに力を注ぐというのも圧力の一つです。

 消費者側の問題は、過剰な保身です。
 家族構成も影響しますが、本人の性質として保身的な人は多いです。さらに学校教育で反体制的な行動は悪いことであると刷り込まれます。自分の意見を言い、その価値観を認めることに抵抗が生じるようになります。集団の中では所属する組織の圧力も生じます。正直に気持ちを言うと周囲から批難されたり攻撃を受けかねないムードになるからです。

 こういった生活の延長で大人になってしまい、言わなければならない所へ、直接意思表示することができなくなり、言いやすい所・反撃されない所・立場の弱い相手に対する攻撃が意思表示になってしまうのです。良くないのはこういった事をしても何も解決しないどころかいじめなど他の問題を発生させた上に、社会を構成する自分以外の要素に余計な負担を与えたり廃業に追い込んでサービス自体を消滅・機能できなくさせてしまうことです。本人の意図と反してますます住みづらい世の中になります。行政はその対策のために時間を使い、新しい法律を作り…と無駄な費用が積み上がり、さらに生活は厳しくなります。マイナス方向へしか費用と労力を使わなくなるからです。

 もし通り魔の人が不満をぶつける形で犯行に及んだのだと推察されるのであれば、まずこの事を考えて頂きたいと思います。あなたも消費者として同じ事をサービスの提供側にしていないかどうか。

 なぜなら通り魔と言われる人達のほとんどは、本人なりの言い分があるにせよ、行為として見れば弱い子供や女性を中心に襲っているからです。自分より強い者に傷害行為をしていく者はたいへん僅かで、誰でもよかったと言いながら相手は保身的に選んでいるからです。

 こちらも「言いやすい相手」「反撃されない相手」を選んで不満をぶつけている消費者とまったく同じだと思うのですが、どうでしょうか。


まとめ

 ・言いたい事を言うべき先へ言わないのが一番悪い

 ・他人や他人の人生は個人のうさばらしのためにあるのではない

 ・言いたい事を言いやすい雰囲気を作っておくことが重要

 ・集団の中で息が詰ったら、一度それを捨ててみるくらいの気持ちで心を自由にする方がよい。そのまま耐え続けることがいろいろな悲劇に繋がりかねない

 ・相手も被害者なのでは?と考える

 ・体制の雰囲気に騙されない。その方が楽と思うかもしれませんが、どこかで誰かがツケを支払わされることになります。それは許されてよいことではないのです
 

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