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ゾウの日、私は何を思う。

8月12日
世界ゾウの日

象牙などの密猟や世界環境の変化によって、絶滅の危機にあるゾウへの関心を深め、その保護について考えることが目的。
この日を中心にアフリカ・アジアのゾウの保護のために、世界中で啓蒙活動が行われる。
World  Elephant Day

ちなみに日本では4月28日が象の日です。


知ってましたか?
知ってましたか?
知識の量が試されますよ?
今すぐ覚えたほうがいいです。

私は、ちょっと前に鶫さんに教えてもらうまで知りませんでした。
…ええ、知りませんでした…!私としたことが…!!
でも今知っているからいいのです。
知らないことを恥じてはいけない。
今、知っているということが、とても大事。
教えてくれる人たちがいることに感謝!

さて。
象といえば、とき子。
とき子といえば象。
そのような印象を定着させるべく、象についてはちょいちょい触れてきたのですが、象についての知識は極めえて乏しい私です。



じゃあなぜ、私は象が好きなんだろう?



記憶を遡っていくと、幼い頃に読んだ『かわいそうなぞう』がどうしても出てくる。



子供心に、どうしても許せなかったのだ。
人間の都合で囲い、人間の都合で芸をさせ、人間の都合で戦時中は危険と判断し、そして殺処分という選択をするその物語が。
いや、物語ではない、それが現実だということが。
そのうえ、ゾウに対して「かわいそう」という表現が、まるで他人事のようだと感じてしまい、人間の方がよっぽどかわいそうで哀れな生き物だ!と憤る小学生がそこにいた。
(ここまで熱く説明する小学生ではなかった)

そんなわけで、小学生のとき子は両親に頼み、動物園に連れて行ってもらった。

それまでも、何度も動物園に行ったことがあるし、象も見たことがあった。
だけど、それは、入り口付近にいる巨大生物という認識で
「ぞうさんだー!」「おはなながーい」「バイバーイ」
おおよそその程度で通り過ぎてしまう動物だった。

今回は、人間として、しっかり謝まりに行くのだ。
そして、注射針でも、毒林檎でも殺せなかったというその大きな体や頭の良さもよく観察しよう。
そんなことを思った。

しかし。

そこで会った象は、あまりにも大きかった。

小さな小さな私ごときが「ごめんね」なんて、それこそ鼻で笑われてしまうぐらい大きいと思った。

「私の価値は、私が1番知っている。お前如きに謝られるようなちっぽけさは持ち合わせていない」

いやまさか。そんな言葉が聞こえてくるような小難しい小学生ではなかったけれど。

肌で感じたのは、象の誇り高さだった。
揺るぎのない生命力のようなものだった。

大きいから、頭がいいから、殺処分に手間取ったのではない。
生きる意志の強さが、命を容易に奪わせなかったのだ。

おそらく、幼い子供が初めて感じた『畏怖の念』というものだったのだと思う。


あれがきっかけだったのか、それともただビジュアルが好きだからなのか、本当のところはよくわからない。

だけど、象は、どうやら私の心の中に、何か強い意志を持って存在する。たぶん。

気がつけば、noteにも、象に関するお話を書いております。
そこにはやっぱり、ただ象愛があるということ、ただそれだけなのだろうなと思います。 

よろしかったら、象の日にちなんで、私の象愛覗いてみてくださいませ。


『かわいそうなぞう』に絡めた小さな恋物語。私のゾウ好きの原点を探ろうと書いたストーリー。


鶫さんにリクエストして描いてもらった「象と鳥」
そこから、空と大地を繋ぐ友情のお話が生まれました。自分が書いた物語では、実は1番気に入っています。


玉三郎さんが描いてくれた絵から生まれた、虹色のぞうの物語。
この象の美しさはあの時に感じた畏怖の念を覚えます。
だからなのか、「象」と「人間の身勝手な争い」という物語になったような気がします。


こちらは、Marmaladeさんが作ってくれた羊毛フェルトの『ポノちゃん』のトークです。
うどんについて語らせたら止まりません(笑)


この日をきっかけに、あなたも少し、ゾウさんが好きになっていただけたのなら幸いでございます🐘✨
(ギリギリ12日間に合った)

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