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2005 チリンチリンの乱

赤の他人が共に暮らし、家族としてひとつの社会を作っていく。
よく考えたら、大変なエネルギーを使うことだし、族長の座を巡って大きな争いもひとつやふたつ、その歴史にあっておかしくない。


山崎まさよしだって、夏がダメだったりセロリが好きだったりするよね〜と言っている。
他人なのだから、否めないことはある。
我が家では、夏やセロリに異論は無かったが、チリンチリンは否める事件があった。


結婚した当初。
夫は、亭主関白に憧れていた。
まず、夫の父が、ゴリゴリのそれだったし、夫の年齢だと、そんなことを夢見ても、まぁしかたのない年代である気がする。

亭主関白に憧れていたあたりから、現在までのざっくりした夫の説明はこちら。


これは、私が我が家の在り方を、亭主関白から、かかあ天下へ移行させた、戦いの記録である。


私たちは、結婚当時、同じ会社にいて、ほぼ同じ残業をしていた。
ほとんどの帰宅時間が22時〜23時であり、お互いの疲れ具合も把握していたので、2人で惣菜を買ったり、外食したり、素早く食事を作ったりと、まぁまぁ楽しく過ごしていた。

しかし、近い将来転勤になるのを見越して、私が先に仕事を辞めた。

納得して辞めたし、家でご飯をしっかり作るというのも苦痛は無かった。
夫は妻を養うことに意気揚々としていたし、私も新婚気分が抜けていなかった。なにより時間の余裕は、心の余裕を生み出す。

「いってらっしゃい」と玄関まで見送り、「おかえりなさい」と玄関まで迎えに行く。
クローゼットまで5歩でたどり着けるアパート暮らしにもかかわらず、その5歩を、夫の鞄をもって移動した。
疲れているであろう、夫の食事を温め直し、焼き立て炒めたて、揚げたてが美味しいからと帰ってきてから火をつけた。
彼からしたら、よく出来た新妻だ。


ある朝、夫が「会社の飲み会があるから先に寝ていていいよ」と言った。
言われたんだから、私はさっさと先に寝た。

午前1時をまわった頃だ。

ピンポンピンポーン!と酔っ払った夫が、何度も玄関のチャイムを鳴らした。
こんな真夜中に、なんて奴だ。絶対迎えになんぞ出てやるもんか、と私は思ったので無視をした。

すると、腹を立てた夫が「おーい!開けろー!」という大声と共に、玄関の外に置いてある自転車のベルをチリンチリンと鳴らし始めた。

なんたる近所迷惑!!

怒り心頭で玄関を開けて「何考えてるの!早く入って」と、声を殺して叫ぶ見本のような声で夫を家に入れると、彼は言った。

「ご主人様が帰ったのに、玄関を開けないとはどういうことだー!」

…あん?


私は悟った。
相手が酔っ払っているとはいえ、ここで負けたら、今後の生活に笑いはない。
そして、こんなことを口走るようにしてしまった責任は私にもある。
絶対に負けられない戦いが、今、始まったのだと。

「どういう理由があるにせよ、こんな夜中にチリンチリン鳴らすのはどうかと思う」
私は冷静に言った。

すると、旦那は激昂した。
「うるさい!!チリンチリンして何が悪い!?
チリンチリンぐらいで説教する奴なんて、離婚だ離婚!!」

そうして、結婚指輪を投げつけた。


この時点で、私は勝利を確信した。
なにせ、1ミリたりとも私に非が無いのだ。
彼は、自ら穴を深く掘って、そこに落ちる準備をしている。バカめ。
私は興奮している夫を無視して、明日の台詞を考えながら先に寝た。
夫はしばらく何かうるさく叫んでいたが、「オーエきもちわりっ!」と言いつつ寝たようだった。


翌朝だ。
スーツ姿のまま床に転がっている自分と、なんとなく覚えている記憶に、彼は半笑いで「なんか昨日ごめんね、ちょっとよく覚えてないけど」と言い訳を始めた。

しかし、私の顔は能面だった。
好きの反対は嫌いではない。無関心だ。
怒りでも悲しみでもなく、無感情。

それから冷たく口を開いた。

おい、チリンチリン。今日、離婚届を役所からもらってきて。
こんなに早く離婚になる経緯は自分で会社のみんなに説明して。
「夜中にチリンチリンを鳴らしたら離婚になりました、酷い嫁です」って報告したらいい。
あと、結婚指輪な。この家のどこかに落ちてると思うけど、私は探さないし、家を出ていく前に掃除機をかける。吸い込もうが私の知ったことでは無い。
私の話は以上。とりあえず、会社に行って下さい。


彼は青ざめた。
チリンチリンを鳴らしたらことは本当にごめんなさい!!」

「いや、チリンチリンを鳴らしたからどうこうでは無い」

「でもチリンチリンはやりすぎでした!」

「いや、勘違いしないで。この呆れた感情は、チリンチリンに対することじゃなく、私に対する態度だから。俺様が帰ったと夜中に嫁を叩き起こすだけじゃなく、近所迷惑までかけたっていうことで、チリンチリンはオマケにすぎない。あと、離婚宣言するからには、それなりに覚悟があるんでしょう?」

どんだけチリンチリン言うんだこの夫婦は。


夫は青ざめたまま会社に行って、青ざめたまま定時で帰ってきた。
大きな大きなホールケーキを買って。
なにこれ、ウェディングケーキ?

「本当に申し訳ありません。ケーキは、友達みんなで俺の悪口を言いながら食べてください。二度と離婚なんて言わないし、酔っ払いません。チリンチリンは反省してます」

そんな手紙も添えてきた。

正直なところ、私は完全勝利を悟っていたし、チリンチリンと書いているのは完全に狙ってるだろう!?と思ったので、すぐにも爆笑したかったが、そこは気を引き締めた。
なにせ、天下分け目の戦なのだ。

「あなたは、いつどんな状況でも優しく迎えてくれる嫁を欲しているんだと思うけど、私は違う。これからも、先に寝るし、起こされたら怒るし、理不尽な暴言は絶対に許さない。離婚を言い渡されて、泣いてすがるような嫁ではないけど、それでもこの結婚生活を続ける気がありますか?」

能面で言い切るには、かなり筋力が必要だった。

彼は神妙な顔で「あります!!」と高らかに宣言し、それから「チリンチリンで離婚は笑えないわー」と力なく笑ったので、私はようやく、表情筋を解放して「チリンチリン離婚!」とゲラゲラ笑った。

結婚指輪は掃除の時見つけたので「次は絶対に掃除機で吸う」と言って返した。

彼はしばらく、私にも、私の友人にも「チリンチリン」をネタにされ、関白宣言に失敗した男として語られた。


あれからも彼は、何度かお酒で失敗しているが、翌朝の能面スタイルの嫁に、心底怯えている。
自分でも、あの顔は怖いだろうなと思う。

今では能面スキルはどんどん上がり、筋力コントロールをしなくても、スっと出来るまでに成長(?)した。


何も尻に敷いておこうと思っているわけでは無いのだけれど、あれ以降どうしても強く出でいる私がいる。
娘が最近、私より父親に対して強い。
おおう、これが「親の背中を見て育つ」ってやつか、教育って怖いと思う。

「お父さん!これは食べすぎたら健康に悪いのよ!買ったら食べたくなるんだから、買ってきたらダメでしょう!」

夫には今、強い嫁が2人いる。

天下分け目のチリンチリンの乱以降、平和であることは間違いなさそうだ。

まぁそう思っているのは、私だけかもしれないけれど。



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