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言葉を届けるということ

興奮冷めやらぬ気持ちを抱えたまま、文学フリマについて記した昨日のnote。

主観的に見た風景、起きた出来事、抱いた感情を率直に書いてみて、いかにもまだ自分の中で緊張がとけずにいるなと、午前3時、再びnoteを書いています。

売れなくて震えた時間もあったけれど、その後、興味を持って足を止めてくださった方、見本誌を手に取ってくださった方、そして購入までしていただいた方には感謝しかありません。本当に本当にありがとうございました。

自分のことばかりに気をとられてすぎて、余裕がなく、「本当にいいんですか?」と思わず聞いてしまいそうになるくらい、心臓ばくばく、うれしすぎて震えていました。

自分が書くものは、すごく主観的であるし、狭い空間で繰り広げられる個人の感情相撲のような内容なので、「誰かに届ける」という気持ちよりも、「自分のために書く」という色合いがすごく強いなと思っています。だから余計に「本当にいいんですか?」と後ずさりするような気持ちで私はあの場所にいて、なかば祈るような気持ちで本をお渡ししました。

「WEBカタログを見て」とおっしゃって購入してくださった方に対しては、私があそこに書いた言葉を信じて来てくださったと思うと、胸がぎゅっとなるくらいうれしくて。でもうまくお話しできなくて、すみませんでした。

そして男性の方に「深海の底で待ち合わせ」を購入いただいたのは私の中では本当に予想外で、色々とお話ししたかったです。

私が文章を書いている理由とは、ある意味、自分や周りへの言い訳みたいなところがあるなと思っています。出来事やそこに付随する感情をなぞって、解釈し直して、自分で勝手に納得しているというか。だから、「自分のため」の文章であって、いつも身勝手なことばかり書いていると反省しながら、やめられない、みたいな感じなんです。

でもこうやって、読んでくださる方と直接お会いできて、「言葉を届ける」ということについてあらためて考える機会になりました。

往復書簡の中で、他人と分かり合えないことに希望を感じると書いていたのですが、違うということはすごく豊かなことで、人それぞれ自分とは違ったいびつさを持っていると思うと、人間という生き物への愛おしさみたいなものを感じるというか。だから私はそういった「いびつさ」を肯定するために文章を書いていて、それは私自身を肯定するものであり、同時に他者の感情に行き着くような気がしていて。「言葉を届ける」なんてなんだかたいそうな言い方になってしまったけれど、じわりと心をつたっていく「なにか」を私はごちゃごちゃと作っていきたいなと思っています。

とにもかくにも、文学フリマを通して出会えた方、作品すべてに感謝しながら、次なる創作の世界へと足を踏み入れていきたい所存です。

ちなみに在庫分のキャンドルと往復書簡数冊はオンラインで販売予定です。

また準備が整いましたら、お知らせしますので引き続きどうぞよろしくお願いいたします!


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