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水素社会入門 第1章 オイルショックと水素社会

①理系じゃなくても大丈夫です!水素の歴史を学びましょう!

さぁ今日が水素社会入門編第1回。今日から4回に分けて水素社会について学んでいきます。

その上で、みなさんの中にもしかしたら「私理系じゃないので無理です」と感じていらっしゃる方もいるかもしれません。ご安心ください。今回の講座ではなぜ水素が注目されることになったのか?という1つのテーマだけに絞り、水素の歴史について話していきますので、化学的な話はほとんど出てきません。

まぁこの水素の歴史が面白い、ですのでぜひ、安心して学んでいってもらえればと思います。

今回の講座を学ぶにあたって使用する年表(とびchan.作)

②水素は最初宇宙産業から始まった

それでは早速、水素技術の歴史がいつからどこから始まったのか見ていきましょう!
水素の歴史は1766年、ヘンリーキャベンディッシュというイギリスの科学者が金属に薬品をかけたところ軽くてよく燃える気体を発見したところから始まります。その後ラボアジェという有名な科学者がその気体を燃やすと水が生まれるという性質から、その気体を水素と名づけました。

しかし、そこから約100年間、水素という物質は知られていたけれども、それを技術に応用することはなかった。その流れを変えたのは、またもやイギリスの科学者・グローブ卿という人物。すごいですよねイギリスの産業革命によるこの圧倒的な科学力、、、。
1839年彼は水素と酸素から水と電気を生み出すことに成功しました。でもこの時の発電方法は画像を見てもらえるとわかるけど、とてもじゃないけど普通の人は使えない。実用化とは程遠い、基礎の基礎の研究だったんです。

グローブ電池。H2と書いてあるのが水素。O2は酸素。とてもじゃないけど使いにくそう、、
出展:「燃料電池の発電の仕組みと実際」早瀬雅彦、トランジスタ技術(2005)、8月号

そこからまた約100年、次の流れを生んだのはまたまたイギリス。まだまだ科学の世界ではトップランナー。「知は力なり」という言葉で有名な哲学者フランシス・ベーコンの子孫と言われているイギリスの科学者フランシス・トーマス・ベーコンが1959年「アルカリ型燃料電池」と呼ばれる実用可能な燃料電池を完成させます。アルカリ型燃料電池というのは、まずアルカリ型っていうタイプの仕組みを使った、そして燃料電池というのは水素から電気を取り出す装置だと思ってください。

そもそも電池っていうのは電気を保存するもののことを言いますけど、燃料電池の場合は水素ガスという燃料を溜めていて、その燃料から電気を作りだすという仕組みなので、燃料として電気を溜めておく仕組み、燃料電池というふうにいうわけですね。

そして、このフランシス・ベーコンは特許もしっかり取ります。いよいよ水素が技術として使われ出すんですね。

ただ、ここでいよいよあの国が動き始めます。そう「ユナイテッドステイツオブアメリカ」USA。なんと、アメリカの意外な組織がこの燃料電池技術に目をつけます。それがそうNASA。アメリカのユナイテッドエアクラフト社という航空機系の企業がフランシスベーコンの特許権を獲得し、その技術を使ってロケットの電気を燃料電池から供給しようと研究開発を始めます。そして1965年ジェミニ5号に世界で初めて水素燃料電池が搭載されるんですね。この時に使われてた燃料電池はアルカリ型ではなくて固体高分子型という少し違ったタイプの燃料電池だったらしいんですけど、このアメリカで世界で初めて燃料電池が実用化されました。

ドラゴン/DRAGON製のプラスチックモデル 1/72 アメリカ初の宇宙遊泳 ジェミニ4号

水素燃料電池がなぜ、注目されたのかというと、ロケットに使われる燃料ってなんだか知ってますか?実は水素酸素なんですよ。ロケットは水素と酸素を急速に燃やして打ち上げてるんです。そしたら、発電のためにいちいち別の燃料使わなくても、燃料電池でいいじゃんってなりますよね。しかも、当時、アポロ計画による友人飛行をのちに控えていたアメリカは、ロケットの中で人が生活する設計にしていたんです。そこで、水素燃料電池。さっき、水素を電気にした時、何が出るって言いました?そう、電気と水なんです。宇宙空間で、この水を飲料水として使えるんじゃないかということもその理由に一つだったらしいんですよね。いやぁ斬新なことしますよね。

ということで、宇宙産業という意外な分野からスタートした水素燃料電池技術ですが、この時はまだ世間には全く認知されていませんでした。しかし、そんな中で、1973年、世界に衝撃的な打撃を与えるとんでもない事件が起こり始めます。それは、みなさん何かわかりますでしょうか?そう、オイルショックです。

③オイルショックによって始まるサンシャイン計画

オイルショックで混乱する人々
引用:日経ビジネス2022/5/30 かつて「石油危機」が日本を変えた 苦難が育む突破力 新ビジネスのバネに。https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/01105/

オイルショックというのは1970年代に2度発生した原油の逼迫と価格の高騰のことを言います。1回目が原油産出国が連なる中東での戦争、2回目がこれまた石油産出国であるイランで起きたイラン革命。石油や原油の産出国でトラブルが発生して、産出を制限したり止めたりすると、それらの燃料の輸入に頼っていた国は大打撃を受けるわけですね。そしてそんな大パニックの中、他の国と比較しても大打撃を食らっていた国があったんです。その国こそ我らが島国に日本

それまでの日本は高度経済成長の時代ですから、もうみんなイケイケどんどん、東京オリンピックをはじめ三種の神器、マイカーブームと高速道路開通、大阪万博の太陽の塔。そんな意気込んでる最中、もう石油使えません!ドーン!もう日本中大パニック!店からはトイレットペーパーや、ティッシュなどの石油製品の買い占めに、ガソリンの価格もバッコーン上がり、あらゆる物価が値上がり、大騒動が起こったそうなんです。そんな中何がやばかったか。それがまさに日本のエネルギー問題。なんとこのオイルショックが起こる少し前までは日本の電気は石炭を中心とした火力発電だったんです。しかし、1962年の石油の輸入自由化をきっかけに、日本の火力発電は一気に石油に移り変わります。そう、エネルギー革命が起こっていたんです。それまでは国内で石炭を採掘していたんですが、ほとんどの炭鉱を閉めて、安くて安定的に供給できる石油を海外から輸入するようになったんです。発電の8割が石油火力だった日本の経済は、1984年戦後始めてのマイナス成長になります。その年1984年。エネルギーの全てを海外からの輸入に頼っていてはまずいということで、日本は「サンシャイン計画」という新たなエネルギープロジェクトを打ち出します。


そこで注目されたのがまず太陽光。まさにサンシャイン計画ですよね。太陽光パネルという光を電気に変える仕組みを活用しようということで、当時まだ高額で海辺の灯台のような特殊な施設にしか使われていなかった太陽光発電を一般家庭でも使えるようにコストダウンさせようと研究開発を進めました。ただそれだけじゃない。サンシャイン計画では、石炭や、風力地熱のようなエネルギーにも注目を始めます。これらのエネルギーに共通するものはなんだかわかりますか?そう、日本の国内で作ることができるエネルギーだということなんです。そしてもちろん、水素エネルギーもいよいよ国内で注目され始めます。

燃料電池では水素と酸素から電気と水ができるというふうに言いましたよね。実はその逆もできるんです。太陽光や、風力によって生まれた電気を水に流すことで、水素と酸素を作ることができます。日本は島国で非常に水が豊かな国なので、太陽光や風力で余った分の電気で水から水素を作り、その水素で発電をするという仕組みが作れないかと検討され始めるんですね。

今でこそ水素は二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーとして有名ですが、最初に注目されたのはオイルショックによって高まった燃料自給率に対する課題意識からだったんですね。それが環境問題から見た側面でもとても有用であるという話は第2章から始まります。

次の章はこちら↓
https://note.com/tobichan_0507/n/n85eef2043309


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