私たちの考えるJ-SBNR。縄文とSBNRの交差点
お初にお目にかかります。
大阪でTOBEWOMANという団体の代表をしています。村上と申します。
本題とは一切関係ありませんが村上水軍の末裔です。
SBNRのこと、ジェンダーのこと、平和のこと、大阪万博のことなどをつづります。
はじまりは「国際女性デー」。無限扉のダンジョン。
私たちは、2018年から国連の国際女性デー普及の活動をしておりまして、女性のこと男性のこと男女差のことを色々色々考えてきました。
歪みのモトを探るべくジェンダーギャップの奥にある扉を開けてみると、そこには偏見の心があり、その扉を開けると、差別の心があり、また扉をあけると、欲の心があり…。
無限扉の迷路にはまりながら活動を続けているその間にも、戦争や震災、コロナ、世界の分断、要人の暗殺など多くの災いが起こりました。
狼狽え、恐れ、怒り。悲しみの感情が飽和し、そしてまた新たな災いがもたらす感情に上塗りされていく。
この連鎖を止めるものは何か。
私たちは、大切な何かを忘れているのではないか。
そんな大問の難解にたどり着く糸口を「J-SBNR」に見つけました。
私心がなく「世界を善くしたい」と考えるTOBEWOMANのメンバーが悩み考え行き着いた一つのルート。
道はまだまだ半ばですが、現地点の私たちの提言「J-SBNR」をお伝えさせてください。
そもそも。「SBNR」ってなんなん?
SBNRは、Spritual But Not Religiousという意味で、宗教ではないけれども精神性を大切にしている人々のこと。
欧米を中心に広がっている考え方で、産業革命以降続いていた物質社会のカウンターにある概念だとも思います。
博報堂さんの記事…
SBNRリポート
https://www.hakuhodo.co.jp/humanomics-studio/assets/pdf/SBNR_Report.pdf
スピリチュアルというとアレルギーがある方も多いと思いますが、日本の暮らしにもともとある行為や概念、例えば神社やお寺に行ってお参りする、呼吸を整える、瞑想する、体に良い食べ物を食べる、感謝する、先祖を敬うなどが、SBNR的といわれ、
博報堂さんによると、アート鑑賞、アウトドア、掃除、サウナ、睡眠ケア商品など、え!そんなんまで!! というものもSBNR的と定義されています。
個人的には、日本の神道に端を発する自然への畏敬の念、感謝の心、謙譲の心、平和を希求する心などはSBNR的だと感じています。
いや神道て宗教ちゃうの! となりますが、
宗教の三大要素、創始者、教義、組織がないことから狭義の宗教にはあてはまらないのだとか。
ただ大切なのは、Religionの定義より日本人に内在する精神性がSBNR的だということなのと、
本来的には、宗教もスピリチュアルも、それ自体は全く悪いものではなく、
寧ろ人々の心を平穏にしたり、感覚を研ぎ澄ませ身を助けるものなはずで、悪いのはそれを悪用する人なのだと思うのです。
大阪・関西万博に向けて~ Well-beingのダークホース
「世界を善くしたい」という私たちの思いは時空を超えて(!)連綿と続くのですが、一つのマイルストーンとして、 大阪・関西万博での発表を考えています。
ポストSDGsとして注目されているWell-being。その中の一つの概念でもある「SBNR」は、万博のWell-beingテーマ期間にも入っています。
今回の万博のメインテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」を実現できるダークホースでもあると思っています。
企画をしているのは、シンポジウム、コンサート、合唱パフォーマンスの3本。
● 未来共創 ’Inochi’ 会議 (シンポジウム)
子どもと女性の視座から「平和」「調和」「共創」の本質を問い直します。
● Seed・Circle・J・LIVE (コンサート)
植物からいただく命、動物からいただく命、”命の環”をテーマに、
自然への畏敬の念を表し、環境破壊への警鐘を鳴らします。
● TENRIN・SONGプロジェクト (合唱パフォーマンス)
天輪をイメージし、会場全員で手をつなぎ平和の歌を合唱。
各地域と中継でつなぎ、世界に平和への祈りを届けます。
この企画の根底にある思いは…
戦争や、感染症による世界の混乱、AI時代の個人の分断など、世界の歪みに問いを投げかけ、「J-SBNR」の観点から、未来、そして命への気づきを醸成したい。
万博のステージを競争社会から共創社会へのファーストステップにしたいというコトではあるのですが、こちらについてはまた次回ご説明させていただきます。
そしてJ-SBNR。
やっと本題です。
タイトルで出落ちしてしまっているのですが、J-SBNRの「J」はJOMON。JAPANの意味もあるのですが、縄文優位wです。
なぜ縄文なのか?
3年前に話題になったこの本。サントリー学芸賞を受賞し、物議を醸し、
こんな反論説本まで登場したこの本。
「買ってはいけないを買ってはいけない」以来の重大インシデントと記憶しています。知らんけど。
で、正直、考古学のことも深く知らないのですが(知らんのかい!)
著者、竹倉史人さんは、もともと人類学を研究されており、人類の精神史を紐解く過程で土偶に興味をもたれた、という話にビビビときました。
動画、10:49のあたり。
縄文的な生命感覚は
「人間が生命を所有しているのではなく、生命に所有されている」。
「土偶を読む」では、縄文期の土偶の正体は、女性でも宇宙人でもなく植物で、人間が植物をいただけることへの感謝として、植物への祭儀をしそれに使用していたのが土偶であったという仮説が唱えられています。
それは人は一つの大きな生命の一管理者であるという生命感覚があるからで。意識せずとも万物の存在を重んじ、そこに差の概念もない。ましてや、性別、人間、動物、植物の境界すらなかったのだと思いました。
偶然か必然か。縄文と符号する価値感
1万年もの間争いがなかった縄文時代。
氷河期に地中にあった種が萌芽し、充分な酸素に満たされ温暖な気候で植物か豊富にあったこの時代。
装飾品利用も盛んで衣食住が満たされ、各々の役割と互恵関係が成り立っており、身分の差がなかったと言われています。
このような環境と社会に影響された精神性が、長きにわたる平和と人々の心の平穏をもたらしていたのではないでしょうか。
縄文の価値観は、不思議と現代のSBNRと符合します。
この価値観を世界に発信していくことで、
現代社会の歪への気づきが起こり、価値観のシフトが生まれる。
そして心の平穏が訪れ、共創と平和へと波及していく。
TOBEWOMANは、そんな未来を心から希求して活動していきます。