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介護士と介護施設はもっと競争し、比較されるべきだと思う。

以前介護士の地位向上についての記事を書いた時に介護士の方からとても貴重で率直な意見を頂いた。

『給料が良い』という理由で介護職を選ぶ方より『介護の仕事が好き』『利用者さんのよりよい生活を考えたい』という思いを持った方と一緒に働きたいと思っています。そして介護職員の待遇を改善するために介護職員がスキルアップを目指し、利用者さんや家族から『もっと支払ってもいい』と言われる状況を作りたいのですが…。

現場の方の声はとても大切で、そしてこの意見こそが介護サービスの目指すべきゴールだと思う。

僕は、常々、介護士の仕事に真摯に取り組み、そして技術もある人はしっかりと評価をされ収入も良くなるべきだと考えている。介護の仕事が好きな人達が満足のいく待遇で働けば、提供されるサービスは必ず質の高いものになり、高齢者は安心して老後を過ごせる事になる。

そのために必要なのは適切な個人評価と収益体系だが、介護がサービス業であるのなら介護士はサービスマンだし、サービスマンとして提供されるサービスが良いものであれば他の人よりも信用され、より売り上げにも貢献でき、結果として高い給料をもらえるようになるといった仕組みを作らなければいけない。

つまり、現在介護士が日々取り組んでいる資格取得、講習会への参加、接遇の勉強といったスキルアップは利用者に対して提供されるサービスの質を高めることには直結するが、それを経営者がしっかりと個人の評価につながなければ、施設が評価を受け利益を生む反面、個人レベルでは自己満足に終わってしまうということだ。

この個人評価につながらない体制が常習的になると介護士のスキルアップへのモチベーションはさすがに上がらない。そして、それが現実的に起きており、優秀な介護士であっても提供できるサービス内容ではなく『介護士』として一括りで評価されていると感じることも多い。そして介護士のモチベーションの低下は最終的に事故やトラブルの原因になる。

このサービスの質と個人評価について考えたいと思う。

介護施設にとってのサービスの質と個人評価の問題

現在の日本は超高齢社会で介護の需要はまだまだ高く、入院による空室を除けばほとんどの施設が常時満室となっており入居待ちをしている高齢者も少なくない。

そのため利用者がいなくなる、つまり売り上げが極端に下がるという心配がほとんどなく、本来サービス業にとって生命線とも言えるサービスの向上への取り組みが経営上はあまり意味をなさず、スタッフ個人個人の意識やモラルに任されている可能性がある。

介護施設の経営者や、管理者の人達と話をしても、毎日をなんとか無事にやり過ごす事を目標としている様子が多くの方から伺えるし、スタッフに向かって『家族から苦情さえ貰わなければ別にどんなやり方でもいいから。』という事を平気で口に出す人すらいる。

このサービスの質を無視した体制によって起きたトラブルがある。仕事上関わりのある入居施設で介護士の評価をめぐって残念なことが起きてしまった。

入浴介護について介護士を評価する場面で、ご利用者の体を綺麗に洗い、風邪を引かないようにとしっかりと体を拭き、誰が見てもおかしくないように身なりを整えている丁寧に仕事をする介護士が『仕事が遅い』と評価され、高齢者の体に滝のようにお湯を浴びせ、体がまだ濡れている状態で服を着せ、ボタンの掛け違いがあってもそのまま部屋へ帰す介護士が『最も早く入浴介護の作業を終わらせることのできる優秀な介護士』として入浴介護業務で高い評価を受けることになった。

皆さんはこれを聞いてどう思うだろうか。この介護サービスを受けたのが自分の大切な両親だったり、祖父母であったりしたのだったらどちらの介護士からサービスを受けたいだろうか。

答えを聞くまでもない。明らかに歪んだ評価が行われている。だが、このように普段からサービスの質への取り組みが薄れると介護士個人の評価の基準が『速さ』やこなした『仕事の量』に偏ってしまう危険性がある。

そしてこの時点でも十分問題だと感じたのだが、さらなる問題はこの歪んだ評価に周りの介護士がさほどおかしいと感じている様子がなかったことだった。

なぜかというと、この『優秀な介護士』と評価された介護士は、大変な入浴介護業務を少ない人数で手早く終わらせることで他の業務もスムーズに終わり、全体の残業を減らすことに成功していたし、力仕事を他の人の手を借りることなく淡々とこなしていた。他の介護士に言わせると『彼がいてくれるだけで仕事が楽になる。』とのことだった。つまり施設の利用者に適切なサービスを提供していないにも関わらず、他のスタッフの負担を軽減した事だけが評価されていたのだ。これはサービス業として正しい姿ではないし、このような現状では介護サービス全体の信用や評価が上がることは絶対にない。

そして利用者だけでなく、利用者の事を一番に思い、丁寧な仕事をしている介護士や、スキルアップに真剣に取り組み努力を続けている介護士も被害を受けていると言えると思う。もちろんこのような間違った取り組みが全ての介護施設で起きているわけではないとしても『正直者がバカを見る』環境を無くしていかない事には、資格を取ることも、接遇を学ぶことも、信頼を得る努力をすることも、介護施設や周りのスタッフには大したメリットがないと判断され、個人の評価には反映されない。

結果として給料は上がらないし、スタッフのモチベーションの低下は事故や虐待を生む可能性もある。

自由競争のない介護保険サービスの収益体系

そして介護保険サービスの収益体系もサービスの質が向上しない原因だと思っている。

介護報酬は施設基準、人員基準、利用者の介護度、実施サービスに対して決定され、事業所の収益となっている。そのため同じ利用者数に対して、同じ資格取得者が同じサービスを提供していれば、どの施設も同じ収益を上げる事になる。

つまり、『誰が(資格の有無や種別)何をしたか』という結果で料金が決定する。介護技術の高さや接遇の良し悪し、また施設で取り組む徹底した衛生管理といった『どのように取り組んだか』は利用者からの評判にこそなるが、サービス料には反映されないので売上には直結しない。

自由競争としてもっと現場の努力によって生み出されるサービスが比較され、人気のある施設や満足度の高い施設は必然的に利用料金も上がり、介護報酬とスタッフの給料に直接加算される仕組みを作らないと、いつまでも介護は我慢して働く仕事の域を抜け出せない。

評価されない介護士の二択

介護保険事業で問題なのは、前述した一般企業のように業界の発展に一番必要な自由競争がほとんど行われていない事だ。もちろん明らかにサービスが悪い施設は潰れるだろうし、本当に素晴らしい施設は利益も他よりも上がっているのかもしれないが、介護業界全体で純粋な自由競争が行われているとは到底思えない。

入居待ちの高齢者は十分な検討がされず、空きが出た施設にとりあえずで入ることも多々あるし、ケアマネージャーに施設の特徴を聞くと『綺麗な施設は値段が違います。』とだけ言われ、働くスタッフはどうなのかと尋ねると『どこだっていい人もいるし、そうでない人もいますよ。』と返ってくる。経営母体の大きさで建物の豪華さは年々差が出てきているが、結局サービスはどこも同じようなことをしていると言っているようなものだ。

この変化のない環境の中で、やる気のある介護士ほど、評価されないことに対する壁にぶつかり、二択を迫られるケースが多い。『頑張るのをやめて、できるだけ無理をしない働き方をする』か、『評価されずとも頑張り続けて、自己満足で納得する働き方をする』という二択だ。

介護に関わりが少ない人が聞けば少し大げさと思われるかもしれないが介護士の方と話す時に同じような話を何度も聞いてきた。そして当然、どちらを選んでも心の底から良かったとは思えるものではない。

何度も言っているが僕は介護士の仕事が好きで魅力を感じている。介護士のサービスを受けて笑顔になった高齢者を何百人と見ている。だからこそ優秀な介護士が報われないと本当に悲しいし、介護のスキルアップにひたむきに取り組む介護士がそうでない介護士と同様に扱われることは納得できない。だからこの理不尽な二択ではなく『頑張った分だけしっかり評価される』という選択肢を介護士にいつか作りたいと思っている。

この記事が否定される時

今回、少し感情的に文章を書いていて、少し介護の悪い所をピックアップし過ぎたとも思っている。もし『うちの施設は質の高いサービスをしっかり提供している』とか『介護士として働いた分だけちゃんと良い評価をしてもらっている』といった人達が今回の記事に納得できないと思われたらどんどん否定して欲しいと思う。

この記事がでたらめだと完全に否定される時にはきっと全ての介護施設で質の高いサービスが提供されていると思うし、介護士の仕事は介護が好きな人達が満足して働く仕事になっているはずだからだ。


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