学期目標の是非
教員生活2年目以降、学級目標を作ったことは、1度もありません。
なぜなら、学級目標を決める時に、子供たちから出てくる案は、そもそも、その学級だけに必要とされる目標ではないように思うからです。
「男女が仲良いクラス」「助け合えるクラス」「思いやりあふれるクラス」などありますが、それは、どの学級にとっても大切なことであって、わざわざその学級独自の目標として掲げるものではないように思えてしまうのです。
男女の仲が良い方がいいし、助け合えるクラスがいいし、思いやりあふれるクラスがいいに決まっています。
私がひねくれているのかもしれませんが、逆に、学級目標として明文化しなかった内容については、別に頑張らなくてもいいのか?と、斜めな見方をしてしまうのです。
また、子供たちが、学級のリアルな実態を踏まえて、「このことだけは達成したい!」という強い思いで学級目標を立てているのであれば、とても意義深いものになると思うのですが、多くの学級目標は、言葉遊びの延長に過ぎないように思うのです。運動会のスローガン決めのような言葉遊びを感じるのです。
時々、学級目標に立ち返って、「今のみんなの行動は、学級目標に反していないかい?」と投げかける指導もあり得ると思うのですが、その指導には、なんとなく「学級目標を利用して、上手に子供たちをやり込めている」というような違和感を覚えるのです。
「思いやりあふれる」という、どの学級にとっても大切なことを、子供たちが学級目標として掲げてしまったばかりに、教師に「ほら。自分達が立てた目標なんだから」とツッコミを入れられる、という図式に、なんとも言えない不条理さを感じるのです。
学級目標に入っていようがいまいが、「思いやりあふれるクラス」の方が良いに決まっています。学級目標に掲げていたから指導される類のものではないと思うのです。
学級目標に入っていようがいまいが、「思いやりあふれるクラス」を目指すべきだし、学級目標に入っていようがいまいが、教師は学級を意図的・計画的に「思いやりあふれるクラス」にしていくべきだと思うのです。そこに力を注がず、学級目標を、子供へ指導する際の口実として使うことに違和感を覚えるのです。
ただし、子供たちが、自分達の学級の実態をしっかりと分析し、その上で、「このことだけは一点突破で達成したい!」という目標を立てるのであれば、意義があると思います。
きっと、そのレベルでの学級経営をされている方もいらっしゃるはずです。
そのような先生方を羨ましく思う自分もいます。
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