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そういう私に惹かれるか否か、それは相手の問題。だからもう自分を偽らない。

自分と向き合うという「産みの苦しみ」を味わい
自分の生き方を真剣に見直す時が来ました。

まず大きく動いたことは、離婚でした。
過去にも何度となくそのような話が出ていたにも関わらず「子供のため」「生活のため」とは言いつつおおよそ「世間体」と,さまざまな理由をつけては婚姻関係を継続させることに必死でした。

しかし,本当のところ私は限界だったし,
それは相手側も同じ思いであっただろうと思います。
一般論に乗じて結婚生活を続けていただけです。
諍いや軽蔑,不安と怒り,虚しさ悲しさ
当時,はっきり言ってネガティブな言葉でしか表現できるものはありませんでした。

実はその頃私は今の夫とすでに出会っていました。
全ての価値観が覆るような感動を覚えるような出会いをしたのです。

嘘がない,軽薄さのない,それでいて活力があり
憧れのような人間味に満ち溢れた人でした。
私が今までに出会ったことのない人でした。
こんなにも素直に純粋に人生を歩んでいる人がいるのか,と驚きました。

なんだ,不倫か?とか思われそうですが
私たちはプラトニックでしたし
男女であるより前に人として今の夫の在り方に感銘を受けたのです。

だから私はそんな夫の人生を決して汚してはいけないと思ったし
夫も私ではなく,別の出会いを求めて行動していました。
そういう話も聞いていました。

まぁ,そこについてどう判断されても構いません。
ただ今だからこそ強く思いますが,出会うべくして出会う人というのは
必ずいるのだと私は感じます。

夫とは出会ったその日から
訳あって(同席予定の友人の諸事情)二人きりでの出会いでした。
確か私は子供達と遊んだあとの普段着のままでその場へ出向いたはずです。
友達とその友達と飲んで話しての予定だったので全く気構えがありませんでした。
友達は来れなくなったものの家にいるのも嫌だし,子供達も親に預けていました。
せっかくだもの飲みに行こう!と予定通り参加した次第です。

あの頃,自分と向き合い出していた頃で少々自暴自棄なっていたこともあります。
どうせもう二度と会わない人だと思い
私は面白いくらいあけすけも無く自分の人生について語ったのです。
本当に,見事に,嘘なく。

すると面白いことがありました。
初対面とは思えないほど,会話が盛り上がったのです。
掘り返すようですが…お互いタイプでもなければ,こっちは人妻。
あっちは友達の友達しかも5つも若い。
共通の友人がいなければ一体何を話すのやら,とでもなりそうな二人ですが
それはもう,盛り上がりました。

例えば,私たちは「初めまして」の席で国歌について語り合っています。
非常にディープな話題ですが,一般的にみた時そんな女に惹かれますか?
飲みの席で,国歌の意味深さや国の起源について語ってくる女落としたいと思う人,
そんなにいないと思いますね。

夫がどう思ったかは分かりませんが,やはり一般的にはおそらく
変な女だったのではないかと思います。
それでも,幸運なことに夫も日本について愛着のある人で
同じ目線でその事について会話をしてくれました。

自分が好きな事について素直に話すという,とてもシンプルなことなのですが,
私はそういう事を自分の人生で誰かに話したことありませんでした。
実は例によって中2で人生踏み外しても日本史だけは大好きで
学校をサボっては一人自転車を漕いで古墳を見に行っていたんです。
振り返れば笑える光景ですが,そういった事についても
自分にとっては黒歴史だとずっと思っていました。
でもそれがまた思い込みによる苦しみの一種で,黒歴史と捉えるかどうかは自分次第です。

先にも書いたように「そんな変わり者に惹かれる人いないでしょ?」というように
変わった人だね,と思われると何か自分にとって不都合が生まれると信じて疑わなかったようです。
何も恥ずべきところではないのですが,おかしなフィルターがかかっていたのでしょう。

そのうえ私は自分の好きなモノを好きというだけの勇気も持ち合わせていなかったのです。

夫との出会いは,そういう自分を偽ることのない始まりでした。
(思えば「変人」であることを惜しげもなくアピールしたようなものでしたね。)

「自分を偽らずに生きること」「本当の自分の気持ちに正直である生き方」を
ガブっと齧ったようでした。
あぁ,これかも!いや,これだ!!と思い始めました。

様々に理由をつけて自分を苦しめているのは結局は自分なんだ。
できないのではなく,やらない,だし。
なれないのではなく,なれる,選択をしないからこうなんだ,と
それもまた大きな気づきとなったのです。

離婚は「する」と、決めた月の半ばには成立しました。
その後今の夫とは子供達も含めて一緒に生活をする事となり,
私たちは家族になりました。それはもう,あっという間に。

子供のためとか,生活のために,って世間体を気にして
自分の気持ちを置き去りにするのではなくて
最高の人と出会ったから!絶対この人と子供達と家族になる!
この人とめちゃくちゃ楽しい人生歩むんだ!
とにかくもう私が幸せになるための決断!だ,と自分で本気で決めたのです。

今の自分の気持ちに嘘偽りも,不安もないことがしっかり確認できたのです。

そして,奇跡のように夫との関係については
その後もなんの嘘もなく,偽りもなく今日まで来ています。

私に憧れの変人になるきっかけを作ってくれて
幸せになるための一歩を踏み出す時のサインを出してくれた人です。

私が幸せであることを誰よりも考えてくれる
私が幸せであることが何よりの幸せだと言ってくれる
私が世界中で誰よりも,尊敬する夫なのです。

さぁ,いよいよ私と夫,子供達揃いました。

ここまで少し長くなりましたがどうしても家族のストーリーに入る前に
私の思考の変換,転機というかターニングポイントというか,
そんなところについて書いておきたかったのです。

家族のストーリーだけに触れていくと,さも前向き夫婦なんだと思われそうですが,実はそんなことはないんです。

私自身は人並みに悩みもするし,弱いとこともある。
もしかしたらその両方について人並み以上なのではないかとすら思います。
私の人生失敗だらけだと思っています。

それでも「幸せに生きる」ということは,ちゃんとできるのです。
強くならなくても「幸せである」ことにフューチャーしていく事で,
「その事」について真剣に考えて「自ら答えを出す」ことで
日々の小さなことから幸せになることができるはずです。

『とある家族の生きるサマ.』
次回からやっと,今の私たちの生活に触れていきたいと思います。



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