【掌編小説】美しい人たち

七月の半ば、お盆休みは繁忙期だから、と言って、息子たちが三兄弟揃って我が家に帰省してきた。
「仕事はどう? 楽しくやれてる?」
とこの春に就職が決まった三男に訊くと、
「んー、まあ、可もなく不可もなく、って感じかな」
と彼は目を細めて答えた。
その反応が面白かったのか、わたしの旦那は腕を組んだまま大きく何度も頷いた。
「そりゃあいいな。うん、それが一番いい」
同春に定年を迎えて退職した夫の言葉に、
「ほんとだよ」
「それなぁ」
と長男と次男もしみじみと返す。
職に就いてそれなりに四苦八苦して、働くとはどういうことかをなんとなく覚えてきた上二人は、若かりし頃の旦那に随分と雰囲気が似てきた。目鼻立ちは三人ともわたしに似て、笑う時に目がなくなるところなんかは本当に自分を見ているみたいだけど、仕事や社会との関わり方に対する哲学観は旦那そっくりだ。
「今夜は鍋でもやろうか」
旦那がわたしのほうを向いて提案する。
「いいねぇ」
そう返しながら、思わずわたしはククッと笑ってしまった。
「どうした?」
「いやぁ、せっかく久々に家族全員揃ったのに、焼肉とかじゃないんだなぁ、って思っただけ」
一斉に声をあげて吹き出す息子たち。
「あぁ、そっか。そうする?」
そんな考えは毛頭なかったらしく、旦那はどこか呆けたような声で息子たちに訊ねる。
「いやいや、いいよ。鍋やろ、鍋」
三男が言う。筋トレが趣味の彼は、家族の中では一人だけ体躯たいくが筋骨隆々で、一番焼肉を望みそうなのに、そこがまた面白い。
「えぇ、たまにはご馳走でもいいのにぃ」
「こういう時って意外に、いつものご飯が恋しくなるもんなんだよ」
スマホをいじっていた次男が静かに言って、テレビを眺めていた長男がそれに黙って頷いた。どこか老成してるんだよなぁ、と、初めて旦那に抱いた印象を彼らにも感じる。
そこで、本当はわたしが何かしらの理由をとってつけて焼肉を食べたいだけだったのだ、ということに気づいた。
「……じゃあ、豚しゃぶでもやろっかぁ」
夏なのに? という疑問は流して、次男と三男を家に残して、私と旦那は長男の運転で買い出しに出かけた。

夜、やけに狭く感じる食卓を囲んで、五人で鍋を突いた。
「なんか、鍋小さくなった?」
と三男がぼやくと、
「変わってねぇよ」
「お前がでっかくなったんだよ」
と長男と次男がバシバシとツッコむ。
「普段はな、なんか鍋大きいなぁ、って、かあさんと二人で言ってんだよ」
旦那もそれに乗じて三男に言い、ぐっと口元を歪める。笑ったのだ。
会社のことや休日のこと、三兄弟の生活の話題が尽きることはなく、洗い物が少し増えたこと以外はいつもと何ひとつ変わらない食事を終えた。
夕ご飯を食べ終えると、息子たちはみんな、各々の自室へと散り散りに去っていく。これも、かれこれ彼らが中学生の頃から変わらない。仲が悪いというわけではないのだ。だが、長男は楽曲づくりに、次男は読書に、三男は筋トレに、それぞれ病的なまでに熱中しているものだから、リビングに勢揃いしていても兄弟で特に話すことがないらしい。
「ずっと使ってきた鍋が小さいように感じるまでに、奴らも大きくなったんだなぁ」
食器を洗っていると、リビングのソファの背に深く凭れて目を瞑っていた旦那は、しみじみと呟いた。
「もうみんな大人になったから、こうやって集まった時のために、ひと回り大きい土鍋買ってもいいかもね」
「いや、そんなこたぁ、別にしなくてもいいだろう。またすぐに、俺たちにとっちゃあ大きく感じるようになるしな。それに……」
そこで旦那は言葉を切り、考え込むように項垂うなだれた。
「それに?」
「もう、物は増やさなくてもいい。ゆくゆく息子に家族ができれば、持ってかれるもんばっかなんだから」
夫は昔からこうだ。まったく物を持たない。デートする時も「これしか持ってないから」といつも同じ服装だったし、釣りの趣味に興じても自前で買った釣竿はせいぜい二本。車はわたしと出会う前から持っていた軽自動車を二十年も使い回して、「高級車が欲しくなるといかんから」と、売り払ったっきり乗らなくなった。それでも映画に誘うと必ずついてくるし、土日はどちらか欠かさず釣りに出かけて行くし、キャンピングカーショーに行くと新型モデルのバンを前に物凄い興奮する。
三十年近く同じ屋根の下で生活をしているはずなのに、わたしはこの人のことをあまりよく解っていない。この人と一生一緒にいたい、と強く思った日のことはよく憶えているけれど、その肝心な理由はもうとうの昔に忘れてしまった。
軽度の悪性のリンパ腫を抱えて、通院で抗がん剤治療を受けている彼の命は、もうあまり長くはない。いつ、その身体が引き裂かれてもおかしくないほどに、悪魔は彼の奥底に巣食って、少しずつ内側を蝕んでいる。高確率で先立たれることになるだろうけど、わたしは最期の最期まで彼のことを確信することなどないのだろう。
それでも、理解し合えない奥深くを見せ合って、ただ見つめ合って、ただ尊重して、ただ受け入れる。添い遂げるというのは、そういうものなのだと思う。
「うちらが死んだら、ぜんぶ要らない、って棄てられちゃうかもね。みんな、あんたに似てるから」
ポカーンと目を瞑り、話が聞こえているのかどうか分からない旦那に言うと、
「あっはっはっはっは、そうだなぁ」
と彼は声をあげて、目尻に涙を浮かべて、お腹を抱えて痛そうに笑うのだった。

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