【掌編小説】朦朧

目覚めると、二人の男女が私の部屋にいた。
一人は少年、もう一人は私と同い年ぐらいの女性。少年は背の高い本棚の上に座っている。女性は、ベッドに横たわっている私の、その足元のほうのマットレスに腰掛けていた。
どちらも、見覚えはあるようで、ないような……。
私のベッド。私の本棚。私の部屋。
蒸し暑い。それに、視界が朦朧としている。熱中症か、そんなことをぼんやりと考えていた、その時だった。
「そんなところで何してるの、エンリ?」
空中に脚を放り投げてもてあそんでいた少年に、私は笑顔で声を掛けたのだ。
エンリ。私は彼のことをそう呼んだ。そう呼んで、彼がエンリという名をもつ少年だということを、私は思い出した。
「天井が近い場所が好きなのですよ」
そう答えたのはエンリではなく、私の傍らに座る女性だった。
「うん、好きだね」
エンリがこちらに振り向いて、くすりと笑った。
「トーカも、昔はよく屋根裏に寝袋を敷いて眠っていましたよね」
女性はそう続けて、私を振り向いた。
「うん、あの狭い感じ、なんか秘密基地みたいな雰囲気で、好きだったな」
「ムカデにまれて、ひどい目に遭いましたけどね」
「あれは怖かったなぁ」
そういえば、そんなこともあった。自分の部屋にベッドがあるのにもかかわらず、わざわざ屋根裏に上がって、そこで寝袋を敷いて眠り、いつの間にか寝袋に侵入していたムカデに足を咬まれたのだ。
夢を見ているのだ、と気づいたのは、その時だった。ベッドのマットレスに横たわっている感触はあるし、女性が傍らに腰掛けているような重力も感じる。本棚の上のエンリの姿なんて、あまりにも自然にそこに在る。あまりにもリアルな夢だった。
夢だと気づくのと、頭上のほうから声が響いたのはほぼ同時だった。
「じゃあ、もうあたし、ナイダと一緒に寝てあげないから!」
声で、私はそこにいるのが知っている少女だと判った。
「別に、好きにすればいい」
すぐに、素っ気なく返す青年の声が聞こえる。ナイダの声だ。
二人が言い争っている雰囲気はなんとなく伝わってくる。
夢だからなのか、この横臥の体勢だからなのか、頭上のほうに視線をることはできない。しかも、ベッドは片隅の壁際に置かれているので、頭上の先は壁であり、部屋のような空間はないのだ。そんなところから二人の声は聞こえてくる。
はるかとナイダか、あいつらまたやってるよ」
エンリがからかうように手を叩く。
……遥。
「遥は、ナイダに構ってほしいのですよ」
女性は微笑ましそうに目を細める。
ああ、とそこで私は状況が見えた。
エンリ、遥、女性、ナイダ……。女性は、タマキさんだ。彼らは、私が生み出した人たち。ひとつの部屋に、それぞれ違う物語で描いたキャラクターが集まっているのだ。
しかし、なぜだろう。こんなことを言っては彼らに怒られてしまうかもしれないが、基本的に私は、自分の手から離れていった物語にさほど愛着がない。この四人にも、大した思い入れも興味も抱いているわけではなかった。
なぜ、この四人なのだろう。そして、何よりも――
「ねぇ、エンリ」
私はエンリを見上げる。
「ん? どうした、トーカ?」
「エンリって、どの作品にも登場してないよね?」
そうなのだ。このエンリという少年は、たしかに自分の中で生み出され、しかしどの作品にも登場することなく私の手から離れていった人物だった。
「トーカが登場させてくれなかったんでしょ。ここまで出来上がってたのに」
エンリがふくれっ面で私に指を差す。
「そうだったっけ。もう、あんま憶えてないや」
私はエンリをどのような物語を想定して生み出したのか、そして、彼が作中でどのような動きをするのか、それらの記憶はもう微塵も残っていない。でも、確かに、エンリという少年が私の中にいた、ということだけは憶えている。
「ほらね、だと思ったよ。そうやってトーカの中にほうむられた子が何人いると思ってんのさ。今度はみんな引き連れて押し掛けてやる!」
「まあまあ、トーカの中にちゃんと在るのですから、そう気を損ねることもないでしょう」
タマキさんがエンリをなだめる。
「そうだよ、登場しても名前のない奴だっているんだし。俺のDOGMA友達とかね」
気づけば、ナイダがベッドのすぐ正面にある座椅子に座り込んでいた。
「ナイダも、みんなと知り合いなんだね」
「まあ、根のほうはトーカの頭の中でみんな繋がってるからね」
「あら、遥はどちらへ?」
「さっき、いなくなったよ。飛び出して、どっか行っちゃった」
ナイダが欠伸あくび交じりにのんびりと言った。
「雫の妖精と会ってるのかもね。それか、もう絵描きの男と結婚したか」
エンリが口を挟む。
すると、ドリルで地面を削るような低い重機音が響き渡った。近所で工事が始まったのだ。
現実へと、意識が強引に引きり降ろされる感覚。
「トーカ、起きたらまず、水を飲んだほうがいいですよ」
タマキさんがその音を聞いて、私に言う。
「そうだね、くらくらするし。みんなも、熱中症には気をつけてね」
私はみんなに手を振った。
遠のく朧げな視界の中で、エンリがひと際大きく手を振り返すのが見えた。

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