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#遠影灯花
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第10話
10 トリさんとムヨクさん
陽射しが傾き始めた頃にムヨクさんの自宅へと帰ってきた私たちは、二階へ上がり、クーラーボックスから各々の購入した品を取り出して、仕分けることにした。一階は完全に生き物の飼育スペースと化しているので、ムヨクさんは二階で寝食を営んでいるのである。
「あのぉ……ガマ子さん、スマホとポシェットは……いかがいたしましょうか」
人差し指と親指でポシェットを摘まみ上げたムヨクさんが、
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第9話
9 二人でランチデート ⑤
「秘密の場所があるんだよねぇ」
丸鶏のお店を出ると、ムヨクさんが耳打ちするように口元に手を添えて、悪戯っぽく声を潜めて言った。
「秘密の場所……ですか」
幹部から聞いてはいけない裏話をされる悪の手下になったような気分で、私はごくりと唾を飲み、ムヨクさんの言葉を復唱した。
「ふふん……、二つ目のトンネル抜けたら、左に一本道が伸びてるから、そっちに逸れてくれる?」
その言
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第8話
8 二人でランチデート ④
「どうですか、売上のほうは」
紙袋を受け取ると、ムヨクさんは鳥飼さんに問い掛けた。
「……ああ、そっちのほうね。おかげさまで、結構順調だよ。まぁ、損することはないだろうなとは最初から思ってたけどね」
ムヨクさんの手に渡った紙袋をちらりと見やった鳥飼さんは、腰に手を当てて平然と笑って答える。
そっちのほう、とはなんの話だろうか。紙袋の中身に関係していることらしい、という
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第7話
7 二人でランチデート ③
窓の外に広がる庭園では色彩豊かな紫陽花がいくつも咲いており、川から水路を通って引かれてきた奇麗な水が重たげな水車をのんびりと回していた。
森の中のひんやりとした涼気に、時折、小鳥のさえずりが歌うように響き渡る。水車の下に掘られた池を、色鮮やかなニシキゴイが悠々と泳いでいた。
そんな風流な景色を眺めながら、私たちは蒸し鶏のサラダにチキンソテーを堪能した。
注文した料理と
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第6話
6 二人でランチデート ②
開け放った窓から涼風が吹き抜けて、青々とした夏草の香りが車内に舞い込んでくる。
さらさら、さらさらと靡く森の騒めき。その空気に溶けて混じる微かな川のせせらぎは、間もなく訪れる盛夏の到来をそわそわと待ち侘びているみたいだった。
崖側の並木が途切れると、どこまでも澄み渡った快晴の青に、手を伸ばせば掴めそうな綿雲がひとつ浮かんでいた。写真に収めたいという欲を惜しんで、握るハ
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第5話
5 二人でランチデート ①
自然の摂理に葛藤するムヨクさんに少しだけしんみりしてしまった頃、ようやくタッピーがご飯の山を半分ほど平らげた。
「じゃあ、そろそろ行きましょっか」
すると、気を取り直すように手を叩いて、ムヨクさんが明るく言った。
「え、まだ結構残ってますよ?」
「それだけ食べてくれれば、とりあえずは大丈夫だよ。自力で食べる練習もしてほしいし」
「き、厳しい……」
「メリハリつけてシャ
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第4話
4 タッピーとムヨクさん
さらりと凪いだ湖のように穏やかだった我をも忘れて、その内側から滲んだ野生の本能を存分に曝け出し、際限なく湧く食欲の儘に猛然とムヨクさんの指先から餌を喰らうタッピー。
それは眺めていて、実に、愛くるしいものであった。
「はぁーい、タッピー……あぁ、食べれたねぇ、よくできました! うんうん、上手いねぇ、偉いねぇ、美味しいねぇ!」
ムヨクさんはタッピーが細かく刻んだ野草の欠片
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第3話
3 ガマ子、名付け親になる
人間の言葉が通じない動物に嫌われるということは、案外、人間に嫌われることよりもショックだ。
しかも、相手は哺乳類でもなく、さらに種として縁遠い爬虫類。より万種共通の、根源的な生理的嫌悪を向けられたような気がしてならない。コハクちゃんは重たそうな甲羅をものともせず、ムヨクさんを追って庭を走り回っている。
「ほんとに、ムヨクさんによく懐いてるんですね」
私は縁側で膝を抱え
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第2話
2 嫌われ者のガマ子
季節を三ヶ月ほど前倒ししたかのように、ムヨクさん宅の居間は温かいを通り越して、仄かに蒸し暑かった。
空調が利いている。天井を見上げると、そこには長方形のスリムなエアコンが埋め込まれていた。外界の気候とは切り離された、動物園の爬虫類館をそのまま再現したかのような環境に、思わず感嘆の溜息が洩れる。
「あ、ガマ子ちゃんって、ペット大丈夫?」
ギリギリ手遅れのタイミングで、ムヨクさ
【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第1話
1 爬虫類女子
紆余曲折があった。
この春に自主退職して会社を去った元同僚である余公三久さんのお宅にお邪魔するに至った経緯は、ひどく複雑怪奇を極めるものであるため、その詳細に関する記述はこの程度にとどめておくことにする。
余公三久さんは、「ムヨクさん」と呼ばれていた。「公」の字を片仮名の「ハム」とし、「久」の字の最後の一画を「三」の字の右端に立てると、「余ハムヨク」と読むことができるからである