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【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん 第5話

5 二人でランチデート ①


自然の摂理に葛藤するムヨクさんに少しだけしんみりしてしまった頃、ようやくタッピーがご飯の山を半分ほど平らげた。
「じゃあ、そろそろ行きましょっか」
すると、気を取り直すように手を叩いて、ムヨクさんが明るく言った。
「え、まだ結構残ってますよ?」
「それだけ食べてくれれば、とりあえずは大丈夫だよ。自力で食べる練習もしてほしいし」
「き、厳しい……」
「メリハリつけてシャキッとしないと、お互いに甘えちゃうからね。あたしたちも、タッピーに甘やかされちゃうもん」
ムヨクさんは微笑んで、タッピーの小さな頭を人差し指でツンツンと撫でた。
相変わらず、ムヨクさんの手には微塵も怯える様子のないタッピー。しかし、私がその口先からそっと手を引くと、タッピーはちゃんとビクンと驚いて、即座に頭を甲羅の中へと引っ込めた。「嫌な奴」から「餌をくれる嫌な奴」程度には昇格しただろうか。そう思うことにした。
「そうですね。行きましょうか」
私は溜息を呑み込んで、洗面所でしっかりと手の汚れを洗い落としてから外に出た。

ムヨクさん家の前の駐車場に停めた自分の軽自動車に乗り込み、エンジンをかけると、私はすぐにエアコンの出力を最大に上げた。
初夏とはいえ、車内に籠る熱気は身に応える暑さだ。
クーラーが効き始める前の熱風を顔面に浴びながら待っていると、戸締りを終えたムヨクさんもすぐに家から出てきた。何やら、両手で大きなクーラーボックスのような物を抱えている。それを後部座席に載せると、彼女は助手席にするりと乗り込んできた。
「それにしても、びっくりしましたよ」
「まぁ、持っててもお金かかるだけだしねぇ……」
「まさか、ムヨクさんもあの丸鶏のお店を知っていたとは」
「ああ、そっちか」
「え?」
「いや、あたしが会社辞めてすぐに車売ったってことにびっくりしたのかと」
「あー……、ああ、確かに!」
そこで、私はようやく気づく。そう言えば、ムヨクさんが乗り回していた、あの赤いスポーツカーがないということに。
会社には、車通勤をする社員用の駐車場がある。オフィスビルのエントランスに一番近い角が、ムヨクさんの定番駐車スペースとなっていた。そこには、いつも赤いスポーツカーが停まっていたはずだ。ムヨクさんのスポーツカーは、会社ではかなり有名だった。気怠そうな人なのに、ああいう派手な車に乗るだなんて意外だ、と私も思ったことがある。
「ガマ子、そういうとこあるよねぇ」
ムヨクさんは溜息を吐いて、にんまりと頬を緩めた。
「い、いやいや! ないことにはさすがに気づいてましたよ! その……、ほら、私の車で行くことになってたし、どこか別の駐車場に一旦移して、家の前を空けといてくれたのかなぁ、と」
私はお店を検索しようとカーナビをポチポチと叩きながら弁明を図った。しかし、このカーナビが古すぎるのか、あるいは、あのお店がナビに登録されていないほど僻地へきちにあるということなのか、店名でも電話番号でも、その丸鶏のお店はヒットしなかった。
「車持ってたらそっちまで迎えに行くに決まってるでしょ。後輩に運転なんてさせないよ。あと、スマホで経路出せばよくない? 最悪、私が道なんとなく憶えてるから、案内するし」
ムヨクさんは握ったスマホをヒラヒラと私に見せる。その画面には、すでにお店までの最短ルートが映し出されていた。
「ああ、そっか、そうですよね。うん、そうしましょう!」
私は即座にラジオを流して、画面を現在地表示のマップに戻した。
「ガマ子過ぎるなぁ……さすガマ子や」
ムヨクさんがうんうんと大きく頷く。

ムヨクさん行きつけの丸鶏のお店にランチをしに行く。
紆余曲折があった、という一文で済ませてしまったが、私が今日ムヨクさんの家に来た目的のひとつはこれだ。
美味しい丸鶏を出すお店が、とある山奥の秘境にある。
ムヨクさんは同じ会社にいた頃、そのお店のことを度々話題に挙げていた。私も気になってネットで検索してみると、なんと、そこは幼い頃に何回か親に連れられて私も行ったことのあるお店だった。あまりにも昔の話だったから、入口に大きな鶏のオブジェが置いてあることぐらいしか記憶はなく、名前や場所を聞いても瞬時に思い出せなかったのだ。
いつの日だったか、そのことを話し、いつか一緒にランチ行きましょうね、と約束した矢先にムヨクさんが退職してしまったものだから、それからすっかり機会を逸してしまっていた。しかし、ムヨクさんはその約束を憶えていてくれたらしく、義理堅くも私の都合に合わせて誘ってくださり、今回、ようやく念願のランチデートが叶ったのである。
「十時五十分頃到着予定だってさ。開店前には着いちゃいそうだね。ちょっと早いけど、まぁいいっか」
「十分ぐらいなら待てますよ」
私はハンドルを握りしめた。
「ほんとぉ?」
「バカにしてます?」
ここから二時間もかからないほどの距離に、そのお店はあるらしい。
「ごめんごめん、でも、ガマ子がいてほんとに助かるよ。あたし、頼れる人、あんまいないからさ」
「そんな……、こんなんでよければ、ドライバーにでも使いっぱしりにでもしてください」
「よし、じゃあ早く出せ」
「あれ、流れおかしいな」
私が首を傾げながら車を発進させると、ムヨクさんは腹を抱えて吹き出した。

「いやぁ、嬉しいよ。こういう冗談が通じる後輩、欲しかったんだよねぇ」
駐車場を出てすぐの最初の赤信号で停止すると、ムヨクさんがしみじみと口を開いた。
「同僚の人はみんな、振ったら案外乗ってくれそうですけどね」
「いやぁ、どうかな。あたし、怖がられてたし」
「え? そうなんですか?」
「そうだよぉ。イカついスポーツカー乗り回してたし、仕事は独りで淡々と全部片付けちゃうし。何人かは結構あたしにビビってたの、気づかなかった?」
ムヨクさんに言われ、私はムヨクさんがいた頃の会社を思い浮かべた。誰も彼もがムヨクさんを羨望の眼差しで眺めていて、難しい案件は事あるごとにムヨクさんからアドバイスをもらって、やらかしたミスは気づけばムヨクさんの手で修正されている。ムヨクさんを取り巻く空気感に、そこまで周囲が気圧されていた印象はない。純粋に頼りがいのある先輩像だけが、私の中にはあった。
「そんなこと、全然ないと思いますよ? ムヨクさんのこと、みんな頼ってたじゃないですか」
「ガマ子を介して、ね」
その言葉で、私は再び会社でのムヨクさんを思い浮かべた。
同僚がミスした案件をムヨクさんに持っていく私。
ちょっとムヨクさんに訊いといてくれない? と頼まれる私。
この件についてムヨクさんならどうすると思う? と問われて実際に訊きに行く私。
「あぁ、言われてみれば……」
たしかに、ムヨクさんと同僚数人の間には、何かと私が仲介に入っていたような気がしなくもない。
「でしょう?」
「でも、それはムヨクさんのカリスマがゆえですよ。怖がってた、というよりかは、迷惑かけちゃいけない、って思ってたんじゃないでしょうか」
「そう、それよ。何よ、カリスマって。なんか、そうやって変に周りが空気作っちゃってさ、雑談しててもガチガチに固くなっちゃって、今みたいな冗談言っても本気にしちゃう子ばっかだったよ」
そう言われても、いまいちピンとこない。ムヨクさんと他の同僚がどんな雰囲気で会話をしていたかは分からないが、てっきり、私と同じような感じだろうと思っていた。
信号が青に変わる。
「憧れみたいなものが強すぎて、逆におそれ多い、みたいな感じだったんでしょうかね」
「んー、どうだろうね。なんか、別次元の人間だから真似すんなよ、ぐらい突っぱねられてた気もするけど。特にクソおやじたちからは」
たしかに、上司たちからのムヨクさんに対する嫌悪はあからさまだった。立場がおびやかされる側だと、有能すぎる部下は気に食わないものなのだろうか。
「あー、それでみんな遠慮してたのかなぁ」
「ガマ子、良い意味で空気読めないもんなぁ」
「煽ってます?」
「いやいや、これは冗談じゃないって。その天然に、みんな助けられてるってこと」

ムヨクさんの褒めているのか貶しているのかよく分からない言葉に踊らされていると、車はようやく高速道路のインターまで来た。
「あれ、この十字路を右だよ。高速乗っていくんだよ?」
「すいません、あそこのガソリンスタンド寄っていきます。今メーター見たら、もうなくなりそうでした」
私は高速道路の入り口とは逆の左にハンドルを切って、さらに途中で無理やりUターンさせて反対車線に移り、その脇にあったガソリンスタンドに駆け込んだ。
「家の近くのほうが安かったのに。おいおい、準備悪ぃなぁ!」
「ふぇえ! すいませぇん!」
こうして、私とムヨクさんのランチデートがスタートしたのであった。


6 二人でランチデート ②

【連作掌編】爬虫類女子ムヨクさん


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